会報「SOPHIA」 平成17年10月号より

司法シンポジウム
「ロースクールは日本において成功するか」

司法問題対策特別委員会 委員   森 山 文 昭
 


第1 シンポの概要
 2005年10月3日、司法問題対策特別委員会主催のシンポジウム「ロースクールは日本において成功するか」が、弁護士会館5階ホールで開催された。第1部は、鈴木仁志弁護士(東京弁護士会会員)の基調講演、第2部は、当会会員の実務家教員によるパネルディスカッションであった。 
 鈴木弁護士は、アメリカ留学のご経験もお持ちであり、日本の近未来における法科大学院のあり方を想定した小説『司法占領』(講談社)の著者としても名高い。講演では、法科大学院制度を含む日本の司法改革は、基本的にアメリカの対日要求に基づくものであること、アメリカのロースクールではマイノリティーや低所得者層はほとんど見かけることができず、やがて日本でもそうなっていくのではないか等、大変興味深いお話を伺うことができた。 
 第2部のパネルディスカッションは、パネリストに愛知大学から榎本修会員、中京大学から木村良夫会員、名古屋大学から蜂須賀太郎会員、南山大学から木下芳宣会員(大学名の五十音順)をお迎えし、私が司会を務めて進行させていただいた。それぞれ、様々な矛盾を抱えながら奮闘しておられる姿が赤裸々に語られた。 
 今回は、私が言いたいことを思う存分書くようにという、大変有り難い仰せをいただいたので、以下、当日の討論の順序に沿って拙見を開陳しながら、シンポジウムの議論を振り返ってみることにしたい。


第2 法科大学院制度の3つの矛盾
 法科大学院制度は言うまでもなく、アメリカのロースクールをまねて作られたものである。しかし、アメリカと日本では、司法制度も違えば、大学制度も法曹養成制度も違う。それを無視して制度を直輸入したため、以下に述べるような解決しがたい根本的な矛盾が発生しているように思う(他にもまだあるが、紙数の関係で省略する)。

  1. 合格率に関する矛盾

  2.  新司法試験は、基本的には法科大学院を卒業しなければ受験できない仕組みになっている(予備試験の合格という、非常にか細いバイパスルートは残されているが)。しかし、法科大学院を卒業しても、司法試験に合格できるのは、初年度で約4割、その後は徐々に下がって最終的には約2〜3割と予想されている。そのため、学生は「もし司法試験に受からなかったらどうしよう」という不安にさいなまれ、日々緊張した生活を強いられている。その結果、故障者や休学・退学者も続出している。現行司法試験よりは合格率が高くなるのだから、これまでより恵まれているのではないかとのパネリストのご意見もあったが、私としては気の毒でならないというのが正直な心情である。 
     こうした学生の現状は、いやが上にも法科大学院の予備校化を促進せざるを得ない。それを避けるためには、法科大学院を卒業すれば大半が司法試験に合格できるようにするしかないが、そうすると法曹の質が担保できなくなる危険がある。これは、現在の制度を前提とする限り、解決不能の矛盾である。 
     法科大学院の入学者選抜の段階で人数を絞ればいいではないかという見解もある。しかし、次の2でも触れるが、現在の制度は未修者(3年コース)を原則としており、入学者は法律を知らないことを建前としているので、法律試験を実施することができない。したがって、論理的思考力や長文読解力等を見る知能テストのような試験(統一適性試験)をするのだが、これでいい成績を修めたからといって、法律ができるようになるとは限らない。入り口で絞っただけでは、法曹の質を確保することはできないのである。 
     アメリカのロースクールは、入り口でも出口でも絞らない。この点に関して、講師の鈴木弁護士は「アメリカは判例法の国であり、弁護士にとって必要なのは判例検索能力である。これは、誰でも訓練を積めばできるようになる。しかし、日本のように成文法の国では、法体系を理解することが重要であり、誰でも弁護士ができるというわけにはいかないだろう」と述べられた。

  3. 未修者を原則とする制度の矛盾

  4.  法科大学院では、なぜ未修者が原則とされているのか。それは、アメリカのロースクールをまねたからである。しかし、アメリカには法学部がない。すべての学生がロースクールで初めて法律を学ぶのである。これに対し日本には法学部があるので、法曹を志す人はたいてい法学部に入学している。したがって、一口に未修者と言っても、すでにある程度法律の勉強をしたことのある「隠れ既修者」と、本当に初めて法律を勉強する「純粋未修者」とに分かれることになる。
      この2種類の学生が同じ条件で学ぶことになるので、「純粋未修者」は大変である。なかなか着いて行けないので、悲鳴を上げることになる。これは授業をする方にとっても大変なことで、パネリストからもこの点に関する苦労話が吐露された。 
     未修者は3年かかって卒業するが、法律試験に合格した既修者は2年で卒業する。つまり、3年コースの1年目を飛ばして、入学した最初の年から2年生として出発する制度となっている。これは、未修者の側から見ると、基本的な法律科目については、1年間ですべて修得し、司法試験を何年も受験してきた既修者と同じレベルに達しなければならないことを意味している。しかし、それは大変なことである。 
     2年生になると、ひととおり分かっていることを前提とした演習主体の授業になる。講義で基本的な問題を教えてもらうような機会は少なくなる。もともと未修者にとって、3年で司法試験に合格できるレベルに到達しようとすること自体、大変なことなのである。

  5. 実務教育に関する矛盾

  6.  法科大学院では常に実務と理論の架橋を意識し、前期修習が廃止されることに伴い、少なくともこれに代わる実務教育は行わなければならないことになっている。実は、学生は実務科目にも大きな関心を持っている。これは、学生の健全性の現れでもある。しかし、実務科目は司法試験に出題されないので、学生としては実務科目にそれほど時間をかけている余裕はない。したがって、実務科目でボリュームのある課題(宿題)を出されると、司法試験科目の勉強に時間を割くことができなくなり、学生は悩めるハムレットの心境を味わうことになる。 
     これは、教える側からしても悩ましい問題である。もともと理論教育をしっかりやるには、3年でも時間が足りないくらいである。そこへ実務教育までやらなければならないということになると、ますます時間は足らなくなる。また、司法試験に合格するかどうか分からない段階で実務を教えることが、果たして教育効果として優れていると言えるだろうかという疑問もある。パネルディスカッションでも、多くのパネリストから「現状では、実務科目を教えるのは非常に難しい」ということがこもごも語られた。

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 法科大学院のいいところと具体的な改革提言については、機会があれば、改めて別に述べたいと思う。






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