会報「SOPHIA」 平成17年10月号より

子どもの事件の現場から(41)

 10ヶ月間、少年と向き合って

会員 間 宮 静 香

 8月下旬、私が初めて担当した少年が少年院送致となった。  そもそも、彼との出会いは昨年の11月。登録間もない私に先輩弁護士から少年事件をやらないかというメールが届いたことがきっかけだった。少年事件がやりたいと思って弁護士を目指した私にとって、それはまたとない機会であり、すぐに引き受けることにした。

 被疑事実は傷害。友人を殴ったというものである。前件の審判後数ヶ月の事件であり、このまま鑑別所に送致されれば少年院送致は免れないと考えられた。しかし、当時少年は中学生であったこと、友人同士のケンカであったこと、中学校と警察が少年を問題児として目の敵のように扱っていたこと等から、鑑別所送致は不必要であると主張し、幸運にも在宅事件とすることができた。

 しかし、そのときの私には、在宅事件の難しさをわかっていなかった。

 もともと自己表現が苦手な少年であり、たまに会って話をしても、電話をかけても、私の質問に対し「わからない」を連発した。口数が少なく、様々な角度で質問をしてみるも、反応はにぶく、児童福祉士の先生と調査官の助けを借りて、私と少年はかろうじて細い糸でつながっているといった状態だった。

 そうこうしている内に、1回目審判の日を迎えた。

 その日、少年は制服を着て家裁に現れた。ふと少年の足下に目をやると、白いはずのスニーカーが傷だらけになってボロボロになっていた。そのことを指摘した私に対し、少年の母親がつい最近買ったばかりのスニーカーであることを教えてくれた。  そのとき、自分で言葉に表現できないどうにもならない気持ちを、物を蹴ることでしか表現できない少年の姿が浮かび、その傷だらけのスニーカーと心に傷を負った少年が重なって見えた。そして、審判までにもっと少年の力になることができたのではないかと猛烈に後悔した。

 その日の審判で試験観察になった少年ではあったが、試験観察中、勤め先からいなくなり連絡が取れなくなったり、家出をしたり等、紆余曲折を経た。しかし、審判の前には、少年の自宅で穏やかな笑顔を見せてくれ、児童福祉士の先生の助けを得て児童相談所長送致の処分となった。

 ところが、審判から1ヶ月ほど経ったある日、少年が審判前の事件で逮捕されたとの連絡があった。すぐに接見に行った私を、少年は少し照れたような顔で迎えてくれた。そして、その日を境に、少年の「わからない」という言葉は減り、自己表現が苦手な彼が一生懸命自分の考えたことを私に伝えようとしてくれるようになった。

 職場から姿を消してしまったとき、家出をして連絡が取れなくなったとき、警察に任意同行されたとき、話をしていても彼の言葉が出てこなかったとき、スニーカーを見たとき・・・幾度となく、在宅事件じゃなかった方が彼のプラスになったのでは、もう少し何かできたのでは、と頭をよぎった。しかし、この10ヶ月間、在宅事件であったからこその前進を少年なりにすることができたと思うし、それは決して無駄にはならないと確信している。

 あれから数ヶ月経った。少年院に会いに行ったとき、彼がどんな顔で迎えてくれるか楽しみである。







行事案内とおしらせ 意見表明