会報「SOPHIA」 平成17年12月号より

【特集】アジアの平和と日本国憲法を考える
新たな発想で切り開く平和主義の道

三重大学教授 児 玉 克 哉
 

 私は、どちらかと言えば挑発的な意見を敢えて申し上げたい。

 私は、まず憲法9条を考えるのではなく、前文を基本に考える。憲法9条があるからというのではなく、どうすれば、憲法の前文にあるような、恒久の平和を念願し、諸国民の公正と信義に信頼するような世界ができるのかを考える必要がある。これを私たちもしてこなかったのではないか。いわゆる革新と言われる側も、非武装中立を言うだけで、具体的に自分たちがどういう形で日本の防衛、アジアの安全保障をやっていこうとしているのか、政策提言をしてこなかった。

 私は、軍事に目をそらしてはいけないと思う。軍事に目をそらしたら、軍事は勝手にいろいろなところへ行く。

 自衛隊を私たちのものにする、自衛隊を私たちがコントロールするところまで行く必要がある。脅威があるからドンドン軍事で行くという安易な現実主義も問題だが、安易な理想主義、平和主義は、むしろ安易な現実主義を助ける役割を果たすことになりかねない。

 要するに、オルターナティブ、平和のためのシステムを作る必要がある。

 私は、こういう立場から、ジャーナリストの前田哲男さんらととともに非攻撃的防衛という構想を出した。この構想には、いくつかのポイントがあるが、第1に、防御のための防御を認める。攻撃は出来ないという形にする。相手がピストルを持っているからこちらもピストルを持つというのでなく、防弾チョッキをつけて握手していくという発想であり、1980年代にヨーロッパで出た発想である。

 第2に、国連主義をもっと徹底させる。日本は国連主義を言ってきたが、本当に国連主義だったのか、また国連をどのように変えようとしているのか見えてこない。第3に、NGO主義。この7月にGPAG、武力紛争予防のためのNGOのネットワーク形成のための会議が行われた。スウェーデン、オランダは政府が随分大きなお金を出したが、日本はいろいろなところが政府に連絡したが返事もこない。日本はもっともっとNGOに関わる必要がある。防衛の予算のつもりで10億円出したら、どれだけ世界の平和のためになるのか。国の安全保障という面でも、NGO主義は大きなオルターナティブになる。

 そして、共通の安全保障という考え方がある。AグループとBグループがあれば、AグループがBグループに対してみんなで防衛していこうというのが集団防衛の考え方。これは基本的に敵対を考える。そうではなくて、全ての国が、例えばアジアの地域の全ての国が参加した形で、みんなが信頼醸成をしていく、各国が軍備を見せ合いながら信頼醸成をしていく、これが共通の安全保障という考え方だ。

 こういう発想をベースにして、自衛隊を日本平和機構に改変し、より具体的に相手を攻撃しないような形でどのような防衛システムが出来るのかを考えるべきである。

 アメリカの戦略は、極めて攻撃的な戦略である。そこに引きづられて世界が本当に平和になるのか。むしろ、極めて危険な状態になる。

 アジア諸国、あるいは国連でミドルパワーと呼ばれているカナダとかスウェーデン、オーストラリアといった国々と一緒になって、新しい世界の展望、安全保障のあり方を示す必要がある。









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