- 1.歴史的、画期的な違憲判決
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4月27日、名古屋高裁民事3部(青山邦夫裁判長)において、「航空自衛隊がイラクで行っている武装した米兵の輸送活動は憲法9条1項に違反する」との画期的な違憲判決が下されました。まず、この画期的判決を決意された3人の裁判官に深く深く謝意と敬意を表したいと思います。
裁判長が朗読をしている間、法廷一杯の原告は、この歴史的な瞬間と格調高い判決を噛みしめるように、静かに朗読に耳を傾けており、途中すすり泣きがあちこちで漏れていました。
まさに歴史的な瞬間でした。
判決では「当裁判所の判断」の冒頭から「本件派遣の違憲性」との章を立て、およそ20頁にわたって正面からイラク派兵の違憲性について詳細な検討を行い、憲法9条1項に違反するとの判断を下しました。
主文では原告側の主張は認められませんでした。しかし、国賠法では、・違法性と・権利侵害のうち、・については違憲である以上明らかに違法であって、国は完敗ということになります。・については、判決では平和的生存権の具体的権利性まで肯定し、しかし、本件では「未だ」権利侵害はないとして、ぎりぎりのところで国を勝たせています。ですから、主文でも、国はぎりぎり勝たせてもらっただけであって、いわば「寸止め判決」です。
- 2.判決の意味の一つ
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この判決に先立つこと1年前の2007年3月23日、このイラク訴訟の7次訴訟(名古屋地裁民事7部田近年則裁判長)において、平和的生存権の具体的権利性を肯定する判決が下されました(田近判決と呼んでいます。これは控訴せず確定しています)。今回の高裁判決ではこの判決の規範を承継する形で、要件をさらに拡大して規範を組み立てています。
名古屋高裁判決でいきなり「特殊」な判決が一つ出た、ということではないのです。これは今後この高裁判決が持つ規範性について重要な意味を持っています。
名古屋高裁判決が「平和的生存権」の具体的権利性を肯定した結果、今後市民が憲法9条を使った裁判を起こしやすくなり、かつ全国の地裁が名古屋高裁判決の9条の規範に従って違憲判断に踏み込む可能性が作られたことは(現実に踏み込むことの有無にかかわらず)、政府に対する牽制になることから、まさに画期的です。
- 3.この裁判の簡単な紹介
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この「自衛隊イラク派兵差止訴訟」は、2004年2月に名古屋地裁に提訴を行い、全都道府県から3200人を超える党派を超えた、まさに普通の市民が名古屋訴訟の原告となりました(ホームページで委任状がダウンロードできるようにするなど、様々な工夫をしたことで、「憲法9条を知らないが、イラク戦争と自衛隊の派兵は反対」という若い人たちも多数原告になりました)。
裁判も1次訴訟から7次訴訟までありました。1次から5次までは併合され、地裁では民事6部(内田計一裁判長)で審理されました。
その後、6次、7次訴訟はそれぞれ民事4部、民事7部に係属し、また、1次訴訟原告だった元レバノン大使の天木直人さんは個別の権利侵害が問題となるとして分離されました。その他、内田裁判長のひどい「訴訟指揮」に対する国賠訴訟も行い、(名古屋高裁判決民事2部満田明彦裁判長)では、内田裁判長の訴訟指揮は「当を得たものとは言い難い」と示されました。この4年、複数の裁判を全力で取り組んできました。
- 4.内河弁護団長と弁護団
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弁護団は、内河惠一弁護団長の下、「訴訟をやりたい」と言い出した私が当時弁護士2年目にしていきなり弁護団事務局長、同じく2年目の田巻紘子会員が事務局次長という体制で出発しました。多くの方が「馬鹿な裁判をやろうとしているな」と冷たい反応を示された中で、弁護団長を引き受けてくださった内河会員には本当に感謝しています。
弁護団員も、内河会員の人望のおかげで当会からも100人を超える会員に弁護団として加わっていただきました。特に理論家(ほとんど学者だと私などは思っています)の中谷雄二会員に加わっていただいたのが大きかったと思います。
- 5.事実の重み
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期日の度にイラクの現状と自衛隊の活動実態について詳細に分析した書面を出し続けてきました。地道に新聞を整理し続け書面を作ってきた田巻会員の力です。この4年間、イラクの深刻な事実にしっかり向き合ってきたことが、原告を離すことなく、また、裁判官に違憲判断を迫った最大の力だったと思っています。また、全国弁護団でヨルダンにも足を運び、イラクのリアルな実態も調査してきました(当会からは魚住昭三会員と私が参加)。
法廷は毎回1号法廷に原告が入りきれないほど埋まり(当初は200人以上が来ていたので入れ替えをしていました)、3時間近い法廷の中で、イラクの深刻な実態を、時には映像を交えて示してきました。また、原告の意見陳述(当初は4名ずつしていたので、合計して20人以上の原告が意見陳述をしたことになります)や9条違反、国賠法上の論点についての主張など、毎回充実した法廷を作ってきました(主張書面はのべ100本以上出しています。証拠の量も多数に上りました)。
- 6.多数の原告とのつながり
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全国に3000名以上の原告がいるので、期日の直後には毎回プロのデザイナー(若い女性の原告の方です)が作ったニュースを全ての原告にお送りし、原告とのつながりを大事にしました(現在19号になりました)。また、例えば高知には5回も弁護団を派遣するなど、期日の報告会を各地で行ってきました。さらに、期日と期日の間にイラクの実態などを共有できるたくさんの企画を行ってきました(高遠菜穂子さんやイラク在住のジャーナリスト数名、伊藤塾の伊藤真さん、良心的兵役拒否をした韓国人学生など、様々な方を呼んで企画を作ってきました)。
- 7.違憲判決を活かしていく
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違憲判決はある日突然出されるものではありません。
多くの原告とともに、そして誠実な名古屋高裁の3人の裁判官とともに、違憲判決が出されるにふさわしい裁判が作られてきたと思っています。イラクの深刻な実態に軸足を置き、また、思考停止のまま海外派兵を拡大する政府に対する危機感を共有しながら、人の命に向き合った血の通った裁判が作り上げられてきました。
何より、日本は、すでに他国で武力行使をしているのだという深刻な事実がこの違憲判決を産み出したということを最後に強調したいと思います。
「良い判決が出て良かった」では終えず、イラクから自衛隊が撤退するまで弁護団は解散せずに活動を続けることを決めました。
今後とも、当会の皆様の温かいご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。