会報「SOPHIA」 平成18年6月号より

え〜っ弁護士が依頼者を警察に密告するの?
ー弁護士による依頼者密告制度ー

ゲートキーパー立法対策本部
本部長代行  田 中 清 隆

* キリスト教の信者が、教会へ行って、自らの犯した罪を告白したとします。牧師さんは、これを聞いて、罪の深さを教え諭し、自首することを勧めるかもしれませんが、黙って警察に通報したりはしません。信者も牧師さんがまさかそんなことはしないと信頼しているからこそ、罪を懺悔するのです。

* 法律事務所を訪れる人の中にも、法律をよく知らないために、自分がしてしまったこと、これからしようとすることが、果たして違法なことなのかどうか、弁護士に確認し助言を求めたいという人がいます。殺人や窃盗のように、他人に相談するまでもなく明らかに違法なことはともかく、最近は、法律や制度がどんどん変わり、昔では考えられなかったような新しい規制や犯罪が、特に経済や知的財産権などの分野で設けられています。村上ファンドで問題になったインサイダー取引や5%ルール、あるいはホリエモンが摘発された粉飾決算はともかく、証券取引法上の「虚偽の風説の流布」など、よほど法律や経済システムに詳しい人でないと、自信をもって行動できないことも多いのが現実です。

* こうした複雑難解な社会にあって、専門家に相談したいというニーズは高まる一方です。ところが、ある会社の社長が、弁護士にある問題を打ち明けて違法かどうか相談し、「違法くさいから止めたほうがいい」と指導を受けたところ、数日後に警察官が逮捕に来た、ということが起きたとしたらどうでしょう。
 「いったい、どこから漏れたのか、あの時の弁護士以外には誰も知らないはずなのに……まさか、あの弁護士が」ということになれば、誰も法律事務所で、きわどい話などできなくなってしまいます。

* こうした怖いことが現実化しようとしているのが、「弁護士による依頼者密告制度」で、先日国会で継続審議とされた共謀罪と並んで、政府が立法化を狙っている法律なのです。本年5月政府により公表された法案の概要「犯罪収益流通防止法案(仮称)の概要」によると、テロ資金その他の犯罪収益流通の疑わしい取引届出義務の対象事業者に弁護士等を加えること、届出事実の顧客等への漏示を禁止すること等を明言しています。
 弁護士や公認会計士等の専門職を、金融機関等と同様、犯罪収益流通防止のための「門番(ゲートキーパー)」にしようとする制度ですが、「ゲートキーパー」ではことの本質がわかりにくいので、日弁連では「……密告制度」とネーミングを改めました。

* 国際社会はいま、テロ防止対策に懸命です。
 実行行為に出なくても共謀だけで処罰できるという共謀罪、犯罪組織に加入しただけで処罰される参加罪など新しい国際的な刑事立法が次々と検討され、一部ではすでに立法化されて実施されています。我が国はこれまで、比較的テロの被害からは遠かったといえますが、最近では、自衛隊のイラク派遣や憲法第9条を巡る議論状況、米軍再編成と自衛隊の関係、北朝鮮問題、イランの核廃絶を求めるための対応など、我が国も国際紛争に巻き込まれかねない雰囲気が漂っています。こうしたことが、アメリカの「9.11」のようなテロ攻撃に結びつくとはいえませんが、少なくとも、我が国で、各種勢力の資金獲得活動や情報活動が極めて活発に行われていること、これらの活動が、資金面、情報面において、世界各地で活発に実行されているテロ活動を支えていることは間違いないことです。こうした状況からみても、マネーロンダリングなどの資金源活動に対して厳しく対抗していくこと自体は、我が国にとっても必要なことであるといえます。

* しかし、こうしたテロ対策だけが独走し、他の民主主義的な制度や政策が圧殺されてしまってはならないことは当然です。
 「……密告制度」が、テロ対策としてどの程度必要性があり、どの程度効果的なのかも問題ですが、それ以上に、依頼者と弁護士にとっての「守秘義務」の本質的な重要性、司法制度の一翼を担う弁護士に、これと対抗する存在である警察に対して「密告義務」を課すことにより、民主的な司法制度ひいては民主主義社会の存立基盤そのものを揺るがすことの重大性が問われるべきです。

* 「……密告制度」は、1989年のG7によるアルシュサミット宣言を機に、OECD内にFATF(金融活動作業部会)が設置されて以来、グローバル化しつつあるマネーロンダリングが、テロ資金として活用されることを防止するためOECD加盟各国に対し、様々の措置や国際刑事立法を勧告し、条約化してきたことの一環なのです。

* 2001年のアメリカの「9.11」テロを機に、世界的に立法化の動きは加速され、我が国政府も、FATFの勧告や国際組織犯罪防止条約、サイバー犯罪条約などを踏まえ、組織的犯罪処罰法、金融機関本人確認法等の国内法整備を進めてきました。そして、2004年12月「テロ」の未然防止に関する行動計画を策定し、この中でFATF勧告の完全実施を宣言し、昨年11月には「……密告制度」に関し、情報の届出の受け手である金融情報機関を金融庁から警察庁に移管し、2006年通常国会への法案の提出を明言し、さらに本年5月、先述した「犯罪収益流通防止法案(仮称)の概要」を公表しました。

* 実は、この問題については、日弁連としても早くから世界各国の弁護士会とも協力しながら対応を進めてきました。
 世界各国の情勢を見ますと、最も早くこの立法に着手したのがイギリスです。
 1994年に投資ビジネスに従事しているソリシターに限定して、疑わしい取引についての密告の義務付けが行われました。ただ、投資ビジネスといっても、かなり広い意味を持ち、遺言書の検認に関連して株式についての助言、株式の取得や処分の準備・計画についての助言も含まれるようです。密告数は2004年には年間1万数千件に達しています。ソリシターの中には摘発を恐れて、きわどいケースについてはとりあえず報告しておこうという風潮が起きており、依頼者・市民層の弁護士に対する信頼にまで影響を及ぼしていくことが懸念されていると言われています。
 アメリカではABAの強い反対によって、いまだ、立法化が進んでおらず、カナダではいったん立法化されたものの、憲法訴訟が提起され、違憲と判断されて執行停止された後、立法は撤回されているとのことです。
 ドイツ、デンマーク、オランダでは、すでに立法化されていますが、守秘義務の範囲を拡大したり、報告先を弁護士会としたり、その立法化の弊害を相当程度除去する努力をそれぞれに行っています。

* この問題は、国際的な刑事立法の一環であり、共謀罪以上に弁護士のあり方そのものに重大な影響をおよぼしかねないものですから、今後とも会員の皆様には大いに関心を持ち続けて頂きたいと願っています。




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