会報「SOPHIA」 平成18年8月号より

私の夏休み

「戦争と平和の資料館」づくり夏の陣

会 員 野 間 美喜子

 夏休みの感想文を最後に書いたのはいつだったろうか

ずっと遠い昔、夏休みはもうそれだけでワクワクものだった。今の子供たちのように、特別のレジャーが用意されていたわけでなく、ギラギラした太陽、朝から晩まで鳴き続けるセミの声、まだ少し青いトマト、バケツの底が抜けたような大夕立、そしてたっぷりの自由な時間があるだけの夏だったが、それはまことに胸おどる季節であった。

さて、今はどうか? 例年ならば、お盆休みの大半を、人気のない事務所で、たまってしまった書面書きをしながら、それでも電話や時間に追われずに、時折ピアノを弾いたり、雑誌を読んだり……。そこにはもはや、ワクワクするものは何もなかったが、それでも結構、独りの時間を楽しんで、やっぱり夏は好ましい季節だった。

では、今年は? わが事務所は、来年5月オープンすると世間に宣言してしまった「戦争と平和の資料館」づくりの戦場と化し、それはもう「夏休み」ではなく、「夏の陣」だ。

10年を超える歳月をかけて目指してきた戦争資料館。行政が動かない中、空から星が降ってきたような幸運な出会いがあり、篤志家の寄付によって実現することになったのだ。

戦後60年余が過ぎ、戦争の記憶は社会から消えつつある。一方、憲法や教育基本法の改定が政治のテーマになり、首相の靖国参拝や北朝鮮問題……。「あの戦争の教訓を次代の平和に生かす」ということが、不幸にも現実的な意味あいを持ち始めている昨今である。戦争を伝え、平和のために行動するきっかけとなるような資料館をつくりたいと思う。

だが、しろうとの集団、それも20人程度の仲間たちで、民設・民営の戦争資料館をつくろうというのであるから、それは予想を超えるものであり、さまざまな難題が次々と襲ってくる。だけど、「苦しい」とは言うまい。「大変だ」とも言うまいぞ、念願がかなうことであり、そこには多くの人の熱い期待と支援があるのだから。弁護士会の先輩・後輩からも、また、名も知らない多くの人たちからも、開設資金のカンパが日々寄せられてくる。

戦争資料もどんどん来る。千人針や出征のときの寄せ書き日章旗、軍事郵便……。届けて下さる方は大半が高齢で、資料にまつわる思い出話もたっぷり聞くことになる。

電話もかかる。ある日のこと、名古屋空襲で多くの犠牲者を出した中区千早で、その供養のために終戦直後に作られた「平和地蔵」が、今は八事霊園の無縁仏になっているという。「資料館に納めたらどうか」との提案に、さっそく、八事霊園に行く。

太陽の照りつけるとりわけ暑い日、日陰のない霊園をお地蔵さまを求めてさ迷い歩き、ようやく見つけたその方は、50センチほどの身の丈で、赤い前掛けをして、凛としたよいお顔で佇んでいた。来年、平和祈念のシンボルとして資料館にお迎えしようと、そっと手を合わせる。

今年の秋には、中国残留孤児訴訟が結審を迎える。9月提出の最終準備書面の分担もある。この原稿を書き終えたら、すぐに取りかからねばと気持は焦る。

そんなこんなの「わが夏の陣」は、今日も熱く、そして足早に過ぎつつある。胸おどる夏の日々は遠くかえらないけれど、こんなひと夏もあっていいかと気を取り直し、ひとまず元気にこの稿を締めくくろう。






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