会報「SOPHIA」 平成17年3月号より

裁判官評価シンポジウムを振り返って


裁判官選考検討特別委員会
副委員長 岩 崎 光 記

1、 はじめに
 平成17年3月5日、名古屋弁護士会で開催された裁判官評価シンポジウムは、下澤悦夫氏、柄夛貞介氏、多田元氏の3名のパネリストの人柄がよく出ていた、と大方の好評をいただいたが、司会である私の不手際のせいで、必ずしも論点を浮き彫りにすることができなかった。そこで、私なりにこのシンポジウムを振り返って、新しい裁判官評価制度について積極面と消極面を整理してみたい。

2、 新しい裁判官人事評価制度成立の経緯
 まず、指摘しておきたいことは、今回の新しい裁判官の人事制度の見直しは裁判官の任命手続の見直しと一対になっているという点である。後者は、言うまでもなく下級裁判所裁判官指名諮問委員会の創設である。今回のシンポジウムでは、時間の関係もあってこの指名諮問委員会の意義等について殆ど触れることができなかったが、実際には両者が分かち難く存在していることを押さえておく必要がある。

 両者とも、司法制度改革審議会の意見書に基づくものであり、それぞれ裁判官の任用と人事の透明性と客観性を確保することを目的としている。

3、 新しい裁判官人事評価制度の前進面
   今回の新しい制度の前進面の第1は、なんといっても制度として人事評価制度が確立したことである。これまでは、評価基準も、評価権者も全く法的根拠がなかったと言ってよい。とにもかくにも評価基準や評価権者等が明定されたことは一歩前進である。第2に、裁判所外部の情報を配慮することになった点である。第3に、面談システムと評価の開示制度の導入。第4に不服申立制度の新設である。これらの諸点は、審議会意見書の実現として高く評価されるべきである。

 シンポジウムの中でも、パネリストから指摘があったが、今回の新しい人事評価制度および指名諮問委員会制度のもとでは、かつての宮本康昭裁判官の再任拒否のような思想信条を理由とする再任拒否は2度と発生することがないであろう。

4、 新しい裁判官人事評価制度の課題
(1) その一つは第一次評価権者である。理論的問題と現実的問題がある。前者は、本来対等の立場であるはずの裁判官が他の裁判官を評価することができるのかという問題である。後者は評価方法である。パネリストの柄夛氏は熊本家庭裁判所所長の経験から、小さな裁判所すなわち少ない人数の裁判官の評価さえ大変苦労した、と述べた。評価の手段がないのだ。結局、他の裁判官や書記官などからの伝聞証拠に基づく他ないわけであり、客観的な評価をすることができたかどうか、極めて不安が残った、とのことである。本当にその通りではないか。小さな裁判所ですらそうであるならば、大きな裁判所でその所長がどうやって多くの裁判官の評価を的確にすることができるのであろう。
 評価基準と評価権者は決めたが、評価方法を評価権者の自由裁量にゆだねるやり方は、客観性に疑問を残すだけでなく、大変危険な側面ももつのではないか。少なくとも、ヒラメ裁判官(シンポジウムの中で何度も出てきたので説明は省略するが平成16年10月18日の新任裁判官の辞令交付式での町田顕長官の訓辞)の防止にはなり得ない。
(2) もう一つは、いわゆる外部情報の取り扱いである。現在、それは情報提供者の住所氏名を明らかにし、具体的な根拠となる事実を記載し、これを所属庁の総務課へ親展で届けることになっている。しかし、これではいかにも密告みたいで、多くの情報が期待できないであろう。現に、指名諮問委員会の各地域委員会が同様の情報収集をしているが、あまり多くの情報が寄せられていない、と聞く。考えてみれば当たり前の話であって、そんな密告のようなことを、しかも顕名でする弁護士が一体何人いるだろう。特異な情報はかえって信用ができないのではないか。米国ハワイ州では、裁判官の再任について憲法上の機関である裁判官選任委員会が弁護士から情報を集めるが、情報を多く集めるために匿名を選択しているという。とくに、匿名によるアンケート調査は裁判官を評価する上で非常に高い評価を受けている、という。
 パネリストの柄夛氏も、自分の経験から、裁判官の評価は所属庁の長がするよりも弁護士会のアンケート調査の方がよほど客観的だと述べていた。もちろん、アンケート調査にあたっては、アンケート回答数の少ないものは排除するなど統計的な手法に気を配ることが必要である。
(3) 3番目には、評価書の開示制度である。もちろん開示制度が認められたことは良いことであるが、「変わり者と思われはしないか」などと申し出を躊躇するようなことがあれば、制度としては意味がない。しかも、1週間という期間は余りにも短すぎる。後述する異議申し立ての期間はともかくとして、開示の申し出に期間を設ける必要はなかろう。とくに教育的配慮からすれば、いつでも好きな時に開示を求めることができるとすべきであるし、さらにいえば原則全員開示とすべきではないか。
(4) 4番目は、異議申立制度である。異議申し立ては第三者にするからこそ意味があるのであり、現行のように評価権者が再度の考案をするというのでは効果は期待できないし、かえって職場の人間関係がまずくなるのではないか。それを慮って異議申し立てを躊躇することもあるだろう。
(5) 最高裁は、新しい人事評価の目的について、公正な人事と裁判官の能力の主体的向上の二つをあげる。パネリストの3人とも裁判官が自分の能力を開発するために評価を受けることは大変良いことだと述べた。3人のパネリストは、新しい裁判官評価制度とくに外部の評価について大きな期待を寄せている。それは、裁判官の自己啓発の契機になり得るという点からである。一方、3人のパネリストは、今回の裁判官評価制度についてそれが人事政策に利用される観点から見た場合、その効果はあまり期待できないだろう、という。
 新しい制度によって生まれた評価書のみによって、本当に公正な人事が可能なのか。実際に開示を求めた裁判官の話によると、自分の現在の待遇に比べてあまりにも高い評価が評価書には記載されていたという。評価書によって人事がなされず、裏情報によって現実の人事がなされるならば、新しい裁判官評価制度は人事政策としては全く意味がない。
 裁判官の自己啓発の観点からみても、もっとおおらかに外部情報を取り入れ、とくにアンケート調査による段階式評価を謙虚に受け止める必要があるのではないか。

5、 問題の根源
 今回の裁判官の新しい人事評価制度は、確かに画期的なものであるが、人事政策の面ではあまり期待できないと思われるのは、裁判官の官僚システムについて殆ど何も手が付けられなかったからである。司法制度改革審議会の意見書では、裁判官の人事制度の見直しとともに、裁判官の報酬の段階の簡素化も指摘されている。ところが、この報酬の段階の簡素化は、未だ実現されていない。また、裁判官の配置の問題も未解決のままである。このような裁判官の官僚システムについて放置されたまま、裁判官の人事評価のみ手直ししても、全体としての人事政策に抜本的な改革を期待できるはずがない。