会報「SOPHIA」 平成19年2月号より

子どもの事件の現場から(57)
親子の再会 〜心打たれた母子関係〜

   会 員 石 塚   徹

現在は成人して結婚し、子どもも一人産んだ女性の母子関係の不思議さに心打たれた経験があります。

その女性(Aとします)が18歳のとき、法律扶助協会から「戻し収容申請事件」という事件の付添人を依頼されました。少年院を仮退院して施設で働いていたAが同じ施設で暮らしていた女性(Aと親しかったが)の財布からお金を盗んだという理由で、Aを少年院へ戻して収容するため審判をするという事件でした。Aは鑑別所に留置されました。

ここに至るまで、Aは少年院に2回行っており、最初は15歳、次は17歳でいずれも窃盗でした。その窃盗はすべて親族とその友人関係ばかりからのもので、赤の他人からは取ったことはありません。窃盗保護事件の中には含まれていない親姉らからの窃盗が昔から頻繁にあり、母親と姉らは手をやいていました。

Aは3人姉妹の末っ子で、父親っ子と言われるほど父親にかわいがられました。その父親がAが小学3年生のとき病気で亡くなり寂しい思いをした上、母親は働いて収入を得る必要に直面して忙しく、姉2人は年齢的に「父親が亡くなった以上、しっかりしなくちゃ」とばかり勉強に励み、生活では母親を助けるほどでした。この様な中で、まだ小さかったAは家族の愛情を求め、窃盗をしたのではないかと思えるのです。この「愛情を盗む」と思われる窃盗は、家族を自分に振り向かせたい心の叫びでしょう。

私は、Aと会い規範意識のなさからの窃盗ではないことを確信し、母親とも会って、母子関係の再構築ができればAの問題は解決可能と判断しました。しかし、母親は、「どうしても、この子が理解できない。」と言い続け、審判では「少年院に戻し収容する」という結論になりました。

母親は、毎月少年院に通いました。私も3回少年院に行き面会しましたが、だんだんAの表情が良くなってきて、「お母さんが優しくてうれしい。」というようなことを言い出し、少年院の職員からも「もう大丈夫」と言われ、約1年後、Aは母親の自宅に3年ぶりで帰りました。そして、就職活動を始めました。

しかし、一時良くなったかと思われた母子関係は、また対立的様相を見せ、母親は私に相談してきました。私は、母親にも変わってほしいところがあると思い(自分の母親にこだわりがあると思えた)、母親に専門家のカウンセリングを受けることを勧めたところ、母親はカウンセリングに通いました。しかし、問題は再発し、母親は困って警察に相談し、Aは再度の「戻し収容申請事件」として鑑別所へ入れられ、私は再び付添人となりました。私は、Aにはもはや少年院での矯正教育は必要なく、母親への甘えたい気持ちを捨てさせ、仕事をして自立する道を用意することで十分だと主張し、そうなりました。Aは、女性寮に住み、仕事に就きました。

その後、いろいろな紆余曲折を経て、Aは結婚し、子どもを産みました。その妊娠が分かったとき、それまで音信不通だった母親にAは連絡をとり(健康保険証の手続で母親の協力が必要だということでしたが)、母親は妊娠を素直に喜んだそうです。やがて、Aと母親の双方から私にときどき連絡がくるようになり、親子としての行き来ができるようになった喜びが伝えられるようになりました。

私は、母子関係が構築されたと大喜びですが、何が良かったのか分かりません。ただ、母親がカウンセリングに通ったことやAが仕事に就いたことは意味があったと信じています。






行事案内とおしらせ 意見表明