会報「SOPHIA」 平成18年9月号より

子どもの事件の現場から(52)
子どもと付き合う、子どもに付き添う

児童養護施設キンダーホルト
喜 多 一 憲


はじめに
 子どもは家族の中で生まれ育てられるのがごく自然の姿であり、ここで安全感と安心感に包まれて成長発達し、自己実現へと向かうものである。しかし、様々な理由で家族から適切な養育・監護が得られない場合がある。この様な子どもには社会的公的責任において養育される権利があり、その受け皿として児童福祉施設や里親制度等がある。虐待問題はこれらの養護問題が最も先鋭的に表れたものといえる。
 虐待を受けている子どもが施設へ入所するということは、虐待する人から生命の危険を免れ、苦痛や哀しみからとりあえず解放されるということである。しかし、心の傷や痛みを引きずっての入所であり、子どもの発達上多くの課題を内包している。今、児童福祉施設には、子どもにとってはマイナスからのスタートであるが、これら心の傷の回復−癒しへの援助が強く求められている。 はな子さんの入所
 はな子さん(仮名)は小学6年生の時に入所してきた。特に緊張している風でもなく、すぐに他の子どもの中に入って遊んでいる。入所の理由は両親の家出。父が借金を重ね、夫婦喧嘩も絶えず、母が家出した後、父もその後を追うように家を出て行った。家出はそれまでにも何回か繰り返されていたが3〜4日もすればどちらかが帰ってきていた。借金の取り立ては毎日のように押しかけてきて、はな子さんはいつも怯えていた。そのうちお金も米も底をつき、食べ物は学校の給食だけとなり、ひもじい思いをしていた。それを学校の先生が察知し、福祉事務所を通して児童相談所から入所となった。父の家出から約1ケ月が経っていた。

はな子さんの心の傷
 施設に来てしばらくは他と楽しそうに過ごしていたが、そのうち「人の物を勝手に持っていく」、「お金を盗られた」等の苦情が出てきた。また、自己中心的でトラブルが絶えず、小さい子や女子職員には暴力的であり、さらに入浴しない、洗濯をしないという不潔感も指摘されて、他から疎んじられるようになってきた。これらの問題は子ども集会での話題になり、担当職員や主任・園長が個別的援助をするも、本人はその場限りで内在化できなかった。
 そういうなか、懇意にしていたある集会場から数万円の持ち出し、受診先の病院待合室から金の抜き取りが発覚した。職員会議では彼女の問題は児童養護施設の限界を超えている、という意見も出された。激論の末、これは生育歴によるもので、彼女の拠り所の確保と同時に治療が必要で、措置継続が妥当であることを確認した。

はな子さんの回復へのもがき
 そこで精神科医の治療を受けさせることとした。この間、治療と同時に自己発揮の場として旅行に参加させたり、職員との交換日記をしたりで情緒的に多少安定したかに見えたが、中学3年生になって心身症的訴えで不登校気味にもなってきた。進路選択では、中学を卒業しても進路が決まらず、結局措置延長申請することとなった。
 その後、就職活動をして数個所勤めるも、2日で店主に断られたり自分から辞めたりで、1週間も持たないという日が続いた。その間、異性との付き合いもあり、無断外泊も繰り返され、日記指導や外出禁止のペナルティを課したり、婦人相談所の相談をお願いしたりした。翌年、1年遅れで夜間定時制高校に入学するも、人間関係のトラブルで1年も持たず中退。その後、懇意にしていた人の支援もあって自給自足の生活共同体に行くこととなる。18歳を超えていた。 はな子さんの自立?
 3年ほどして彼女から結婚式の招待状が届き、列車を乗り継いで参列し、涙のうちに祝福した。今では二児のお母さん。先日も近況と子育てについての電話が入っていた。
 はな子さんは多くの人に護られ、赦され、支えられてきた。社会福祉の援助は決して科学だけで割り切れるものではない。人間存在への慈しみ、共に喜び共に哀しんでくれる人、寄り添ってくれる人の存在が前提になければならない。彼女との付き合いと彼女への付き添いはまだまだずうーっと続きそうである。






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