会報「SOPHIA」 平成20年8月号より

刑事弁護人日記(59)
(特別寄稿)「大阪地裁所長襲撃事件」顛末記


   大阪弁護士会会員
小 林 寛 治


1 はじめに
大阪弁護士会所属である私が、本会報で刑事事件のご報告をさせていただくことは、いささか奇妙と思われる方もいらっしゃるかと思います。しかしながら、今回ご報告する事件は、今後、私が弁護士としての経験を重ねても、なかなかめぐり合うことがないであろう稀有なものであると思いますので、この場をお借りしてのご報告をご容赦ください。
2「大阪地裁所長襲撃事件」とは
平成16年2月16日午後8時35分ころ、大阪市住吉区内において、徒歩で帰宅途中の現職大阪地裁所長(当時)が、高校生風の4人組からいわゆる「オヤジ狩り」の被害に遭い、金銭を奪われた上、重傷を負わされるという、非常にセンセーショナルな強盗致傷事件が発生しました。
被害者が現職の大阪地裁所長であったということもあって、マスコミにも大きく報道され、図らずも大阪の治安の悪さがクローズアップされる結果となりました。もちろん、大阪府警もメンツを賭けて犯人検挙に向けた大捜査体制を敷き、最終的には、関連事件の「似顔絵」をもとに、事件当時13歳11か月であった触法少年(A君)が児童相談所に身柄付通告されたほか、2名の少年(B君とC君の兄弟)が共犯者として少年審判を受け、また、少年らの供述に基づいて、2名の成人(D氏、E氏)が逮捕・起訴されるに至りました(私自身は、同期の海川直毅弁護士とともに、実行犯の1人とされた成人D氏の弁護人に就きました。また、当初はばらばらに各事件に関与していた弁護人・付添人らが、お互い情報交換をする中で、自然発生的に7名の弁護団が結成されました)。
3 成人事件の経過
しかし、事件が進むにつれ、これらの犯人とされた少年・成人らが、いずれも全く犯行に関与していない無辜の者であるということが次々と明らかになっていきました(ここに至るまで、成人2名は一貫して無実を主張し続けており、また、少年たちも捜査過程で犯行を認める供述調書が作成されていたものの、後に全員が否認に転じていました)。
その中で、@大阪府警のずさんな見込み捜査(現場から逃走する4人組の犯人が、近所の軒先の防犯ビデオに映っていたにもかかわらず映像を全く分析していない、被害者である所長に対して面割りも面通しも行っていない等)や、A少年たちからの強引な虚偽自白の獲得経過(威圧や誘導の末、あろうことか、実際の犯人の数よりも多い数の少年から「自白」を得ていました)、B不当な証拠隠し(捜査側にとって都合の悪い証拠は検察官にも送っていませんでした)など、捜査上の問題点も、白日のもとへと晒されていきました。
また、印象深いシーンとしては、証人として出廷した被害者の所長が、自分を襲った4人組の犯人の特徴について、「(身長170cm弱の自分と比べて)それほど大きくも、小さくもない高校生風だった。」と証言した後、振り返ってD氏の巨躯(身長183cm、体重86kg)を見て、「大きいですね。」と犯人性を否定する発言をするなど、まるでドラマのような場面もありました。
そして、まさに成人事件の公判中、事件の中心的人物だとされていた前記触法少年(A君)に動かしがたいアリバイがあったことを示す携帯メールの履歴が発見され、捜査側が主張していた事件像が完全に瓦解するという痛快な経過をたどりました。
検察側は、それでも無罪弁論をすることを強硬に拒んでいましたが、結局、成人については、一審の無罪判決(平成18年4月30日付)に引き続き、控訴審でも犯人性が否定され、検察官控訴の棄却判決(平成20年4月17日付)が下されました。検察側もしぶしぶ上告を断念し、事件発生から4年の歳月を経て、ついに成人2名の無罪が確定したのです。
4 少年事件等の経過
このように、成人事件については(現実には、紆余曲折の苦労はあったものの)、痛快な裁判劇のような経過をたどり、無罪判決が確定するに至りました。
しかし、その余の少年らについては、捜査段階でいったん虚偽の自白調書を取られていたということもあって、成人事件以上の苦労がありました(なお、私自身は、後述の第1次抗告審段階から少年C君の付添人にも就任しました)。
まず、触法少年A君については、刑事未成年ということで、そもそも少年審判の手続にすら乗せられていなかったことから(捜査側はこの状態を悪用し、児童相談所における64日間の実質的な身柄拘束期間中、34日間もの取調べを実施するという暴挙を行っていました)、A君の名誉回復を図るため、平成19年4月26日、国家賠償請求訴訟を提起しました。これについては、検察庁(国)、大阪府警(大阪府)のほか、事態を漫然と放置した児童相談所(大阪市)も被告とし、同事件は現在も大阪地裁民事部に係属中です。
また、少年B君については、大阪家裁における自分の少年審判手続においても自白を維持してしまい、その後、高裁段階からは否認に転じたものの、結局、少年院送致決定が確定してしまっていました。弁護団は、彼については成人事件の再審にあたる保護処分取消請求を行いました(弁護団としてはここから関与しました)。平成20年2月28日、大阪家裁は同取消を認める決定を下しましたが、検察側の抗告受理申立を大阪高裁が受理したことから、事件は現在も同庁に係属中という状況にあります。
さらに、B君の弟である少年C君は、大阪家裁における少年審判手続では当初から否認していたにもかかわらず、成人2名の第1審無罪判決後に(この時点では、上記所長の証言や、触法少年A君の明白なアリバイも明らかになっていたのですが)、犯人性を肯定する少年院送致決定が下されてしまいました。これについては、弁護団は直ちに執行停止を取り、抗告しましたが、その後もC君の手続は、大阪高裁・第1次抗告審手続で「犯人性なし」として破棄差戻決定→大阪家裁・第2次少年審判で「犯人性なし」として不処分決定(平成19年12月17日付)→検察官による抗告受理申立→大阪高裁・第2次抗告審手続で「審理不尽」として再度の破棄差戻決定(平成20年3月25日付)という極めて長期にわたる異例の経過をたどりました。そして、上記再度の破棄差戻決定に対し、弁護団は、意を決して最高裁に対する再抗告の手続に踏み切ったところ、平成20年7月11日、最高裁第3小法廷は、事実認定にまで踏み込んで上記の第2次抗告審差戻決定を取り消し、大阪家裁(第2次少年審判)の為したC君の不処分決定(非行事実なし)を確定させるという最もすばらしい判断を下してくれたのです。
5 最後に
「大阪地裁所長襲撃事件」と呼ばれる一連の事件は、成人事件の無罪確定、上記最高裁決定を契機として、ようやく全体として終結の方向へと向かっています。しかし、この事件は、@被疑者段階における弁護活動の重要性、A取調過程の可視化、B少年事件手続の適正化など、様々な問題を提起するもので、弁護団としても、今後とも事件報告や国家賠償請求訴訟等を通じ、本件の根深い問題点をアピールしていきたいと考えています。





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