会報「SOPHIA」 平成17年6月号より

名張毒ぶどう酒事件弁護団紹介

 期の先後も肩書きもお構いなし。団長であろうと間違えば容赦なく叩かれる。弁護団会議は筋の通ったことを声高に言った者勝ちの口舌バトルの様相


名張事件弁護団
 稲 垣 仁 史

 様々な弁護団紹介の連載が始まるとのことで、僭越ながらその第1回に名張事件弁護団紹介を書かせていただくこととなりました。私自身この弁護団に参加して7年めになりますが、それはこの弁護団がこれまで辿ってきた期間の4分の1程度でしかありません。自分が参加する前の弁護団の状況など、よくわからないところも多いのですが、とにかく知っている範囲で紹介いたします。なお、事件の概要については、既に4月号の再審開始決定報告の中で平松清志弁護団事務局長が紹介していることもあり、ここでは省略いたします。

2 弁護団の歴史

(1) 結成
 事件発生は1961年。犯人とされた奥西勝さんは、72年の上告棄却で死刑判決が確定してしまった後、独力で4次に亘り再審請求をしましたが悉く棄却されていました。この間に奥西さんから救いを求められていた日弁連人権擁護委員会が審査の結果支援を決め、77年、故・吉田清弁護士を弁護団長とする名張毒ぶどう酒事件再審弁護団が結成され、第5次再審が弁護団によって申し立てられました。これが、現在に続く弁護団としての再審の闘いの始まりです。

(2) 第5次再審の闘いと弁護団
 結成時は吉田団長を含め5人の弁護団でした。現日弁連人権擁護委員会名張事件委員会委員長の小池義夫弁護士(東京弁護士会)は、この第5次再審請求申立時から現在までずっとこの弁護団の活動に尽力しておられます。その後、吉田弁護士らのひたむきな活動などに触れて徐々に参加する弁護士が増えていきました。現弁護団長の鈴木泉弁護士は、この第5次再審請求審の途中(82年)から弁護団に加わり、長い闘いをリードして来ました。第5次再審が20年間にわたり闘い進められるうちに、弁護団の構成は更に厚くなり、特別抗告審の段階では全国から24名の弁護人が結集していました。
 他方で、名張事件の冤罪性を当初から強く訴え続け、再審事件としての道筋を拓いて来られた吉田清初代団長は、第5次再審特別抗告申立後の94年、この世を去って行かれました。吉田団長の亡き後、異議審の途中から弁護団に参加していた刑事法学会の重鎮である故・平場安治先生が第2代弁護団長となり、闘いが続けられました。平場先生といえば司法試験受験中の刑法の教科書の中で「団藤説」「平野説」「平場説」といった感じでそのお名前を目にしたことのある方も多いと思います。その平場第2代弁護団長も、その後第6次再審の途中でお亡くなりになりました。
 第5次の再審では、確定判決が有罪認定の重要な根拠としていた王冠歯痕鑑定の証明力を消滅させるに足る鑑定を新証拠として提出していたことなどから、支援運動は大いに盛り上がり、当時の弁護団としても再審開始を確信していたそうです。しかし、97年1月の最高裁特別抗告棄却決定は、歯痕鑑定の大幅な証明力の減殺を認めながら、それまで争点ともなっていなかったぶどう酒王冠の特殊な構造に基づく独善的な認定をもとに死刑判決を維持してしまいました。この第5次再審最高裁決定が弁護団に与えたショックは相当大きかったようですが、自己の無実を最も良く知る奥西さんは「裁判所が何と言おうと自分はやっていない。命ある限り無実を晴らしたい」と力強く再起の言葉を語ったそうです。弁護団は決意を新たにし、棄却決定の2日後に第6次再審を申し立てました。

(3) 第6次〜第7次再審の闘いと弁護団
 第6次再審を申し立てた当初は、最高裁決定を打破する見通しがなかなか立たず、鈴木団長によると、この頃が最も苦しい時期だったそうです。その苦しみの中から「最高裁決定が王冠の構造を云々言うのであれば、当時の王冠を完全に復元して開栓再現実験をしてみよう」とのアイデアが出てきました。そのときは確たる見通しがあったわけではないそうですが、この復元王冠による開栓再現実験が、今回の再審開始決定につながる一つの核となりました。王冠復元の過程で、証拠物王冠の足の折れ曲がりという特徴に着目できた点も新証拠につながりました。また、第5次再審の途中から「混入された毒物が実は奥西さんが持っていた農薬とは違うのではないか」との疑問が生じており、第6次再審請求中も、混入されたテップ剤の色や成分の調査を徹底して続けました。その成果も今回の開始決定につながりました。第6次は、こういった新証拠を準備しつつ、裁判所にそれを伝え決定を待つようにと申し入れていたのですが、結局短期間で特別抗告まで棄却されてしまい、結果的にこの間は第7次に大きく飛び上がるための踏み込みの期間となりました。
 満を持して、というわけでもないですが、ここまで準備した新証拠を最大限に活かせるようにまとめ、鈴木泉第3代弁護団長のもと02年に申し立てた第7次再審請求によって、ようやく先日の開始決定に至りました。
 この間、49期・51期・53期・55期、そしてつい先日には57期の新人弁護士も参加して、常に新しい風が吹き込まれています。

3 弁護団の通常の活動
 毎月1回丸一日を使っての定例弁護団会議と必要に応じての臨時会議があります。会議と会議の間の期間は、各自担当パートについての調査を行いその結果を会議で更に検討する、といった具合です。
 担当パートは、王冠鑑定班、封緘紙鑑定班、糊調査班、毒物調査班、自白検討班などにわかれ、それぞれメーカーに聴込みに行ったり、大学の先生に話を聴きに行ったり、証拠や記録を再度緻密に分析したりなど、足や時間を使った地道な調査・分析活動を続けています。

4 当弁護団の特徴・雰囲気
 先日、弁護団会議に立ち会った修習生に感想を求めたところ「勝っている弁護団というのは明るくて活気があると感じた」と述べてくれました。弁護団からは「いや、開始決定を貰えたからとかじゃなくて、この弁護団は前からいつもこんな雰囲気でやっているんだよ」と実態を説明しました。弁護団の活動に触れた支援者から「こんなに深刻な事件なのに、どうしてこの弁護団はそんなに明るく活発でいられるんだ」と驚かれることもしばしばあります。それはメンバーの性格によるところも大きいのですが、根本には奥西さんの無実に対する確信とその奥西さんを何としても生還させるとの強い信念で結集している弁護団員相互の信頼感があります。
 メンバーには、話好きで声の大きな人が多いので、会議にしろ懇親会にしろ、時には喧しいほど賑やかです。かといって勝手放題喋っているわけではなく、刑事専門弁護士として名高い神山啓史弁護士(第二東京弁護士会)の巧みなリードの下、各自が持てる個性と能力を存分に発揮し、最後は整然とまとまる、といった感じです。また、先輩弁護士が若手弁護士に対して大変寛容であり、若手の発想を「その点は既に検討済みだ」などといって遮ることがありません。新たな着眼点でみた場合に全く別の光が見える可能性を重視しているのです。
 早期に再審・無罪が実現するよう総力を挙げています。ご支援をよろしくお願いします。