会報「SOPHIA」 平成17年5月号より

裁判員の議論に期待と不安 −模擬裁判員裁判官を経験して−


刑事弁護委員会
委員 岩 井 羊 一

 5月20日午後から、憲法週間行事として名古屋高等裁判所が主催する裁判員裁判の模擬裁判が行われた。記者クラブの記者に裁判員を経験してもらい、一般の人が裁判員として十分評議できることを体験してもらおうという趣旨。私が弁護士会から出席した。私は、弁護人役として出るのかと思ったところ、裁判官役として参加するということで驚いた。

 事案は、殺人未遂事件で、殺意が問題となるもの。今回の目的は評議を体験してもらうということが目的なので、公判前整理手続は終了し、同意のあった証拠も調べたという前提で、争いのある証人調から行われた。

 大法廷の法廷を使い、裁判員は全員法壇の上に上って法廷をみた。左陪席の演じる検察官役、弁護人役の尋問は、あらかじめかなりやりとりを整理したものであったが、時間の関係もあって早口で、何を言っているか頭には入らない。いままでも、そしてこれからも裁判官に分かってもらう尋問は結構難しいことは体験できた。

 評議は、予備裁判員も加わるということで、裁判官3名、裁判員8名という実際の裁判員裁判よりも裁判員の数が多い構成であった。裁判員の数は多いほうがいいという日弁連の意見は正しく、多くても議論が混乱することはなかった。

 伊藤裁判官は、裁判官の合議のように、客観的な証拠があるか、検察官の主張のポイントはどうか、弁護人の主張のポイントはどうか。そして、それをどう評価するかという順序で議論をした。しかしはじめは雰囲気も硬く、裁判長が一人で話していた。議論を裁判官の合議のようにあまり細切れにすると、裁判員は意見が言いにくい。議論はめちゃくちゃになるかもしれないが、はじめに自由に意見を言ってもらって、それを整理するほうがいいかもしれない。

 裁判員から、刃物が体にどのくらい刺さったら殺意を認定するのかとか、酒に酔っていたことはどう考えたらいいのかというプロの意見を聞く場面があった。裁判官が自重しながら上手に議論を導かないと裁判官の意見の押しつけになってしまうという怖さも感じた。

 殺意は認められることで議論が一致し、その後計画的殺意があるか、偶発的に殺意が起こったのかについては意見が分かれ、議論が充実してきた。ここでは記者それぞれのものの考え方が意見に出て、私自身、計画性については灰色の心証が、議論をするなかで白くなっていった。これこそ裁判員制度の目指すもののような気がした。

 量刑については、裁判官役の3名でも意見が分かれた。最終的に懲役5年か6年で意見が分かれ、裁判官役は5年が2名、6年が1名であったが、記者は8名中7名が懲役6年であり5年説は1名であった。より重たい意見にながれたのは、犯行態様や、被告人が暴力団関係者であったことなどが影響したようであり、弁護人としては注意すべき傾向であろう。評議の時間は予定をこえて2時間半であったが十分ではなかった。

 懇親会で、記者からは、事実認定はこんなに難しいとは思わなかったという感想が多かった。謙遜もあったのであろうが、記者からも自分でもできるという積極的な意見がもっとあってもよいかと思った。裁判官の体験は私としても貴重な体験になったし、裁判員裁判に向けての期待と課題が鮮明になった体験であった。