会報「SOPHIA」 平成17年12月号より

【特集】アジアの平和と日本国憲法を考える
ディスカッション 『アジアの平和と日本国憲法第9条』


はじめに
司 会

本日はアジアの留学生、日本の学生、社会人が、アジアの平和と日本国憲法第9条というテーマでディスカッションを致します。
それでは先ず最初に、簡単に自己紹介を行っていただきたいと思います。

メゴアン ソプ 韓国からの留学生です。名古屋大学法学研究科で民法を専攻しています。
リュウ シュ

中国からの留学生です。名古屋大学法学部の4年生です。ずっと前から日中関係と日本の憲法の改正の問題に関心を持っていました。

リン メイ フェン 名古屋大学大学院法学研究科博士課程2年です。台湾からです。
セン ホン カンボジアです。名古屋大学の大学院法学研究科2年生になりました。
クルマトフ アブロル

アブロル ウズベキスタンから来ました。名古屋大学国際開発研究科国際協力専門科で勉強しています。

後藤 諭 仕事は音楽の専門学校で講師をしています。アメリカの方の平和運動と連携をして動きを作ろうとしています。
柳沢二郎 名古屋で派遣社員として働いています。あと劇団に所属して演劇活動をしています。中国に4年間留学をしていました。アジアの中で日本がどうしたらいいのか、非常に興味を持っています。
渡邉仁志 名古屋大学法学部の学生です。




アジアの状況
司 会 アジアにおける平和を巡る状況はどうか。日本はアジアのために、アジアの平和のために、どんな役割を果たすべきなのかという、そういう問題についてディスカッションをしていただきます。
リュウ シュ 中日関係のトラブルがあとを絶ちません。2つの理由があると思います。先ず戦争の問題です。お互いの理解がすごく重要な問題だと思います。相手方の立場を理解すれば、何となく相手の気持ちが分かるかもしれないです。友達の中には祖父母が殺された人がいます。子供の時から親から教えられて、学校に入っても歴史とか勉強して、反日の気持が出てくるのは自然だと思います。日本の方がこのことを理解した方が良いと思います。
第2点目がやっぱり現状に対する認識です。日本はアジアの国ということを再認識しなければならないです。2004年、国際貿易を見ると、中国は初めてアメリカを超えて日本の第一の貿易相手国になりました。地域・歴史・文化・習慣、人間性まで共通のところが多いです。中国との関係、アジアとの関係、ここから日本の将来が出てくるのではないかと思います。
メゴアン ソプ 表面的には、韓流ブームと言われますが、韓国では、日本に対する被害意識という面が確かに存在しています。8月15日は、日本では敗戦の日ですが、韓国では独立記念日です。教科書問題、竹島問題、小泉首相の靖国参拝、そういう問題がニュースに出たら、すごく韓国人が反発します。
柳沢二郎 憲法9条を考えると、アジアの中での日本、アジアの国々との関係をしっかり考えていかないといけないと思います。6カ国協議に見られるように、今こそ対話を進めて、平和を一緒に築いていけるタイミングに来ているのでないかと思います。その時に、軍隊持ちますなんて言ったら、今までこの積み上げてきたものを全くなくしてしまうような気がします。軍隊を持ち、アジアの人達の期待を裏切るようなことをすると、民間の人達がその国で活動しづらくなります。憲法9条を変えて軍隊を持つということによる経済的な影響は大きいのでないかと思います。
冨田貴史 感覚的な話ですが、僕たちは、やはりアジア人だと思います。心の部分で親近感という懐かしさを感じます。アジアの国々との相互理解、日中の繋がりが重要だと思っています。日中関係、日韓関係を考える上でも、会話をしていくことをベースに進めていくことが大事だと思います。市民同士、平和を考えて動いている者同士は、連携していけると感じます。このアジアの中で、政府や国家に依存しない形での、個人個人が個人個人と繋がっていくということをやっていくことが大事であると思います。
クルマトフ アブロル 一番大事なのは戦争がないということです。日本の憲法9条を素晴らしいと思います。世界の国々が9条みたいな条文を持っていたら戦争も起こらないですが、現実には、そのような国は少ないです。日本はアジアの国ですが、アメリカが唯一のスーパーパワーとなり、日本はその影響の下で動いています。日本は他のヨーロッパとかアメリカではなく、もっとアジアの方に向かって、平和についてアジアで自分の役割をもっと高めて動いた方がいいと思います。
リン メイ フェン 台湾は軍隊を持っています。私の兄弟もみんな軍隊に入りました。私の一番下の弟は、一番中国に近い島にいました。帰らぬ人になるかもしれないと思い、すごく辛い経験もしました。台湾の軍隊は台湾を防御できるかどうか、私も疑問を持ちます。台湾人は、軍事力ではなく、台湾の民主主義、選挙というものに自信を持っています。これが台湾の存在価値と思っています。民主主義は、軍隊よりもっと重要なものと思います。
セン ホン カンボジアは、日本から助けてもらいました。私は、日本が一番平和の国だと思います。憲法9条を変える必要はないかもしれません。
後藤 諭 国民や国土を守れない国家には、存在意義があるのかということを非常に強く思っています。
共通の歴史認識は、なかなかお互いの国では持てないのではないかなという前提に立って、違う意見を持ちながらも理解し合える、そんな風土を作っていきたいと思っています。
中国が原子力潜水艦を日本の近海に派遣したり、尖閣諸島の方で油田を開発したり、被害意識を持っている韓国が竹島を一方的な宣言で領有したりしました。拉致被害者の問題もございます。日本の国民や国土というものが、自然と侵されてしまうのに対して何も言わないでいるような日本政府に、本当に意義があるのかと、最近強く感じています。よく分からないことへの恐怖があります。
9条の問題ですが、軍隊を持たないと言いながら自衛隊という人を殺す、軍隊ではないのかもしれないですが、そのようなものを持っている状況があるというのは、ちょっとまずいのではないかなと考えております。
一方、本当に選挙が行われているか分からない中華人民共和国から、私達は一方的にその非難の対象になるということだけでいいのでしょうか。私達も何か主張すべきことというのは、どこかにあるのではないでしょうか。NGOとかNPOといった団体が、国際貢献、社会平和や国際貢献に非常に活躍できる場を作って、私やリュウさんが個人的な関係を結ぶことと合わせて、そういう形でやっていくことが新しい日中関係であったり、新しいアジアへの日本のプレゼンスであったり、そういうものを示せるのではないかなと考えております。
メゴアン ソプ 憲法9条を改正するという動きが日本でありますけれども、韓国の目でこの問題を見ると、これが軍事力に繋がるのでないかという考えがあります。自衛隊の軍事力が韓国の軍事力をはるかに超える状態が続いています。戦争が起きれば、経済の強い方が勝つと思います。韓国人は、そういう目で憲法9条の問題も見ているのです。憲法9条の改正により、この軍事力の保持が正当化されるのでないかと考えます。危険と思います。日韓関係が信頼関係にいくかどうかは、日本が柔軟な対応をする必要あると思います。
渡邉仁志 日本人はあの戦争においての加害者としての立場だけではなく、被害者という感覚も持っていると思います。戦争体験の話を聞くと、どれだけ大変な思いをしたのかという話しだけであって、隣国に対して何をしたのかを聞かせてもらう場がなかったと思います。やったこと、やられたことというのは、きちっと認識するべきだろうと思います。しかし、中国の留学生の方から、60年前のことについて謝ってくれないのかというようなことを言われたことが実際にありますが、戦争を知らない自分が何故そのように言われなければならないのかという気持があります。
児玉克哉 対話の重要性の話が出ていましたが、対話とは全く違う立場の人が議論しているところでやるべきです。竹島問題が持ち上がった時に、姉妹提携をしていたところ、色々な都市、学校、これが交流を止める、これでは駄目です。むしろ対立があるからこそ、その対立を色々と理解するための枠組だけはしっかり持つということをやらないと、対話になりません。つまり意見の相違があったら対話しないというような枠組しかアジアで築けないならば、私達の地域の中の平和というのは築けないと思っています。意見が違うから、もう一切話さないのではなく、意見が違うからこそ、対話する枠組は絶対に壊さないというのでなければ、いい関係は作れないと思います。
愛敬浩二 70年代80年代に生まれた方にとって戦争は過去の話なのかもしれません。
ただ、重要なことは、信頼関係を醸成していかなければいけない。日本の多くの方々は15年戦争を反省していますが、相手の方々は、そうは思っていないということは一つ重要なことだと思います。
もう一つ、個人個人が反省しても政治の世界ではやはり弱いので、パフォーマンスが重要です。例えばドイツのブラント大統領がポーランドに出かけて行ってひざまずくというパフォーマンスを、戦後日本の政治がやったかどうかっていうことが重要だと思います。10年前に戦後50年決議を衆議院がやりましたが、しない方が良かったと思っています。理由は、自分のやった戦争についてだけ反省すればいいのにも関わらず、今まで世界に様々な侵略戦争があり、私達もその一人です、だから反省しますという言い方をしているからです。今すべきパフォーマンスっていうのは、靖国神社に参拝しないことだと思います。信頼関係を醸成したいのであるならば、靖国神社に参拝するという行為を先ず止めたうえで、悪意はない、敵意はないということを示して、それから対話に入っていくべきです。領土の問題、海洋の侵犯など、そういう問題は法律家とか政治家とかがタフに議論すべき事柄だと思います。その時に、歴史問題が入ってきてしまうからこそ、問題が複雑になってしまうのであるならば、歴史問題の負担を減らすための努力を、何故日本の側からしてはいけないのでしょうか。歴史問題に関しては早いうちに決着をすべきだと思っています。そのためには、向こうだって色々問題があるのではないかという言い方をするのではなくて、日本の側から歴史問題を清算していく、そういう動きをした方が、日本が将来アジアの中で、ある意味では存在意義のある国として生きていくために重要なことではないかと思います。
小出宣昭 日中戦争の時に中国大陸で1000万人から2000万人という数字もありますけれども、それだけの人達が日本軍の戦争によって死んでいるわけで、親日になれと言ったってなれません。中国国内には先ず基本的前提として反日があります。その反日をどうやったら克服できるのかというのが問題です。歴史問題の決着がついたかに見えた時代が結構あったのですが、またその問題が出てきたというのは、小泉さんが靖国に行ったことから、一体なんだというので付随的に出てきたわけです。もともとある反日の古傷をえぐってしまったと思います。それ以前から領土問題はありましたけど、表面化したのは靖国以降です。政治の動きによって、折角この戦後何十年間かかかって、日中両国とも一生懸命それを克服しようとしてきた努力を一気にぶち壊してしまったっていうのは間違いないでしょう。特に日中とか、それから朝鮮半島との関連というのは、親日になる要素がないという大前提で、日本人が見ていくというのが当たり前です。脅威、脅威と言うけれども、過去攻めたのは日本であって、ただの一度も攻めてこない中国や韓国の脅威をいって何になりますか。先ず大前提として腹にたたき込んでから話し合うというのが、国際的マナーだと思っています。それを自虐史観と言う人もいますが、そのように言ってナショナリスティックな論理を構築したら、国際社会ではそれは通用しないです。6カ国協議で最後まで拉致問題がなかなか、米中その他の国に、すぐ理解してもらえなかったのは、過去に何度も拉致しとるのは日本じゃないかみたいなのがあるわけです。そんなことを言わないけれどもベースにあります。これは世界の国々の人達に日本の立場をきちっと理解してもらうための客観的な方法は、是非取るべきだと思うし、客観的方法を取ることが自虐とは一切思っていません。 




憲法9条はどうすべきか
司 会 時間の関係で次の論点に進ませていただきます。日本の憲法9条についてどうすべきかという問題です。まず、先ほど国民を守れない国家に存在価値があるだろうかという問題提起をされた後藤さんからどうぞ。
後藤 諭 私もすごくリアリストなところがありまして、昔確かに日本が侵略したこと、それを棚に上げるわけではないですが、少なくとも自分の親や、今、一緒に生活している人達が、戦争で死んでほしくないという思いを強く持っています。今後永久に恒久平和っていうのが実現する、そういう理想に向かっていく努力はするのですが、もっと限定的な、今から自分達の世代が平和に、戦争で殺し合うことなく生きていく、そんな社会を作っていきたいと私は強く思っております。そのために必要なことは何かということを、常日頃考えている中で、例えば自衛隊という存在があって、それを言葉のまやかしでごまかさない。アジアの国に、「日本というのは実は自衛隊という名の軍隊を持っています。ですけどもこれは戦争に行ったりするわけではなく、今、非常に災害救助やそういったことで活躍もしている軍隊です。攻撃する手段を持っているわけではありません」ということが発信できると考えています。それ以外にも憲法には色々な問題があるかとは思いますが、私が思っているのは、大人が、大人の都合で勝手にコロコロ解釈を変えることで曲解をしないような日本国憲法でありたいなと思うことと、本当に平和がみんなで希求できる、そんな社会を作るには、今ある平和を維持していくために、どういう枠組を作っていけばいいのかなというのを皆さんで、みんなで考えていく、そんなことが必要ではないかなと思っております。
渡邉仁志 自衛隊をきちんと規定するということですが、それは多分、現実に規定を合わせるということに思えます。それは、例えば銃刀法があって拳銃は持っちゃいけませんと言っている時に、事実として持っている人達がいますから、その銃刀法をなくしましょうというのと似ていると思います。今、持たないという規定があるのであれば、すぐには無理としても、現実を変えていくという風にならないのはなぜなのかと思います。
柳沢二郎 憲法9条は、人類の歴史的に非常に価値のあるものだと思っています。そして、憲法9条は、あのタイミングでしか生まれなかったものだと思います。受け取った種が日本で細々とのびているという状況を切ってしまうか、守るのかが問題です。例えば竹島の問題などは、軍隊を持ったことで解決できるかというと絶対にそんなことはない。軍隊を持って戦争できるとしたら解決できる問題は、今の世の中にないと思うんです。戦争になると、問題がさらに広がり、深まっていく方が多い。それよりも、対話を進め交流を深め信頼関係を築いて問題を解決していく方が、今の時代では非常に現実的だと思います。もう一つ、もし日本が軍隊を持った場合に、それを、市民の力でかつての軍国主義にならないようにコントロールできるのかというと、それが出来ると信じることの方が僕は理想主義だと思います。
僕の祖父は、「本当は戦争をするのは嫌だったけども、結局その当時の状況では行かざるを得なかった、そういうふうにならないためにはどうしたらいいかということで、軍隊を持たずに信頼関係を築いて、平和を築いていこう」という信念を持っていました。僕はそれに共感しました。
もう一つ人類の平和ということについて言えば、もっと切迫している問題は環境の問題だと思うんですけども、戦争ほど環境を破壊して人類の生活を壊す行為、あとエネルギーの浪費をしていく行為、経済的にも不利益を及ぼす行為っていうのはないと思いますね。
リュウ シュ 後藤さんは、戦争について日本の大部分の方はすごく反省していますとおっしゃいましたが、中国の13億の人民が見ているのは、深く反省している日本の国民ではなくて、日本の代表である小泉さんです。小泉さんが靖国神社に行きました。小泉さんはドイツの大統領のように、アジアの国々の前で謝ったことは一度もありません。これが13億の人民が見ている事実です。
昔のことで、歴史のことで、いつまで私達が責められるのか、それが大部分の日本の方の感情だと思いますが、その原因が何なのかを考えなければなりません。ミスを起こした、悪いことをやったあとは、徹底的に謝って、反省して、ゼロからやり直す、そうすれば許すことは絶対あると思います。せめて小泉さん、日本のトップ、政治家は反省しないと、許すこと、理解できることはありません。
リン メイ フェン 日本は今まで過去の戦争に対して、客観的には反省していなかったと思います。ドイツと日本を比べてみると、ドイツは今はEUの中心メンバーとしてEUの形成のために色々の力になっているんですけど、日本は今は、アジア諸国に嫌われています。日本は、主観的には反省したかもしれませんけど、客観的に反省の関係はできていないと思うんですよ。ドイツは第二次大戦が終わったあと、フランスとかイギリスという周りの国、しかも強い国です。だから周りの国のことを考えなければいけない。その国の国民の感情とか、国対国の関係を考えながらやってきました。でも日本は、周りの国、中国とか韓国とか、そういう国は、実は自分の国内の事情で余裕がなかったんですよ。だから日本には、戦争に対して本当の反省のプレッシャーはなかったという感じがしました。今、中国とか韓国は経済力がドンドン強くなってきて、政治も、まあ、ある程度透明になって良くなっているので、これから日本もアジア諸国の感情を考えなきゃいけないんじゃないかと思います。だから9条は、これから意義を持つのではないかと思います。
後藤 諭 軍隊の話が先ほど出ましたが、これは警察と一緒だと正直考えています。本当は、警察が不要な世の中になるのが理想ですが、警察がいるからこそ泥棒をしない。そんな意味で、専守防衛に徹した自衛隊、その枠組を壊さないような法律、憲法に変えてみてはどうかという意見です。それが難しいというのは、今までの歴史上、日本という国が憲法の解釈を変えることでまやかしを続けてきたということがあるかもしれません。そうすると、逆に軍隊を、自衛隊をなくすということと、また米軍の基地を全てなくしてしまうということが現実的に可能なのかということもまた考えていかなければいけない問題だとは思います。
反省ということは、やはり主観的なものであって、客観的になかなか評価されないところがあります。先ほど小出先生が言われたように、特に韓国や中国の方が日本に対して反日であるということは、当然の前提であるとして、接していく姿勢というのはやはり大事かなと思います。本当に、心の底からやはり反省する、反省した上で、例えば韓国のスターがブームになったり、中国の映画が入ってきたりと、そういうような文化の交流等も今、積極的に活発に行われるようになってきましたので、自然とそういう雪解けの方向になっていくのかなと思っております。なかなかそういうふうにならないのが悲しいですけどもね。




会場からの発言
司 会 会場の皆さんから意見を伺います。
会場(浅岡) 日本の若者に申し上げたいのは、自分の歴史観、日本人というアイデンティティーを持ってほしい、と思います。
会場(高橋) 先ほど台湾のリンさんが客観的反省というふうにおっしゃいました。客観的反省は次の6つだと思います。1つは加害事実を素直に認める。2つ、その認めた内容を全面的に公表、公開し、未解明な点は付言もする。3番目、記録と保存をきちんとする。4番目、加害責任についてはきちんとした物理的責任をとる。5つ目、次の世代へ伝えるために、教科書へきちっと記述をする。最後ですが、きちんとした責任をとらない、歴史に嘘をつくような国会議員は選ばない。
お若い方には戦争責任はありません。が、現状を許しているという意味では若い人にも責任がある。これが戦後責任です。




コメンテーターからの意見
司 会 最後に、コメンテーターの3名の方から今日の議論の感想を交えたご意見をお伺いしたいと思います。
小出宣昭 私自身も大変刺激になりましたし、それぞれ違うなという感じを持ちました。討論の中で若い人達の中から、リアリストだとか、理想と現実という言葉が何度か飛び交ったんです。憲法9条に関してが多かったんです。私も60になりましたが、若い人に一番言いたいのは、リアリストの人生って短いよということです。リアリズムだけで生きていると、あっという間に時間が経ってしまう。人間は若干のロマンを持たないと新しいものを生み出すことはできないし、生きる活力みたいなものもなかなか沸いてこない。せめて若い頃は、かなりのロマンを持って物を考えてほしい。理想と現実でぶつかった場合は、可能な範囲で理想の方をちょっとだけ優先するということが、まあ歳を重ねた者からのアドバイスです。
それから理想と現実に繋がる話ですけれども、30数年新聞記者をやってますと、様々な人間の姿というのも嫌になるほど見るわけです、基本的に、やっぱり人間というのは上半身だけで生きているんじゃないと。もう常に下半身をぶら下げて生きているんですね。国家もそうです。上半身と下半身があって、それで時々下半身がむき出しになると、これはもういがみ合いになるわけです。それで常に上半身と下半身のぶつかり合いで、これはもう人間存在自体がそういうふうになっています。まあとにかく人間とか、それから国際社会というものは、上半身だけで生きているんじゃないというので、そこで下半身というのが、リアリズムというのが出ていると思うんですけど、これをどう制御できるか、この下半身を制御できるのは動物の中でも多分人間ぐらいしかいないと思うので、下半身をどう制御できるかという点から、僕は憲法9条というのをもう1回考えてみたいというふうに思っています。
児玉克哉 途中で自虐史観の問題が出ました。謝ってばかりいていいのかとかいう、この議論はかなり出ていました。ある意味、理解できる話です。ずっと謝っていると嫌になってくる。いつまで謝ればいいのかと。自分達が悪いことをずっと言うのは、きついじゃないかと。会場から整理された指摘がありましたが、これをやるというのはすごい大変なことです。加害者として認めて謝っていく。これをやるには、私達が誇りを持たなきゃいけないんです。つまり、新しい日本を作っているんだと、これを作ったんだと、これだけのことをやっているんだと、これができなかったから、これができないから、日本が日本であるということを本当に誇れないから謝るのが嫌になるんです。ですから先ほどNGOの話もしましたし、国連の改革であろうと何であろうと、日本がこれだけ主導権を持って、世界に先駆けてこういうことをやっているんだという、世界に出た時に誇れるものを作らなければ、この加害を認めて謝ってということに行かない。これを出さないと、やはり自虐史観という声というのは強くなって、もう謝るのは止めようよとなるんです。自分に誇りを持って、自分達のやっていることに自信を持って、これが日本がまさに世界に貢献しているんだということが理解できるならば、過去について色々なことを謝るということに全然自虐はないはずです。むしろそれが新しい世界を作ったということになるんだろうと思うんですね。
愛敬浩二 リンさんが先ほどおっしゃったことに、ちょっとコメントをして僕の意見としたいんですけれども、よく日本と比べてドイツの話がされます。日本人は駄目でドイツ人は偉いと聞こえるんですが、僕はそうは思っていないんですね。それは何故そうかと言いますと、ドイツは、ドイツの責任を追及する国がそばにあったんです。フランスです。もう一つはイスラエルという国を抱えていました。西側にドイツの戦争責任を徹底的に追及する国があったわけです。さらにアメリカに亡命したドイツ知識人もいます。ユダヤ人ですけれども、旧ドイツのユダヤ人が沢山いました。このように、ドイツの責任を追及する人達が西側にいる。その状況の中でドイツは戦争責任をちゃんと果たしてきた面はあると思うんです。そういう条件があった。敢えて言いますが、日本には不幸にもその条件がなかったと僕は思っているんです。と言いますのは、日本は冷戦の前線として、まああれですよね、攻めていった先が先ず、北朝鮮、韓国という形に分断してしまう形になる。さらに中国は共産主義化する。それから様々な地域は軍事的な形で政権が維持される形になっていく。そういう状況の中で、アメリカが日本の戦争責任を穏やかに見てくれましたよね。典型的なのが1965年の日韓条約ですけれども、甘やかしてくれたわけですよ。ところが、もうアメリカは絶対に甘やかしてくれません。冷戦が終わってしまいましたから。ということで、中国・韓国でも民主化が進む、アジアで民主化が進むこと、それから冷戦が終わってアメリカが最早外交的に日本をこの問題に関しては甘やかしてくれないこと。その状況で、今、日本は辛い状況にあるのかもしれません。でもドイツは戦後これを耐え抜くことによって、今EUではかなり重要な国になってきていますよね。そうならば、日本は、今こそ努力しませんかと僕は言いたいんです。
この問題を清算することなしに憲法9条を変えてしまえば、それはまた信頼を回復するのは相当きつくなります。ならば憲法9条を変えない、即ち何か意見の不一致があっても、それから利害の対立があっても、それはタフに交渉はするけれども、殴らないっていう証文を出した状況の下で、信頼関係を何とか日本の側から作っていくっていうこと、これが今、一番重要だと思います。もしその信頼関係ができたあとで、じゃあ憲法9条をどうするかっていうことを語るのであるならば、それはまた語ればいいことではないかと僕自身は思っています。











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