既に会報やニュースレターなどでお知らせしていますが、当会子どもの権利特別委員会メンバーが中心となり立ち上がったNPO法人子どもセンター「パオ」は、昨年4月から女の子のためのシェルター「丘のいえ」を開設しています。
開設はしましたが、問い合わせはあるものの、利用者は現れませんでした。
しかし、昨年11月に入り、第1号が誕生しました。10代後半の女の子でした。比較的短い入所期間で次の支援機関に繋ぐことができました。行き場がなかった彼女に居場所を提供できたことは良かったと思います。ただ、初めての利用者に感激したスタッフが毎日大勢集まり、果たしてのんびりとしてもらえたかは少し微妙でした(彼女は楽しそうでしたが)。
そして、12月にはいると、2人目の利用者が現れました。親からの悲惨な虐待で家を飛び出した10代後半の女の子でした。
年末も押し迫った頃、私は、パオを応援して下さっているタレントの矢野きよ実さんの書展を見に行った際、矢野さん作の「奇蹟」というピンバッチ(忌野清志郎さんが癌から復帰した際に付けたというものです)を買いました。
同じ日、彼女を後部座席に乗せて車を走らせていたとき、余り自らは気持ちを出さなかった彼女が、突然、「幸せって言葉が自分には分からない」、「今まで自分は褒められたこともなければ、大切な存在と思われたこともない」と涙声で語り始めました。小雨の夜というシチュエーションが彼女をそうさせたのかも知れません。しかし、まだ10代後半の彼女が歩んできた壮絶な人生を思わずにはいられませんでした。私は彼女に、矢野さんの「奇蹟」バッチをあげました。
彼女の持っていた大きな財布(中味は入っていないのですが)には、パオのバッチとこの「奇蹟」バッチが付けられるようになりました。この2つのバッチはきっと彼女のお守りになるのでしょう。
いよいよ「丘のいえ」から旅立つという日、彼女がパオ宛に手紙をくれました。
「パオに入れてよかったです。パオの皆さんに出会えてよかったです。今までにない最高の出会いだと思います。今まで私が出会ってきた人たちは、そのときだけの出会いみたいな感じだったけど、今回は違いました。ちゃんと先もずっと見守ってくれる人たちに出会いました。応援してくれる人たちに出会いました。私にとってこれは幸せだったと思います。いい幸せを見つけました。
これから先、まだ不安なことだらけです。仕事や生活はどうなるのかわかんなくて、正直めっちゃ泣きたいです・・・。でも、私は逃げません。逃げたくないです。折角の出会いを台無しにしたくないです。これから先もよろしくお願いします。」
その後、彼女が新しく持った携帯電話からメールが届きました。アドレスには、「pao」の文字が入っていました・・・。