会報「SOPHIA」 平成17年6月号より

取り戻そうこどもたちの笑顔を!

子どもの権利・全国イベント


子どもの権利特別委員会
 委員  吹 野 憲 征

 6月14日午後6時から、名古屋市芸術創造センターにおいて、子どもの権利・全国イベントとして、新垣勉さんの歌と講演の夕べ『ひとつのいのち ささえることば』が開催されました。
 このイベントは、5月5日のこどもの日にちなんで全国各地の弁護士会が開催する、子どもの権利・全国イベントの一環として開かれたものです。例年「子どもの日記念無料相談」として、電話・面接による法律相談を実施してきたのですが、今年の愛知県のイベントは、子どもの自立支援シェルター「こどもの家」(仮称)創設に向けて、広く市民の皆さんの理解を求めるという、重要な意味合いも含まれたものでした。

全盲のテノール歌手・新垣勉さん

子どもの自立支援シェルターとは

 虐待を受けた子どもの保護事件や少年事件に関わっていると、子どもを守り、支えてくれる大人が周りにいない、家庭や地域に安らげる居場所がない、生きて行くための仕事もない等自分の力だけではどうすることもできない問題を抱えた子どもたちに出会うことがあります。
 虐待を受けた子どもの保護であれば、児童相談所の一時保護所や児童養護施設等の福祉施設に入所するという手段があります。しかし、年齢制限や受入れ人数の制限といった限界があります。一時保護所からは学校に通うことができないという学習権の制限もあります。また、児童養護施設は、通学または就労が前提となっているため高校に進学できず、就職先も見つけることができない子どもは、児童養護施設を出なければなりません。さらに、虐待に当たるとは断定できないとの理由から児童相談所が一時保護をためらうケースや、様々な経緯から「施設」という枠の中で暮らすことを望まない子どもたちもいます。
 少年事件でも、少年が家庭内で虐待を受けていて、家庭に帰すことができない、また家庭内で虐待を受けている訳ではないが地域の交友関係の問題等から、やはり家庭に帰すことは難しい、といったケースもあります。
 このようなケースでは、個人的なつてを頼って何とか居場所を見つける、関わった大人自身がやむを得ず自宅に子どもを一時的に泊める等の対応が取られますが、それもできない場合、子どもは結局劣悪な環境に近付いていったり、少年事件であれば、やむなく少年院送致という寂しい結論に至ります。
 このような子どもたちが自立するまでのステップとなる居場所を作ることができないか、との思いから、子どもの権利特別委員会の有志は、昨年より緊急に対応できるシェルターの創設準備を進めています。これまで、全国初の子どものシェルターである、東京の「カリヨン子どもの家」を見学させて頂いたり、愛知県内外の児童自立援助ホームを訪問するなど検討作業を進め、愛知県内に「家」となる不動産も確保できる見通しです。
 もっとも、この計画は、到底一部の弁護士有志だけで実現できるものではありません。実際に「こどもの家」で、子どもたちと生活を共にするスタッフや、運営面で協力して頂く人の輪を広げて行く必要があります。
 今回のイベントは、このような人の輪を広げる目的から企画されました。そして、全盲、両親との生別という辛く困難な境遇を乗り越え、テノール歌手として、活躍されている新垣勉さんをお招きすることとなりました。

「being」の価値観

 イベント当日は、約500名が来場されました。「カリヨン子どもの家」を設立運営しているNPO法人「カリヨン子どもセンター」理事の内田晶子さんからも心強い応援メッセージを頂き、新垣さんの歌と素敵なお話が繰り広げられました。
 生で聴く新垣さんの歌声は圧倒的な迫力で当然のことながら素晴らしいものでしたが、ご自身の境遇を交えたお話も心に染みるものでした。特に印象的だったのが、「being」の価値観についてのお話でした。
 人間には、機能的価値観(「doing」の価値観)と存在論的価値観(「being」の価値観)、2種類の価値観があります。「doing」の価値観というのは、あの人は何ができる、どんなことをしてくれる、といったものさしで計られるもの(会社であれば営業成績、学校ならば成績)です。これに対して、「being」の価値観というのは、あなたが、ただそこにいるだけで良いと、その人の存在をそのままに肯定するものです。
 社会で生きて行く中では、もちろん「doing」の価値観が求められますが、それだけでは、人は努力しても結果が得られないときには挫折感が残り、逆に結果を得たときには過信を抱くようになる、人が育っていく中では、むしろ「being」の価値観が大事であり、あるがままの自分が肯定されたと実感できるとき、人は心安らぎ、自信を持つことができる、人にはそのような安らぎを得られる居場所が必要なのではないでしょうか。
 以上のようなお話の後、新垣さんはある牧師との出会いについて語られました。
 新垣さんは、メキシコ系アメリカ人であるアメリカ軍兵士の父親と日本人の母親との間に生まれました。生後間もなく、家畜用の洗剤で洗眼されたことから失明し、両親と生別します。新垣さんは、自分を捨てた両親や、自分から視力を奪った相手を恨み憎しみ、自分ほど不幸な人間はいない、と否定的な気持ちを抱いていました。新垣さんは、そのような思いを牧師に打ち明けるのですが、牧師は、新垣さんの言葉にじっと耳を傾け、回答らしき言葉を発することはありませんでした。新垣さんは、牧師が涙する気配を感じ自分のために心から涙を流してくれる人がいるのだと心が癒されるように感じました。このとき、新垣さんは、自分自身の存在を初めて肯定的にとらえることを実感したのです。
 その後、新垣さんは、歌のオーディションを受け、その歌声を「日本人離れした明るさ」と評されます。新垣さんは、そこで自分の父親の話をしたところ、その声は「神様からの贈り物なんだよ」と言われ、自分の声、パッションが両親から受け継いだものであることを感じ、否定的な感覚が肯定的な感覚に転換しました。
 新垣さんのお話は、人が自分の存在を肯定的に実感し、本当の意味での自信を身につけることがどういうことなのかを示すものだったと思います。そして、傷ついた子どもたちに接する中で大事なことは何か、示唆に富むものでした。
 と、ここまで文字にすると、重い内容に思われるでしょうが、新垣さんは、巧みにユーモアを交え、とても楽しくお話し下さり、終演までがあっという間に感じられました。
 改めて新垣さん、そして、応援に駆けつけてくださった内田さんにお礼を申し上げます。