会報「SOPHIA」 平成18年3月号より

私と裁判員制度


荒 井 幸 子

 初めて裁判員制度について学んだのは、今から数年前だったろうか。その制度は世界的にみても旧態依然として遅れているわが国の司法改革の目玉である……と。そして、その制度は国民が司法に直接かかわれる国民主体の画期的な制度で、アメリカの陪審制とドイツの参審制を参考にしながら作り出した、わが国独自の制度である……と。

 当時、私はある自主学習グループに属して十年が経とうとしていた。何のグループでも誕生から十年も経つと、マンネリ化するもの。次年度の学習テーマを決めるのに手間どり、年々会員も減る傾向にあった。そんな折、以前に学んだ「裁判員制度」がわが国に実際にとり入れられることが決ったが、国民不在のまま法曹三者(裁判官、検事、弁護士)だけで議論が行われているのが現状。国民が主体なら三者の中に国民の代表も入って四者で議論すべき……と。よりよい裁判員制度を作る為にも私達は裁判員制度についてもっと精しく学んでみてはどうかとの提案が、グループの世話人代表からあった。その時の話し合いはケンケンゴウゴウ―。

 そもそもズブの素人が裁判に参加するのはおこがましい。絶対反対、裁判員制度の導入には問題が多すぎ賛成できない。うまく機能するわけがないetcと強硬に反対する人が多数。せっかくの機会だから、よりよい制度を作るためもっと勉強し、普及に一役買って出られたらよい……に分かれた。その割合は3対2位だったと思う。他にやりたいテーマもみつからないまま、とりあえず次年度のテーマは「裁判員制度」と決った。勿論反対組はグループを離れ、残ったのは十名足らず。従って、それまでのグループは一旦解散。グループ名も変更しての再出発となった。それが四年前の二〇〇二年の五月。それからが大変だった。

 当時、一般市民にとって裁判員制度は何も知られていない感触だったので、どうしたら知ってもらえるか、私達にできる有効な広報活動とは何かと模索が続いた。また導入されると決定するや行政の動きも早かった。すぐに〈裁判員―決めるのはあなた〉という石坂浩二主役のPR映画が完成していた。そしてその映画のビデオコピーが無料で借りられることもわかった。ならば、出前上映会をして県下を回ったら手取り早いという事になり、夏から秋にかけ、名古屋、一宮、半田、岡崎、豊橋と上映をして回ったのだった。

 上映の為の会場を借りる為、当地の事務所へ出向き交渉すると、映画上映?、入場料をとるなら貸さないとか、裁判員制度?知らない……と。案の定、まるで認知度がなくがっかりしたものである。無料といってもどれだけの人が観にきてくれるか全く予想できなかったが、どの会場でも20名から30名位は集った。

 さて、上映会が無事終った翌年当りからは裁判員制度について、新聞紙上やテレビにもかなりの頻度で出るようになり、徐々に一般市民にも知れ渡ってゆくのが実感できた。また、模擬裁判もあちこちで開催されるようになり関心は高ったと思う。しかし昨年秋の世論調査では70%の人が裁判員はやりたくない……と。この数字は制度が実施されるまであまり変らないと思う。数字が良い方に振れるのは制度の運用が始まり、裁判員を実際にやった人が「やってよかった」という感想を持つか否かにかかわると思う。その為には市民が参加しやすい制度でなければならない。市民が裁判にまず望むことは迅速であろう。あまりにも長期にわたる裁判は裁判員裁判には不適当。と言って簡単な事件では参加してよかったという感想は得られないと思う。

 裁判長にとってもっとも気の重いことは、量刑まで決めなければならないことだろう。私も含めて多くの一般市民は、おそらく事件の重大性だけで量刑を判断してしまうのではないか。被告人は何でこのようなことをやってしまったか、どういう心理状態の下で、したのかとか、どういう成育歴の中で被告の人格は形成されたのかということまでは考え及ばないと思う。従って、その辺の事はきちんと理解できるようなお膳立が重要と思う。ともあれ、施行後も不備な点が生じた場合には柔軟に改善していけるような制度であって欲しい。

 最後にこの度の裁判員制度については、微力ながら普及並びにPRに努めた一員として人並以上の近親感を抱いていると共に、立派に運用されていくのを、我が子の成長をみつめるまなざしで見守るものである。






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