会報「SOPHIA」 平成17年4月号より

苦闘するウズベキスタン 〜法整備支援プロジェクト体験報告〜


会員  藤 田   哲

1、 はじめに
 JICAから、民法(抵当法)整備支援プロジェクトの短期派遣専門家として、平成17年3月25日から4月1日まで、ウズベキスタンに派遣された。まさかこんなことになるとは、1年前には想像すらできなかった。人生のサイコロが勝手に回り始めているような感じすらする。名古屋大学法学部の加藤雅信教授と一緒だ。私が見た、ウズベキスタンの実情と法整備支援の内容を報告したい。

2、 ウズベキスタンって、どこにあるの
 久しぶりに世界地図を見た。中央アジアの真ん中あたり、カスピ海の東あたりに、ウズベキスタンがあるではないか。アフガニスタンの北、中国の西あたりだ。シルクロードの西のはずれだ。首都はタシケント。面積は日本の1.2倍、人口は2500万人。国土の4分の3を砂漠とステップ(草原)が占める。
 主要産業は綿花と小麦で、国民総所得は610ドル。国民の85%がイスラム教を信じる。120以上の民族から成る多民族国家でもある。

3、 昭和30年代の日本を見た
   ウズベキスタンには、古くからの言い伝えがある。古い昔、ここに住む人々のうち、魚を好む人々が日本に行き、肉を好む人々がここに残ったという。顔つきも日本人によく似た人が多い。自分の叔父や叔母にそっくりの人に出会うことがあると言われている。似ているのは顔つきばかりではない。正直で、心持ちも優しく、性格や考え方も日本人そっくりなのだ。
 こんなこともあった。青の都と呼ばれているシルクロードの美しい都市、サマルカンドに行った時のことだ。土曜日にも拘わらず、サマルカンド地方法務局の副局長が私たちを出迎えてくれた。副局長は、私たちを夕食に招待してくれた。市内の高級レストランだ。普段はとても行けそうにない高級店に、私費で招いてくれたのだ。古来、客人をもてなすのはウズベキスタンの伝統だというのだ。「客人は自分の父親以上に丁重にもてなせ」「1日経つと知人となり、2日経つと心を許せる友人となる」。ウズベキスタンの諺だ。心温まるもてなしに、私も加藤先生も痛く感激した(気持ちよく酔っぱらったのは言うまでもない)。
 路地では、子供たちが大声を上げて走り回り、農村ではロバが荷車を引く。朝は早くから起きて、自宅の玄関の前を掃き清め、打ち水をする。地方では、綿の入ったどてらのような着物を着る。「アッサローム アラ イクム(こんにちは)」。人に会うと、右手で胸を軽く押さえておじぎをする。そう、自分が子供の頃の日本に戻ってきたような、不思議で、とても懐かしい感じがした。

4、 新しい資本主義の苦しみ
 ウズベキスタンは、1992年に旧ソ連から独立し、市場経済を導入した。ウズベキスタンは、社会主義から資本主義に移行したと言われている。しかし、私が見た現実は、我々の知っている資本主義とは似ても似つかないものであった。
 第1に、土地の私的所有を認めていないのだ。土地は全て国家が所有し、国民は土地を国から借りるだけだ。銀行からお金を借りるときも、当然ながら土地を担保に提供できない。建物とその利用権そして車が、最も重要な担保物だという。これでは、事業を興すような巨額の融資はできないだろう。国民は、どうやって起業するのだろうか。
 ウズベキスタンでは、住居を担保に取れないことも驚きだった。債務者を住居から立ち退かせることが法律で許されない(!)ために、住居を担保に取ることができないのだ。債務者の生活を保障するためだという。ここにも、社会主義時代の遺物がある。
 第2に、国民の代表が作った法律が守られないのだ。朝令暮改(現実に即応したともいいうるか)、しかも法律と矛盾する内容の大統領令や大臣令が濫発され、法律は機能不全に陥っている。いくら良い法律が作られても全く意味がないのだ。しかも、ウズベキスタンには六法全書のような書籍がなく、どのような法律や政令があるかを正確に知ることは困難だ。もっとも、かなり進んだ法令データベースはあり、そこにアクセスできれば法令の内容を知ることができるが、一般の国民はアクセスできない。政府のごく一部の役人しかアクセスできないのだ。これでは、一般の国民は怖くて契約すらできないではないか。国民の自立にほど遠い状況にあると言わざるをえない。
 第3に、ウズベキスタンは、カリーモフ大統領の強力なリーダーシップの下にある。表現の自由、信教の自由、報道の自由も、かなり制限を受けている。旧ソ連時代のKGBと同じような組織が今も存続している。農家も自由に作物を作ることはできない。土地を政府から借りている以上、政府の指示どおりに綿花や小麦を植え、公定料金で政府が買い上げる。コルホーズのような農協もある。警察官が街の至る所に立ってニラミを利かせている。地方から都市への人の流入も厳しく制限される。我々外国人も、滞在したホテルで登録され、管理される。旧ソ連時代の名残りが至る所にあるのだ。
 もっとも、悪い面ばかりではない。イスラム急進過激派は国外に追放され、治安は安定している。経済成長は低いものの、急激な変動はなく、物価は安定している。
 ウズベキスタンでは、見ることも聞くことも驚きの連続だった。ウズベキスタンは、自国のことを新しい資本主義(!?)と言っているようだ。旧ソ連から独立した旧社会主義国も、同じような状況にあるのではないかと思う。政治も経済も安定させ、宗教的な対立も持ち込まず、しかも、自立しなければならない。産みの苦しみとでも言うのだろうか。日本も敗戦から立ち直った経験を生かし、協力できることが多いのではないだろうか。

5、 担保法の整備が遅れている
 ウズベキスタンでは、抵当権が機能していない。迅速で簡便に実行できる担保権を作ろうとしている。私は、日本の抵当権の実行手続や運用状況と最近の改正内容、そして譲渡担保権や仮登記担保権について、司法省の担当者や金融機関の関係者に講演をし、意見交換を行った。参加者の熱い視線や意見に、新しい国の息吹を感じ、こちらも胸が熱くなった。