会報「SOPHIA」 平成17年11月号より

刑事弁護人日記(26)
裁判官と弁護人とが一致して信じた被告人の更生の決意

会 員 後 藤 潤一郎
 

  1. 私が今年6月ころに地裁から選任された、ある国選事件を紹介したい。


  2. 被告人は年齢46歳の独身男性。起訴罪名は常習累犯窃盗で、典型的な学校荒らしであり、事件記録を読み進んでいくと前刑の執行終了後1月ほどの間に、名古屋市内の小学校・中学校にほぼ連日忍び込み、明け方に職員室内に侵入して教職員の管理する金銭等を盗んで暮らしていたことが理解された。起訴されたのは3件だが余罪が30件以上あった。

     因みに被告人は、少年時代の審判も含めるとほとんど学校荒らし事案ばかりで10件を超える前科前歴があり、刑務所暮らしも成人以後の人生の約半分ほどに及んでいた。6つ前の判決から罪名が常習累犯窃盗になり、今回の公訴事実に記載された過去3回の前科は懲役3年6月、同4年、同4年2月と順々に重く、いずれも実刑に処せられたとある。

     今回の公訴事実は、数千円の金銭と給食の残りものや牛乳を飲食して窃取したというものであった。

     当初2回ほど面会して自白事案であることも分かり、被告人も「最近は学校の防犯設備が発達してすぐにベルが鳴るし、教職員も用心してお金を職員室に置いておかないので割に合わないようになってきた」「こんなことしていたらいつかは見つかるし捕まれば懲役実刑になることは分かっているけど、この年で技術もないし止められなかった」「もう止める」と言っていた。また、懲役4年半以上は覚悟しているとも語った。

     私としては「止めると言うが、そう簡単ではないだろう?金が取れなくなってきたから窃盗を止める、なんてことを裁判官が信用すると思うか?」との疑問を払拭することはできなかった。そして被告人にも率直にその旨伝えておいた。


  3. ここから弁護人と被告人の苦闘が始まる。

     まず私は、被告人に私宛の手紙を作成するよう示唆した。内容はなぜこのような犯行を重ねたのか、今後犯罪に至らないために何が必要と考えるかについてである。

     これと平行して、被告人との接見を通じて「反省」を何と考えるかの議論を開始した。

     被告人は、印象として非力、非暴力的であり、覇気がない。実父は配管業を営んでいると思われるが再婚しており、被告人はその義母との折り合いが悪くて成人以後ほとんど実家とは接触がなく、実父は遠い過去の事件に証人や身元引受人等として関与をした程度で、以後の前科につながる裁判には全く関係していない。

  4. 私は、反省というのは次のような状態を意味すると考えている。
    • まず現在の自己(A)を行為直前の自己(a)に直面させる。

    • Aとしてaに行為を阻止し得るために何が必要かを考える。

    • aがこれに反抗するとした場合の「抗弁」は何かを考える。

    • Aとしてその「再抗弁」を考える。これは別の選択肢が発見できるかどうかの問題である。その選択肢は遠いものからまさに犯罪直前までの範囲で存在する。今の自分(A)ならどの時点で犯罪阻止の選択肢を用意できるかということになる。

    • 以上の作業には後悔の情緒は必要だが、謝罪の念は不要と考えている。謝罪という心情には必ず「しかし自分は・・・」という、過去を引き摺る側面が残る。この作業で必要なのは、過去の自分が見えなかった、論理的に犯罪に走る以外の別の選択肢を探し出すことと考えている。

  5. この被告人がずっと学校忍び込みばかりしてきたことは、ある意味では違法性が深化していないとも見え、その常習性を本人として克服するのに何が必要なのかが主要な情状であると考えられた。

     被告人とは次のような観点での議論を交わしてきた。

     即ち、第1に、「忍び込み」以外に生活を維持する方法は無かったのかどうか?第2に、その方法が念頭にあったとしても実行できなかった理由は何か?第3に、今後の生活の担保、ないし犯罪をしない生活をする上での今までと異なる姿勢の根拠をどこに置くか?

     この議論をする中で、私が特に感じたのは、いかにも忍び込みが安易だということであった。「君は、例えばホームレスになってでも犯罪はしない、というような決意は持てないのか?あるいは父親にどんなに冷たくされようと、父親の庇護を受けてでも犯罪から遠ざかろうとは思わないのか?」と、暗に「被告人の見栄や弱さ」が犯罪に近づく心境に潤滑油を注いでいたことを指摘してきた。そしてこの内容で被告人質問を実施した。


  6. 私は、裁判官には率直にそのような内容−即ち、未だ反省の完成には至っていないが、少なくとも入り口には来ていること−の尋問を行い、同様な弁論要旨を提出した。裁判官は、非常な関心をもって尋問を聞き、次に述べるような弁論再開の申請を受け容れた。

     本人に弁論要旨を差し入れたことが、弁論再開申請の前段をなしている。

     被告人は、差し入れた弁論要旨に対し次のような手紙を私に送ってくれた。「私のような人間を、あそこまで見抜き弁護して頂いたことに深く感謝しております。出所後はかならず父と会い、仕事のことや身の振り方について相談しようと思います。弁論要旨は再犯防止としてのブレーキになってくれると思いますので一生持って行きます。・・・下らないプライドは捨てます。たとえホームレスになっても犯罪はしません。判決で何年きてもおどろきやショックはありません・・・」

     この手紙を読んで、これは是非裁判官に見て貰わなければ・・・と思ったのは、被告人質問以後にも自ら反省を深めたと感じられたからである。

     弁護人が指示したことと被告人が受容できたこととに一定の間隔が生ずるのは当然ではあるが、このように正にドンピシャで被告人が受け止めてくれたことに感激した。反省についての前記4のような捉え方が正しいかどうかの自信はないが、被告人が自らの諫めを自らの言葉で用意できたことは何とかして裁判官に伝えたい!というわけで、この手紙を証拠として取り調べて貰おうと弁論再開の申立をしてみた。

     裁判官は地裁2部伊藤部総括裁判官(単独審理)である。受理された。


  7. 伊藤裁判官の回答は、次の判決文に明快である。

     「被告人は、今回限りで犯罪行為をやめようと決意しているところ、弁護人の粘り強い働きかけの影響もあり、これまで無縁のままできた父親に手紙を出し、自分の恥をさらけ出してでも援助を受け立ち直ろうという気持ちに至っており、出所後は頭を下げて援助を求める旨述べている。これはこれまでの被告人の態度とは異なるものとして評価すべきである。

     そこで、今回は、被告人の更生への決意に依拠して、被告人に対する最後の判決になることを期待しつつ、懲役4年に留めることとした。」


  8. この判決文もまた被告人の更生の縁になると信じ、私はまた判決文を被告人に差し入れた。被告人は再度次のような手紙を送ってきた。

     「まさか判決で4年になるとは、前回より軽くなるとは思いませんでした。・・4年と言われ、うれしいを通りこして感動しております。・・重くなるどころか逆に軽くなりました。公判が終わって、地下にある待機部屋に行くまで私は「信じられない」という言葉を何回も口にしました。いつも判決の時は待機部屋で落ち込んでいましたが、今回は執行猶予でも貰ったようなうれしさと感動で興奮しました。「こんな事もあるんだな」とつぶやいていました。・・出所後は生まれ変わるつもりで頑張っていこうと思っています。・・・」

     私は、仮に被告人自身が将来においてこの決意や情念を翻したとしても、この時点でのこの決意は本物だと思いたい。伊藤裁判官も同様な思い方をしたと思う。だからこそ、「最後の判決になることを期待する」という異例な書き方で、人として自然な励ましを被告人に掛けたのであろう。

     このような被告人に巡り会い、そしてこのような反省の決意を見抜いた裁判官に出会えた。だから刑事弁護は止められない。







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