会報「SOPHIA」 平成17年1月号より

彼らの熱意にどう応えるのか! −名城大学法科大学院の授業を傍聴して−


法科大学院検討特別委員会
教育研究部会長 山 田 尚 武

1、 5つのロースクールの授業傍聴
 私たち、法科大学院検討特別委員会の教育研究部会のメンバーは、これまで、愛知大学(6月号)、名古屋大学(7月号)、中京大学(11月号)および南山大学(12月号)の法科大学院の授業を傍聴し、各会報において、そのご報告をしてまいりました。
  今回は、名城大学法科大学院の立岡亘・宮島元子弁護士による「司法概論」の授業傍聴です。当会からは、前田義博、佐藤昌巳弁護士も傍聴に参加されました。
  シラバスによれば、この授業の到達目標は、「司法というものが従来型の司法制度から脱皮していく渦中にあって、どのような法曹をめざすのか、どのような法化社会を形成していくのか、社会の一員としてどのような仕事を目指したいのか、自ら考え、自らその目標に向かって自発的な勉強がなされるように」することです。授業方法は、法曹、産業経済界、行政、立法その他いろいろな分野で活躍している方々をゲストスピーカーとして迎え、その話を聞き、討論するというものです。
  私たちが訪問した平成17年1月22日(土)の授業は、カンボジアの法整備支援にご尽力されている東京弁護士会の安田佳子弁護士をお招きしての、立岡弁護士の授業でした。出席した院生は既修者と未修者をあわせて、20名ほどでした

2、 カンボジアの法整備支援と活動内容
 まず、安田弁護士から、カンボジア法制度整備支援プロジェクトの概略が説明されました(詳細は、「自由と正義」2004年9月号20〜25頁をご覧下さい)。
  「カンボジアは、1880年後半からフランスの植民地支配を受け、第2次世界大戦後の1953年に王国として独立した。しかし、1975年に、毛沢東の影響を受けたポルポトが政権を獲得し、極端な共産主義政権が樹立され、1979年にポルポトが政権を失うまでの間、従来の社会制度・秩序が徹底的に破壊された。この間、法律家をはじめとする知識人は過酷な強制労働や飢餓、虐殺によって死亡した。ポルポト政権崩壊後も内戦が続き、国家の再建が本格的に始まったのは、1993年。このような状況下で、カンボジアの要請により、日本のODAの一環として、JICAの民法典・民事訴訟法典起草のプロジェクトが開始され、その支援活動の一環として、長期専門家(2年間)として、カンボジアに派遣された」

そして、安田弁護士のカンボジアでの活動が現地の写真等も合わせて報告されました。
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1週間に3回ワーキンググループの会合を持ち、カンボジアのメンバーが草案をクメール語として表現するためのお手伝いをした。
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日本とカンボジアを繋ぐコーディネーターをする。
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他のドナー(諸外国および国際機関)との調整の窓口。世界銀行やアジア開発銀行などの欧米型の支援は、まず「導入すべき正しい制度」があるという考えで、これに対し、日本はあくまでも相手から政府の要請に応じるという方針。この調整がとても大変でした。

3、 熱心な質疑応答
約1時間の報告が終了後、院生の皆さんとの質疑応答がなされました。

Q: カンボジアの国民性や文化、宗教と日本のそれとの違いもあるはず。どのように乗り越えるのか。
A: 財産法は世界共通になってきている。それほどの苦労はないが、例えば、クメール語には過去形という形がなく、法文を作る際に苦労したこともある。これに対し、家族法は国柄があり、結局今回は財産法のみとなった。

Q: 法整備支援を担う人材としては、学者がいる。弁護士として、法整備支援をする意味はどこにあるのか。
A: 弁護士はフットワークが軽い。どこでもほいほい出かけて、話ができる。調整型の役割にぴったりなのではないか。

Q: 弁護士として、法整備支援に関与するプライドはどこにあるのか。
A: 「カンボジアの100年以上の歴史を支えるであろう、民法・民事訴訟法をつくる」というのは大きなやりがいである。


4、 おわりに−私たちはどう答えるのかー
   名城大学法科大学院、およびそれ以前の4つの法科大学院の授業を傍聴して、次のように思いました。
 彼らは、司法制度改革の申し子であり、司法制度改革を所与の事柄として、その上に、自分の未来を切り開こうとしています。そして、かつて司法試験をめざした私たちと同じように、真摯に勉強しています。 
 平成20年には、司法制度改革の申し子である彼らが、大量に弁護士になります。私たちは、どう彼らを迎えたらよいのでしょうか。
 ある環境についての勉強会のときに、その講師が話しておられました。
 「よく大人は、子どもたちに環境の教育をしなければならないという。しかし、学校の教科書を見てください。環境のことは子どもの方がずっとよく知っている。子どもたちは、今、大人たちの環境に向けての実践を見ているのですよ」
 彼ら新しい弁護士に対し、私たちが司法制度改革を説こうと思っても、「何をいまさら」と一蹴されてしまうかもしれません。また彼らから、「今のユーザー・ニーズはここにあります。それにどう応えるんですか」と追及されるかもしれません。
 私たちが、考えるべきことは、「今、院生の彼らに何をしてあげられるのか」ではなく、「彼らをどう迎えるのか」ではないでしょうか。それは、すなわち「私たち自身が、今、厳しい自己改革をしているのか」を問うことなのではないかと思います。