会報「SOPHIA」 平成17年8月号より

「中国残留孤児国賠訴訟」弁護団紹介
  苦労し続けの孤児とともに、苦労を買って出る弁護士集団のご苦労奮闘記

中国残留孤児東海訴訟弁護団事務局
次長 北 村   栄

1 中国残留孤児訴訟とは

 中国残留孤児訴訟とは、日本に帰国した残留孤児たちが国を相手に一人3300万円の損害賠償を求めて提訴した訴訟です。帰国した孤児総数は約2500人と言われていますが、その8割以上の2000人を超える孤児が全国15地裁で提訴している大型訴訟で、名古屋地裁でも、名古屋を中心に、岐阜、三重、静岡、北陸の各県も含めて合計209人の原告が2003年の9月24日の第1次提訴から4次にわたって提訴しています。  国が孤児たちの老後の生活の心配ないように特別立法などすればよかったのですが、国は全くそのようなことをしなかったために全体の6割を超える孤児たちが生活保護を受けているという異常な事態となっています。そのため、孤児たちは国に請願運動をしたところ、聞き入れられずやむなく一定金額の賠償金の請求の形で提訴をしたのですが、一番の狙いは生活保護ではなく孤児にふさわしい制度を作ってもらいたいということなのです。


2 孤児たちの苦労

 孤児達は一言で言えば、生まれてから一生苦労し続けてきた人、と言うことが出来るでしょう。私達弁護士は普段、苦労をした人や悩んでいる人を相手にしますが、関東軍に見放され長期の死の逃避行を余儀なくされ、親とも死に別れ、幼少から過酷な労働を強いられ学校にも十分行けず、周りからは日本人の鬼の子呼ばわりされ差別を受け、やっとの思いで日本に帰ったら、十分な支援も受けられず、言葉がわからず、中国人だと差別を受け、年金も月額2万円しかなく、あれほどあこがれた日本が冷たい祖国にしか写らなかった孤児達程どの時期をとっても苦労続きの人はいないと思われます。


3 弁護団員集めの苦労

2002年東海地区の孤児達は、国の請願も聞き入れられないため最後の手段として提訴を決意し決起集会を開きました。偶々、それをテレビのニュースで見ていた私は、「まだ弁護士が決まっていないのでこれから弁護士探しをする」との言葉を聞いて、その時は自分がやることになるとは全く思わず、この事件の代理人になると大変だろうなあ、なり手がいるのかなあと、人ごとのように考えていました。
 それからしばらく経ったある日、現弁護団事務局長の瀧康暢会員から、「東京の同期からの要請で残留孤児の東海地区の弁護団員を集めて欲しいと言われたので北村さんも一緒に協力して欲しい」と言われ、親しい瀧さん故断ることも出来ず結局二人で弁護団員探しが始まりました。
 まず、中国に詳しい浅井正会員(現弁護団幹事長)が加わり、その後トップの団長にふさわしい方をと、小栗孝夫会員に団長になって頂くようお願いに上がりました。その後、何人か集まってくれましたが、平均年齢が60歳近くになってしまったので、若手を何とか入れなくてはと、ビラを配ったり、個別に事務所に突撃訪問して若手会員にも参加して頂き、常任弁護団としては20名を超える弁護団が何とか出来上がりました。しかし、後で述べるように猫の手も借りたい状態です。


4 お金の苦労

 残留孤児達は全くお金がありません。原告の集会等のために当初1万円を集めたそうですが、裁判の費用ではないので、実費が全くない状態で始まりました。そこで、弁護士会の人権基金にお願いしました。当初100万円が上限だと聞いていましたが、申請当時2次訴訟まで起こしていたので、2つの事件として200万円出して頂いたのは本当にありがたかったです。
 しかし、これもすぐになくなってしまいました。残留孤児の殆どが日本語が出来ないので通訳費用がかかるのです。当初通訳さんも交通費だけでお願いしてましたが、さすがに日曜日一日をつぶしてこれでは失礼だということになり、1日1万円でやってもらってます。が、これも本来の通訳費用からすれば格安です。また、東京の全国弁護団会議出席、東京在住の証人との打ち合わせ、金沢、新潟、静岡等に住む孤児の出張聞き取りなどの交通費だけでも費用はかさむ一方です。また、聞き取りの会場費も当初かかりましたが、私の事務所が相談室を10部屋を同時に使えるように拡張したので、事務所を利用し土日に聞き取りを集中させ会場費をうかせています。しかし、これでも足りず団長を初め弁護団から一人ウン十万円を取りあえず拠出してもらっています。しかし、これらも含めて既に使い切り、また3次4次分として人権基金にお願いしなければならなくなっています。なお、訴訟提訴時には当会会員にカンパを募りましたが、多数の方が協力くださりました。個別にお礼を言うことが全く出来ませんでしたので、この場を借りてお礼を言わせて頂きます。


5 聞き取りの苦労

 孤児達は日本語が殆ど出来ないので、通訳が必ず必要になります。また、陳述書に書くべき内容は孤児の小さい頃から現在までの苦労ですから記載する内容も長期間にわたります。こんな調子ですから、3時間の聞き取り1回では到底陳述書は完成しないので3回は聞き取りします。そして、原告ごとに陳述書を作成することになるので200通を超えることになります。先日証拠調べが終了し、3次訴訟までの原告全員の陳述書の提出が必要となったので10月をめどに何と150人もの陳述書を作る必要が生じました。このため、この夏には弁護団全員に瀧事務局長から「7、8月の土日を全部あけておいて欲しい」との恐ろしい通達がなされました。これにより、弁護団員は今年は大変ご苦労な夏となりました。


6 勝訴判決獲得の苦労

 本件は国賠訴訟ですので国の義務違反と損害がなければなりません。弁護団が主張しているのは、国がもっと早く帰国させるべきだったが怠ったという「早期帰国実現義務違反」と、帰国してから日本語教育などもっとしっかり自立支援をすべきだったのにしなかったという「自立支援義務違反」の2点です。
 しかし、早期帰国実現義務違反の根拠をどこに求めるか、いつ頃から義務違反といえるのかという問題もあり、理論的な難解な問題がたくさんあります。  全国15地裁のトップを切って7月6日に大阪地裁にて初めて判決が出されました。大阪の弁護団は裁判長の訴訟指揮からしても勝訴判決を確信していたようでしたが、結果は残念ながら全面棄却の敗訴判決でした。


7 原告・弁護団の奮闘と今後の展開

 期待していた大阪判決も孤児の声を聞いてくれず、原告達は「冷たい祖国」の「冷たい判決」に落胆しましたが、すぐに気持ちを切り替え、敗訴判決で孤児の苦労を全国に知られたことを契機として、再び立ち上がりました。街頭署名、国会議員への要請などを原告と弁護団が協力して精力的に行ってきた結果、与野党の国会議員がようやく声を聞き入れ、動いてくれるようになりました。特にこの事件は国賠が最終目的ではなく、孤児が老後を心配しないように暮らせる立法政策を求めてのことですから、やっとその道が開けてきたということになります。孤児も弁護団も頑張るのは今だとの思いで、苦労ももう少しと希望を持って頑張っていこうとしています。






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