会報「SOPHIA」 平成20年03月号より

法曹三者裁判員模擬裁判行われる


会 員 片 山 正 彦
刑事弁護委員会 委員 高 橋 恭 司
刑事弁護委員会 委員 岡 村 晴 美

第1 はじめに
  1. 2月25日から27日にかけて法曹三者模擬裁判が行われた。名古屋地裁刑事5部裁判官3名、名古屋地検刑事部検察官3名及び我々3名が各役割を担当した。


  2. 事案

    いわゆるタクシー強盗事案であり、起訴罪名は強盗致死罪及び銃砲刀剣類等所持等取締法違反である。

    具体的には、被告人(20歳男性)が、タクシー車内において、ナイフ(ドライバーや栓抜き等を備えた万能ナイフ)を用いて運転手を脅して金員を奪い取ろうとしたが、運転手が抵抗して暴れクラクションを鳴らす等したため、被告人がナイフで運転手を刺し、売上金を奪って逃走したところ、被害者は頸部からの失血により死亡したという事案である。

    なお、今回の事件は、被告人の名前をとって「鈴木太朗事件」として、全国で模擬裁判の題材となっている。


  3. 弁護方針

    手続に先立ち、全ての証拠及び公判調書が弁護人・検察官双方に開示されたが、記録を読んだ弁護人らの最初の感想は、「有利な情状がほとんどない」であった。

    すなわち、犯行動機は、「旅先で財布を落としたため、道を歩きながら誰かが自分に声を掛けて助けてくれるのを待っていたが、誰も声をかけてくれなかった。野宿をしたくないためホテル代が欲しかったところ、昔、テレビで、タクシー強盗のシーンを見たのを思い出し、タクシー強盗を思いついた。」という身勝手なものである。犯行態様は、事前に人気がなく暗い犯行場所を定め、年配の運転手が運転するタクシーを選んで乗車しており、計画性が無いとは言い難い。傷口は、ナイフの刃渡りとほぼ同じ深さの傷が頸部に生じており、強盗殺人で起訴されてもおかしくない態様である。金員の強取は、被害者を刺した後にその首からナイフを抜いて、再度、首から血を噴出させている被害者にナイフを突きつけて脅すことにより金員を強取しており犯意が弱いとは言い難い。犯行後の反省について、被告人は遺族に手紙を出しているが、手紙の内容が支離滅裂で謝罪の意思があるのか明らかでない。家族の協力については、被告人の父親は「息子が出所したときには自分は生きてないし・・・」と無責任な態度に終始している。被害弁償は、本人・父親双方に資力がなく見通しが立たない、という状況である。

    このような事情と被告人の言動の不合理さからすれば、一般的・常識的な裁判員の感覚からすると、「被告人には同情の余地も更生の可能性もない。」と判断される危険があった。このような中、弁護団は思案の末、被告人の不合理さを被告人の「幼稚さ」と捉え、本件犯行は、@幼稚さゆえの思いつきの犯行であって犯行態様は決して悪質残忍ではなく、また彼は犯行結果の重大性に比べれば「悪い人」ではない、A犯行後の被告人の行動は稚拙ではあるが、幼稚な彼なりに懸命に反省をしており、更生の可能性は十分ある、ということを裁判員に訴えようと考えた。簡単にいうと、「あなた(裁判員)の感覚からは、どうしようもない人による、どうしようもない犯罪かもしれないが、鈴木君(被告人)のレベルまで視線を落として事件をみれば、彼なりに理由があって止む無く犯行に及んだのであり、彼なりに反省して、どうすればいいか懸命に悩んで考えている。」ということを裁判員に理解してもらおうということである。

第2 公判前整理手続
 

鈴木太朗事件は、模擬裁判用に「事実関係について争いの無い事案」として設定された事案であるが、公判前整理手続では弁護人・検察官が激しく対立した。

 1 主張整理

公判前整理手続では、まず、検察官側から「証明予定事実記載書面」により、被告人の身上・経歴、犯行に至る経緯、犯行状況、犯行後の状況が項目立てて提示された(冒頭陳述のようなもの)。そして、裁判所は、この書面に関し、弁護人に対して、詳細な認否反論を求め、検察官提出書面を基礎として争点整理を行おうと試みた。

ところで、構成要件事実が存在することの効果は構成要件該当性の認定と同義的なものであるが、情状事実の存否の効果は、評価を伴うため、その存否と必ずしも同義的ではない。例えば、本件で弁護人が主張しようと試みた「被告人の幼稚さ」は、被告人の年齢(20歳)と併せて考慮すれば、法曹関係者であれば、可塑性に富み更生可能性があると評価して減刑事情と考えるであろう。しかし、同じ事情でも、裁判員によっては、「20歳にもなって、安易に重大事件を起こすような人間は、更生などできるわけがない。こんな危険な人間は刑務所から出してはいけない。」と考える人もいるのである。

すなわち、構成要件該当事実であれば、その存否を争点とすればよいが、情状事実については、事実の有無だけが問題となるのではなく、事実の組合せ(ストーリー)に対する評価も問題となるため、どのようなストーリーを設定し、そのストーリーにどのように情状事実を取り込むかが重要となる。ところが、検察官提出書面には、訴追官の立場から構成した犯行に至るストーリーと被告人の人物像が展開されているため、その中の事実を個別に取り出して認否を行って争点を整理する方式では、弁護人の考える被告人像が裁判員に伝わらない虞があった。

そのため、弁護人は検察官提出書面の認否・反論を基礎とする争点整理に反対したが、結局、「争点を整理しないと裁判員にわからないから」「この事件は、事実に争いはないことが前提となっているはず」「模擬裁判の制約がありますので」等の諸般の理由(法令上要求されてもいる)により、検察官作成書面に対する認否をせざるをえないこととなった。そこで、弁護人は仕方なく認否を行うとともに、被告人の人格形成が不十分であったこと等の主張を抽象的に記載した書面を提出した。


 2 証拠について(合意書面)

弁護団の基本方針は、@調書の可及的排除および公判供述による事実認定とA客観的事実の合意書面による認定である。

@の方針は、裁判員には「調書」と「供述」の違いは理解できないであろうという判断に基づく(一見理路整然とした陳述書を提出した証人が、尋問では全く理路整然と話をすることができず、矛盾した証言をすることさえ決して珍しいことではない、ということを裁判員に理解せよというのは酷である)。また、Aの方針は、裁判員に、膨大な捜査報告書や鑑定書を読んで事実認定をする手間をかけさせないためである。なお、二次的には、見慣れない死体解剖写真等を見た裁判員が、感情的に重罰化を望む危険にも配慮したものである(現に、裁判員候補者の中には、死体の写真を見ても冷静に判断できるか不安であると答えた人もいた)。

そこで、弁護団は、@検察官請求証拠のうち、全ての供述調書とその他のほとんどの証拠(戸籍謄本等以外)を不同意とし、A犯行日時、場所、被害者の死亡時刻、死因その他を端的に記載した合意書面案を提出した。

弁護団作成の合意書面案に関して、裁判所は、裁判員に分かりやすいであろうとの理由から採用に好意的であったが、検察官からは激しい抵抗にあった。検察官は、反対の理由として、合意書面は証拠ではなく合意書面による事実認定は許されないという理論的な理由のほか、裁判員に死体(写真)を見せずに評議をさせるわけにはいかない等の理由も述べていた。結局、今回は、弁護団作成の合意書面案に対する同意は得られず、個々の証拠毎に、その内容を検察官が要約した書面について合意をする形式の合意書面を作成することに落ち着いた。

弁護人が不同意とした証拠については、検察官が抄本を提出した証拠もあったが、弁護人としては供述調書でさえ同意できないのであるから、ましてや抄本化されて益々ニュアンスが異なる抄本に同意はできないため、最後まで調書には同意しなかった。しかし、「模擬裁判なので」という裁判所の天の声により、検察官調書のうち1通が刑訴法322条1項により採用されることとなった。

さらに、この供述調書の取調べと被告人質問のどちらを先に行うかで、弁護人と検察官が対立した。弁護人は公判中心主義を理由に被告人質問を先にすべきと主張し、検察官は検察官に立証責任があることを理由に調書の証拠調べを先に行うべきとして譲らなかったが、いわゆる東京地裁における模擬裁判等の例に倣い、今回は被告人質問を先に行うこととなった。

 3 感想

「事実に争いの無い」事案であったが、手続は大いに紛糾し、公判前整理手続は2回の予定が4回になった。調書の捉え方が弁護人と検察官で全く異なる以上、検察官が従来の調書裁判と同様の取り扱いを裁判員裁判にも求めるのであれば、事案に争いがなくとも、調書の扱いを巡って手続が紛糾することは避けられないと思われる。

第3 裁判員選任手続

今回は、40人弱の裁判員候補者が裁判所に招かれた。まず、候補者全員に対して書面による全体質問が行われ、全体質問の回答を見て、一部の候補者に対して個別質問(別室で検察官・弁護人立会いの下、裁判官が口頭で質問する)が行われた。その後、検察官、弁護人が理由無き不選任を行って候補者の一部を除外し、残った人からクジ引きで裁判員6名が選ばれた。

全体質問の回答票と個別質問の結果を踏まえて理由なき不選任を行ったが、質問だけで裁判員を見抜くのは至難の業である。例えば、弁護団は、個別質問で「自分のような未熟な人間が死刑を選択することは躊躇される」と答えた人を、「死刑廃止論者だろう」と考えて理由無き不選任から外したが、その人が、裁判員として参加した評議において、「人を殺した人は、自らの死をもって償わなければいけない。自分は子供にもそう教育している。」と熱弁を振るっていたという具合である。

第4 公判
 1 冒頭陳述

検察官冒頭陳述はパワーポイントを用いて行われた。スライドの構成は、立証事項毎に分けられ、各スライドについても、文字を少なくしてカラー刷りや矢印等を多用する等視覚的配慮がなされており、裁判員に好評であった。

他方、弁護人は、書面等で簡略に情状事情を羅列することは避け、「被告人質問で彼の人間性と今回の犯行に至る経緯を明らかにするので、被告人質問をよく聞いて欲しい。」と説明し、A4版1枚の要約書面を配布した。

冒頭陳述に対する裁判員の評価の中には、@弁護人の主張が、検察官の主張のどこに対応するのか分かり難い、A弁護人も最初からストーリー展開をした方がいい、B検察官が12ページの書面を配ったのに、弁護人配布書面が1枚だったので、弁護人が手抜きをしているように感じた、等の批判的な評価もあった。

とはいえ、冒陳で長々説明するより、被告人質問で被告人の口から語ってもらう方がよいのではないかという思いは、現時点でも捨てきれないものがある。今回の弁護方針は、「被告人の幼稚さ」を基盤に据えたものであるが、「被告人の幼稚さ」を裏付ける事情は被告人の不合理さを示す事実でもあり、項目的に羅列すると、「こんな不合理な行動を酌量すべきでない」と思われる危険があったし、また、被告人を見てもらう前に最初から「幼稚な人間のやったことであって、更生は可能だから、軽い刑にして下さい」とまとめると、「成人のやったことなんだから『幼稚』では済まされない」と却って反感を買う危険もあったからである。また、配布書面の枚数については、枚数の多寡を検察官と張り合っても仕方がないように思う。ただ、裁判員はよくメモをとっているので、検察官の冒陳で配布されたページ数を指摘しつつ、弁護人の主張をメモしてもらうという工夫をしてもよかったかと思う。

 2 情状証人尋問

被告人以外の調書も全て不同意にしたため、被害者家族の証人尋問が実施された。被害感情を法廷で吐露させることの影響に興味があったが、さほど評議では話題に上っていなかった。

弁護人は被告人の父親のみ証人申請したが、この父親は、息子のことを何もわかっていないダメ親父で、監督の誓約さえしなかったが、「あの父親だとあの息子になるのも無理はない」という印象を与えるという程度の効果はあったようである。

情状証人がどれほど裁判員に影響を与えるのかはケースごとに違うだろうが、今回の事案では、評議を見る限りどちらの証人もあまり効果があったように思われないので、効果の乏しい情状証人の尋問に時間を割くより、その分、被告人質問に時間を割くべきではなかったかとも思われる。

 3 被告人質問

弁護人主質問では、犯情部分に1時間程度、一般情状に30分程度を割り振った。

被告人の犯行当日の行動が行き当たりばったりであり、思いつきで犯行に至ったという「幼稚さ」を表すため、犯行に至るまでの経緯を細かく聞き、質問が犯行状況に至るまでにかなりの時間を要した。検察官の描くような「凶悪な被告人像」を否定するためにこのような構成にしたが、案の定、裁判員の1人から、「どうして関係の薄い犯行前の経過を細かく聞くのかわからなかった」との指摘を受けた。もっとも、こちらの狙いどおり、「幼稚な行動が事実として現れていて重く罰しなくてもよいという自分の心証につながった」と述べた裁判員もいた。裁判員が心証をとるポイントは個々に違うため、万人に効く方法というのは難しいと感じた。

また、評議を聞くに、被告人役をつとめた森田祥玄会員が名演技者だったために甘い量刑をした裁判員もおり、被告人の見かけや供述態度も裁判員には影響を与えるものであると思った。

 4 論告・弁論

論告はA3用紙1枚に項目のみ箇条書きにしたものであった。裁判員には、論告を聞きながらメモを取る土台として利用し易かったと好評であった。

これに対し、弁論は、刑事政策的な一般論から、事実認定に関する主張、さらには認定事実を量刑上いかに評価すべきか等、多数の主張を盛り込んだ。書面としては、ファクターごとに樹形図にまとめる形をとった。これが通常の裁判であれば「被告人は若い、謝罪文を出した、前科が無い」と羅列するだけでも足りるかもしれないが、裁判員によっては、同じ事情でも減刑事由と捉えるか否かは人により異なるので、その点まで配慮したため、内容が膨大になった。また、形式として、個別の書面のほかに、全ての情報を盛り込んだ一覧可能な書面(A3)を作成したところ、情報量の多さから字が小さくなり読むのに苦労したとの指摘もあった。他方で、多岐にわたった主張自体については、「長すぎるとは感じなかった」という評価もあり、量刑という個人の価値観が反映される事項について、全ての裁判員をカバーすることの難しさを痛感した。

第5 評議

今回の模擬裁判では、裁判員の評議室にカメラを設置し、その様子を法廷のモニターで公開した(現実の裁判では非公開)。

弁護人達は、評議の当日までは「弁論までが自分達の仕事であり、後はオマケ」という感覚であったが、実際には、評議の傍聴が最も面白く且つ勉強になった。例えば、先ほどの「死には死を」の話が出る一方で、熟年の裁判員からは、弁論で主張さえしていない弁護人寄りの証拠評価をする方もいて、モニターを眺めながら「なるほど、こう評価すればよかったか」「こんな捉え方をするのか」と唸らされ、また、驚かされることが多かった。

総じて、若い裁判員の方は自分の考え方(厳罰主義)に固執する傾向が強く、社会経験豊富な裁判員は、事実を多面的に評価して被告人の事情にも配慮されているように感じたが、いずれにせよ、どの裁判員も非常に真剣に事実を評価しており、事実認定については、修習生のグループ評議よりもレベルの高い議論がなされていたと感じた。

もっとも、いざ主文を決める段階になると、どの裁判員も躊躇してしまい、結局、裁判所から提示された量刑資料を見てからの量刑採決となった。そのせいか、最終的にはあまりバラつきのない量刑になり、判決主文は懲役20年となった。

第6 最後に

今回の模擬裁判を通じて、今までの裁判がいかに「法曹三者の暗黙の合意」の上に成り立っていたかということを痛感した。裁判員裁判の導入は、今まで当たり前として行っていたこと(調書裁判等)を、「裁判員の目」を意識して再確認・再構成するという点だけでも、十分に意義のあることであると思われる。

もっとも、今回の模擬裁判は、民事の感覚でいえば、「弁論準備3〜4回、証人・本人尋問2期日、非法曹資格者が読むための最終準備書面の作成」を要する手続を1ヶ月で行うことを強いられ、且つ、「丸3日間連続して朝から夕方まで裁判所に出廷して拘束される」という時間的拘束まで強いられるものである。そのため、およそ1ヶ月単位で回ってくる通常事件のスケジュールの中で処理するには弁護人に負担がかかり過ぎるものであり、この点への配慮がなされなければ健全な制度運営は難しいのではないかと感じている。






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