既にお知らせしたように、当会では、裁判員制度を睨み、全国単位会に先がけて独自の量刑データベースを公開した。しかし、裁判官と対等な立場で量刑評議にも参加する裁判員に対して情状要素を如何に訴えていくかは、弁護人に課されたこれからの課題である。そこで、量刑評議に関する議論を整理した上、当実施本部内における情状弁論に関する議論状況等を御紹介したい。
- 1 量刑評議について
裁判員制度下における量刑評議については、これまで先例によって積み重ねられた基準(「いわゆる量刑相場」)をどこまで尊重すべきかが議論されている。この点は、量刑の公平性をも念頭に置く一方で、職業裁判官の形成してきた「量刑相場」の幅が狭くこれに頑なに固執する傾向が強いことに問題があるとの立場から、一つの事件に専念して量刑判断を行う裁判員の新鮮な感覚をできる限り尊重しつつ、従来の「量刑相場」よりも一定程度、柔軟で幅広いものとなるべきとの見解が考えられる。
次に、法曹三者模擬裁判の実施の結果等により指摘されている点は、裁判員は裁判官が配布する量刑資料に強い関心を持つとともに、非常に大きな影響を受けていることである。従来の「量刑相場」にとらわれない国民感覚を大切にすべきだとの立場からすれば、評議の冒頭で資料を提示するのでなく、刑罰の目的・効果や行刑の実情等に関する裁判員の疑問に裁判官が答えつつ、素直な感覚を反映させた議論が先行されるべきということになろう。
更に、量刑資料の選別の仕方により裁判員が一定の方向に誘導されてしまう危険性も危惧しなければならない。この点は、適切な量刑資料選別のための検察官・弁護人の関与あるいは防禦の機会の確保を認める必要もあろう。一方で、弁護人のなすべき弁論においても、裁判所の提示する量刑資料への一定のけん制を意識しなければならず、当該事案にふさわしいと考える一定の量刑資料を示すことが必須と考えられる。
- 2 情状弁論について
6月20日に名地裁岡崎支部で行われた法曹三者模擬裁判の評議で、幾人かの裁判員が「人間的に未熟であることは、タクシー強盗に走ったことと全く関係ないはず。」と述べていたことが強く印象に残っている。
事案は、いじめにあい、人間関係を作ることが苦手な若年の被告人が、見知らぬ土地に来て財布を落としたため、護身用に持っていたナイフを使ってタクシー強盗することを思いつき実行したが、予想外の抵抗にあってパニック状態となり、ナイフで運転手を刺し殺してしまったというもの。
弁護側は、不幸な成育歴を訴え、未成熟な人間による突発的な犯行であるという情状要素を強調した。上記のような意見が述べられる中、裁判員を前にした場合、これまで弁護人が提示してきた情状要素の説明の仕方について、もう一つ工夫する必要性を改めて感じた。
上記事案でいうと、無期や長期間の服役により社会復帰の機会を事実上閉ざすことが被告人の負うべき「相当の責任」なのかについて、刑罰制度の趣旨にまで遡って強く問題提起をしたり、不幸な成育歴から作られた人間性を矯正し、自分の存在価値を実感させるために、なるべく早い時期に再チャレンジの機会を与えなければならない等、もう一歩、噛み砕いた説明も必要となろう。
裁判員対象事件では、被害者が死亡している事件が多い。「反省しても死んだ人は戻ってこない」のに、どうして反省していることが被告人にとって有利な情状になりうるかを丁寧に説明し、裁判員の共感を得るのは大変なことである。弁護人には真剣な研鑽が求められる。