会報「SOPHIA」 平成17年12月号より

【特集】アジアの平和と日本国憲法を考える
アジアの中の日本、憲法9条の心について

(株)中日新聞社 常務取締役 小 出 宣 昭
 

 私は37年間の新聞記者としての取材体験を通じて感じたことを述べたい。

 まず、アジアと日本の関係について。日本は、明治維新になってから脱亜入欧を国策の中心としてきた。明治天皇以来、天皇は和服を着ない、天皇家の朝食はブリティッシュブレックファースト。アジアを抜け出してヨ ーロッパに入る。明治以降の近代化は、西欧化だった。これが表面から見ると日本の繁栄を支える分岐点、要因になった。

 アメリカが空爆したイラクの映像を見ても、背広にネクタイで逃げている男子はいない。

 アジアの国々から見れば、日本だけがアジアの裏切り者とまでは言わないが、違う方向を向いた国に見えるのは当たり前だと思う。

 脱亜入欧で走ってきた日本は、都合が悪くなると、「入亜」を繰り返した。アジアに入る。戦前は、大東亜共栄圏と言った。戦争に負けて失敗すると、入亜をやめて入米になった。とことんアメリカにのめり込んだ。それではいかんとなって、東南アジアへの経済進出になった。これが第2の「入亜」。最近は、中国市場。これまでの入亜は、戦前は軍事力と物、戦後は物があった。しかし、本当に俺達がアジアと一緒にやってみたい、苦労してみたいという「心」があったか。本当に薄かったというのが現実だと思う。日本のアジア政策は方法論で悉く失敗してきた。

 平和というのは、まず心の問題だ。日本製品ではダメ。人間が行って、心と心が繋がらないと。アジアと日本という大きな枠組みの中で冷静に考えないと、これから非常に不安定な時代になるだろう。我々はヨーロッパ人ではない。血のつながりといったら多分日本は圧倒的にアジアだ。

 二つ目は、日中戦争から太平洋戦争に至る15年戦争だ。歴史は清算できない。清算できるのは借金だけだ。日本民族として、それをしっかり受け止める、踏まえる。その象徴が多分憲法9条と前文だと思う。

 9条で国が守れるのか、という論理は正当なものを含んでいる。ただ、過去、憲法によって戦争に負けた、勝ったという例はない。国防を第1に考えた憲法は大日本帝国憲法、完璧に国防を重視した憲法だったが、そのもとで国は滅んだ。ドイツは、ワイマール憲法という民主的、平和的な憲法を持ったが、ヒトラーが生まれ、ドイツは破滅した。軍事力、これを支える国民の意思、戦争に正義があるか否かという問題もある。

 私の感想では、憲法というのは国民のマインドの問題だ。戦後の日本は宗教的な信念は強くない。平和憲法が日本人の規範というものを形作った。ある種のバイブルだ。これをそう簡単に変えていいのか。アジアから信頼されていなかった日本が二度とアジアを攻めないという身の証が9条。これを変えるなら、アジアからの信頼を失うというコストを覚悟する必要がある。

 北朝鮮の脅威を言うが、自分で板門店の38度線を歩いて見たところ、米軍がジョークを飛ばしていた。本当に緊張が有れば、そんなジョークは出ない。中国の軍事力はその数百倍ある。中国の軍事力を脅威と感じなくしたのが、政治と外交の力だ。

 万一、将来、憲法を変えるという意見が多数になったとしても、現在の憲法、平和憲法のマインドは大変な国民的財産だ。このマインドまで変える事態になったら、僕は体を張って戦いましょう。







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