会報「SOPHIA」 平成19年11月号より

刑事弁護人日記(50)
接見禁止と闘って…


   会 員  園 田   理


2年余り前、ある国選事件を受けた。罪名は恐喝、傷害。公訴事実は、ABC3名が共謀の上、金員喝取を企て、Bが、自ら運転しAC同乗の車の後続車を停止させ、同車に乗っていたXYのうち運転手Xを連れ出し顔面に頭突きする暴行を加え、Yも連れ出し、ABがXYを脅迫し計3万円弱を喝取、Bの頭突きでXに加療約1週間の傷害を負わせたというもの。私はAの弁護人だった。

Aに面会した。Bが突然車を止めて後続車の方へ行き、Xに頭突きしたが、その前にABCで金員喝取を企てたことはない、Xに頭突きなど暴行することを事前にBと共謀したこともない、と訴えた。開示された警察官調書でも、BがXに頭突きした後に、XYが怖がっている様子から金を脅し取ろうと思ったとされていた。しかし、検察官調書では、Bが車を降りXらに向かっていく時点で、XYから金を脅し取れるかもしれないと思ったとされていた。

起訴後第1回公判までは起訴前の接見等禁止が解かれ、Aは妻子と接見や手紙のやりとりができていた。もちろんだからといってAが妻子を通じ証拠隠滅を図ったことなどない。

第1回公判でAは面会時同様の供述をし、私は傷害罪について無罪を主張した。すると、手のひらを返して第1回公判後に接見等禁止決定がなされ、妻子と接見等が全くできなくされた。第2回公判までとの期限付きだった。私は、抗告申立てをし、妻子との接見等に限った一部取消しをも予備的に申し立てた。しかし、予備的申立て含め全部棄却された。

約2ヶ月後の第2回公判でBの証人尋問がなされ、検察官の主尋問が終了。期日終了後、直ちに第3回公判までとの期限で接見等禁止決定がなされる。今度は、日時を具体的に特定して妻子との面会を認めるよう接見等禁止決定の一部解除申立てを行った。しかし、裁判所から職権不発動通知。私は、妻子との接見等の除外を求め接見等禁止決定に抗告申立てを行った。抗告が認容され妻子との接見等を除外する原決定変更決定がなされ、以後妻子との接見等が認められるようになった。

その後、第3回公判でBの証人尋問が終了。第4回公判でCの反対尋問も終了。残すは被告人質問とABCの検察官調書の採否判断、情状立証のみとなった。ところが、第4回公判後も平然と接見等禁止決定がなされる。

接見等禁止決定がなされると単独室収容になる。Aは、弁護人や妻子以外、人と話す機会の全くない密室に監禁される。Aはそれだけで不安で気が変になりそうだと話していた。

抗告を申し立てた。認容され、ようやく接見等禁止が解かれることになった。第1回公判から約5ヶ月半後のことだった。

起訴から約1年後の判決では、傷害罪についても有罪とされた。ただ、もともと被害自体軽微で、示談も成立したことなどから、執行猶予付きとなり、Aは釈放された。

Aは判決の3〜4ヶ月前から精神的に不安定だったが、私は釈放されて状態はよくなるのではと思っていた。しかし、判決後しばらくし、Aの妻から、Aが時折おかしなことを言ったりする、まだ様子がおかしい、との相談電話がかかってきた。

1年余りの身体拘束。そして半年近い「密室監禁」。Aに相当な精神的負担をかけたのではないか…。Aに懲役前科はあったが、20年近く前のもので、争わず認めていても執行猶予になっていたのではないか…。

Aが私に話し、公判で供述したことが真実だと確信している。それをきちんと訴えたことは何も間違っていなかった、そうしなければ事実が安易に歪められてしまう…そう自分では納得し、Aも理解してくれたと思う。ただ…。何か後味が悪い。






行事案内とおしらせ 意見表明