会報「SOPHIA」 平成20年06月号より


MUNDIAVOCAT〜弁護士ワールドカップ参戦記〜


会 員 堀 田   崇

平成20年5月31日から6月7日まで、アリカンテ(スペイン)にて、MUNDIAVOCATが開催されました。MUNDIAVOCATとは、弁護士サッカーのワールドカップです。今回で14回目の大会となります。ワールドカップといっても国別ではなく、都市(弁護士会)対抗戦となります。


日本チームは、第8回大会から参加していますが、第11回大会からは日本から複数のチームが参加するようになり、今大会は過去最大の4チーム(東京A、東京B、大阪、横浜・福岡連合)が参加しました。愛知県弁護士会からは、私と真家茂樹選手が東京A、中根祐介選手が東京Bのメンバーとして参加しました。私は今大会で4回目、真家選手は3回目、中根選手は初めての参戦です。本来であれば、愛知県弁護士会のメンバーのみで参加したいところですが、参加希望者が3人ではどうしようもなく、東京の選手からの誘いもあって東京チームでの参加となりました。


参加に当たっては、毎回10日以上日本を離れますので、何より大会前後の仕事の処理に苦労します。ただ、以前に比べればネット環境が良くなり、ホテルでもメールチェックができるようになりましたので、帰国後の負担が随分減りましたが、それでも帰国後当分の間は後遺症に苦しみます。


私と真家選手が入る東京Aは、全員55期以上で、ほぼ全員が30歳以上です(東京Bは56期以降の若者です。)。体力的な衰えが課題ですが、すでに10年以上同じチームでプレーしている選手も多く、互いを知り尽くしており、チームとして成熟している点が最大の強みです。私自身も、ほとんどの選手と過去の大会で同じチームでプレーしたことがあるので、その点の不安はありませんでした。ただ、大会直前に怪我や仕事の都合で何人もチームを離脱し、メンバーが15名にまで減ってしまったのが、体力的な不安を抱える東京Aにとっては大きな不安材料でした。


今回の大会には54チームがエントリーし、予選は4チームずつ14のブロックに分かれて総当たり戦を行い(2つのブロックは3チーム)、その後順位決定トーナメントが行われます。東京Aは、メキシコ、オヴィエド(スペイン)、アルジェと同組になりました。初戦の相手はメキシコです。メキシコは前回4位の難敵です。しかも、10番の選手は前回のMVPを受賞しています。


メキシコ戦は、私がセンターバック(CB)、真家選手が右サイドハーフ(SH)で出場しました。私は、普段CBを務めることはほとんどないのですが、メンバーの度重なる離脱によりCBにコンバートされました。試合は、予想どおりメキシコに一方的に攻められる展開で、10番の選手も評判どおりの優れた選手でした。それでも、東京Aは粘り強い守備でゴールを割らせず、前半は0−0で折り返しました。普段の試合では走らない真家選手も、この時ばかりは守備に奮闘し、必死にボールを追っていました。普段の試合でも見せて欲しいものです。試合は、後半早々相手10番が放った芸術的なループミドルシュートが決まったところで勝負あり。全く攻撃の形を作れないまま0−3で敗れました。続くオヴィエド戦は、上位進出を狙うためには落とせない試合です。私はボランチ、真家選手は右SHで出場しました。メキシコに比べれば随分格が落ちる相手でしたが、DFラインが乱れ、前半だけで2失点。後半は勝負をかけて攻めに出ましたが、結果としてバランスが崩れ、逆にカウンターから3失点し、0−5という大敗を喫しました。これにより、上位進出の夢は破れましたが、少しでも上の順位を目指すためにも、次のアルジェ戦は勝利が必要になりました。アルジェ戦は、私はCBに戻り、真家選手は右SHで出場しました。アルジェはオヴィエドよりもさらに格が落ちる相手であり、今大会初めて東京Aらしいボール回しができた試合となりましたが、ゴールが奪えず、スコアレスドローに終わりました。ただ、規約により東京Aは予選3位になり、33位から48位決定トーナメントに進出することが決まりました。他の日本チームも苦戦し、4チーム全てが同じトーナメントに入ってしまいました。


そして、唯一の休日を挟んだトーナメント初戦の相手は、横浜・福岡に決まり、恐れていた日本対決となってしまいました。私はCB、真家選手は右SHで出場し、試合は東京Aが前半にCKから2点を奪い、そのまま逃げ切って今大会初勝利を挙げました。日本チーム相手とはいえ、勝利の味は格別です。次の試合は、東京Bを3−1で破って勝ち上がったアルジェとの再戦となりました。私はもはや定位置となったCB、真家選手は初めてトップ下に入りました。初勝利を挙げたこともあってか、東京Aには重苦しさがなくなり、普段のようなパスワークで相手守備陣を崩し、2−0で完勝しました。続くナポリ戦も、私はCB、真家選手はトップ下で出場しました。ナポリは、技術・走力ともに優れ、全体的にも穴がありませんでした。しかし、東京Aも体力を頭脳的な対応で補い、ほぼ互角の展開となりました。試合は、双方共に固い守備を崩せず0−0で終わり、勝負はPK戦に持ち込まれました。先攻東京Aは1人目が失敗しましたが、後攻ナポリもその後2人が失敗し、東京Aは3人目に蹴った真家選手を含めて3人連続して成功したため、5人目が決めれば勝ちでしたが、これを止められて失敗、サドンデスに入りました。私は6人目であり、ナポリの6人目が成功したため、外せば負けというプレッシャーがかかる場面でしたが、これを成功し、勝負は7人目へ。ナポリの7人目が失敗した後、東京Aの渡辺選手が成功して、見事PK戦に勝利しました。


この勝利で、34位以内が確定しました。私と真家選手は、フライトの関係で最終戦には出場できませんでした。最終戦は、トロントに0−2で敗れ、最終結果は34位でした(総合成績は3勝3敗1分)。他の日本勢が、東京B43位、大阪44位、横浜・福岡45位という結果に終わったことを考えると、それなりに健闘したと言えます。特に、外国勢を無失点に抑えた試合は過去にもほとんどなく、4試合連続無失点というのは誇れる結果です。


優勝したのは、初戦で対戦したメキシコで、10番の選手は得点王に輝きました。


2年後の大会はイタリアのリッチオーネで開催されます。いつか「NAGOYA」で出場する日が来るまで、いつまでもプレーヤーでいたいと思っています。(※大会の詳しい模様は、表題と同じ題名のブログをご覧下さい。)






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