会報「SOPHIA」 平成17年7月号より


命ある限り闘い続ける〜名張毒ぶどう酒事件シンポに参加して

会員  阪野公夫

1 名張、はるかなり 
 私は修習生時代に、いわゆる名張毒ぶどう酒事件が起きた事件現場に赴いたことがある。そこは三重県の近鉄名張駅からさらに奈良県境に入った静かな山間の小集落の公民館(現在は取り壊されている)であった。昭和36年3月28日、この公民館で開催された懇親会の席上、参加者が農薬(テップ剤)の混入されたぶどう酒を飲み、結果5人死亡、12人重軽傷という殺人事件が発生した。
 昭和49年に名古屋で生まれた私は、3月の春の風薫る公民館跡地に立ちつくし、遥か遠くの事件に対して茫漠とした思いを抱いた。
 同時に、事件当初否認していたものの捜査段階で自白し、その後公判では一貫して無罪を叫び続けている奥西勝さん(事件当時35歳)が現在79歳となり、昭和39年に第1審で無罪判決を得ながら昭和44年に第2審で死刑判決を受け、その後、死と直面したまま人生の過半を過ごしている事実に慄然とした。

2 シンポ開催
 平成17年4月5日、名古屋高裁は本件について再審開始の決定を行った。
 事件発生から44年、奥西さんの第1審無罪判決から41年目にしてようやく遅い春が到来した。
 この再審開始決定を受け、「41年目の無罪−名張毒ぶどう酒事件」と銘打ったシンポジウムが開催された。私は上記のような思いを胸にシンポに参加した。

3 弁護団報告
 
まず名張弁護団長鈴木泉弁護士より、今回の再審開始決定までの経緯、名張弁護団の弁護活動の歴史が報告された。
 この報告では、事件現場付近の地図や歯痕鑑定(ぶどう酒のビンの王冠に残されていた歯痕に関する4つの鑑定)の比較等がスクリーンに映し出され、ぶどう酒が公民館に到着した時刻と犯行機会の問題点、奥西さんと犯人とを結びつけた2つの鑑定の不合理性が視覚的に理解することができた。
 また、製造中止となっていたぶどう酒ビンの蓋の四足替栓を復元しての犯行再現、テップ剤の不純物から農薬の同一性を否定する新証拠など、地道な調査によって再審開始決定を勝ち取った弁護団の活動がスクリーンに映し出される度に、会場からは「なるほど」「よくやった」という声が湧き上がった。
 とりわけ、鈴木弁護団長が、第5次請求最高裁決定が死刑判決を維持したときのショックと、この決定後に奥西さんが述べた「命ある限り無罪を晴らしたい」との言葉に奮起したこと、この言葉を胸に秘めて出口の見えない辛い日々送った後、第7次再審請求で四足替栓の復元やテップ剤の不純物の検討などの打開策を見出していったことを時折声を詰まらせながら回顧していたのが印象的であった。

4 再審開始決定の意義
 
続いて大阪大学法科大学院水谷規男教授から、再審開始決定の意義についての講演がなされた。
 水谷教授は自ら作成された名張事件の争点表を用いて、各論点(犯行機会の有無、四足替栓の痕跡、自白の信用性)について分かりやすく解説した後、刑事裁判における「疑わしきは被告人の利益に」の重要性を力説されていた。

5 弁護団による寸劇
 
第2部の寸劇では、名張弁護団員が名張事件の問題点を寸劇風に再現した。
 団員のオーバーな名演技(?)が会場の笑いを誘い、束の間の休息となった。

6 トークショー
 
続いてトークショーでは、ジャーナリストの江川紹子さんと松本サリン事件被害者の河野義行さんをむかえ、水谷教授が進行役となり、市民から見た再審開始決定と刑事裁判のあり方についての熱いトークが展開された。
 江川紹子さんは、神奈川新聞社時代に殺人被告事件(妻を殺した旨の自白をして起訴された夫が、結局無罪となった事案)を傍聴したエピソードを紹介されて、冤罪が遠い昔の話ではなく現在の問題であることを強調され、また記者時代の暴露話を笑いながら披露し、テレビではお見かけしないスマイルを連発されて、最後には自著のアピールも忘れないというしっかりした一面も見せた。
また、河野義行さんは、松本サリン事件での警察の圧力と利益誘導、さらにはマスコミによる夜討ち朝駆けの攻撃によって、被疑者が取り調べにおいて「虚偽の自白」に至る心理状況を生々しく語った。
 トークショーでは、とりわけ「虚偽の自白」の危険性について熱いトークが展開され、さらには裁判員制度と「虚偽の自白」、捜査の可視化の必要性にまで話が及んだ。

7 最後に
 
弁護団員小林修弁護士がシンポ閉会の挨拶を行った。
挨拶の最後に今回のシンポに寄せた奥西さんからのメッセージが紹介された。
 「私は無罪を晴らしたい。死んでも死に切れない。無罪を勝ち取るため生きている限り闘い続ける」。
この奥西さんのメッセージは、誤った刑事裁判の恐ろしさと、再審の扉の重さを痛感させるものであった。
このシンポに参加して、奥西さんが無罪であることを確信すると同時に、刑事裁判には常に冤罪の危険が潜んでいることを改めて自覚した。
 奥西さんが晴れて無罪となり、一日も早く弁護団の悲願が成就されることを祈ってやまない。







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