現住建造物放火・殺人未遂事件で逆転無罪判決!

会 員  湯 原 裕 子

 「主文、原判決を破棄する。被告人は無罪……」
 どこかで期待はしていたものの、やはり信じられない。胸が苦しくて、嬉しいけど笑えない。(これって現実?裁判長、今から取り消したりしないで下さいね、お願い……)などと祈るような気持ちで聞いていた。
 本当は1年半前に聞きたかった判決文を。

 弁護士2年目の若輩者
 まだ大阪弁護士会に所属していた平成12年6月、弁護士2年目の若輩者にもかかわらず、「少しは重い事件でもやってみよう」と、かなり軽い気持ちで受任した現住建造物放火・殺人未遂事件の国選。
 被告人(A)は建設会社に勤めていたが、会社の同僚の保険証を盗みそれを利用して同僚名義でサラ金から借金。同僚を殺害してその返済を免れる目的で、社員寮にガソリンを撒いて放火したとのことで、4年前(平成8年)の事件が起訴されていた。
 接見に行くと、Aは「所持金がなくなって警察に保護してもらいたくて自首したが、本当はやっていない」と言う。しかし記録を閲覧すると、ばっちり自白調書ができあがっていた。困った。Aに「無罪主張をしても難しいかも」などと伝えると、第一回公判でAは同房者の「否認はやめとけ」というアドバイスに従い「飲酒していたので覚えていない」という罪状認否。私も「どうせ筋悪否認だし、いいか」と軽く考えてしまった。後日これに足を引っ張られるとは夢にも思わずに……。

 別件殺人事件との遭遇
 何度目かの接見の時に、被告人が手紙を見せた。同じ大阪拘置所に勾留されている人物(B)からの手紙だった。そこには「どうしてお前があの火事のことで捕まっているんだ。俺はあれを『S』がやったと聞いている。」と書かれていた。Bは事件当時社員寮に住んでいた会社の同僚だという。
 とりあえずBに面会に行く。Bは温和そうな人物で「自分は殺人の濡れ衣を着せられて最高裁まで争っている」とのこと。そしてBはSから「あの火事は俺がやった」と聞き、そのことはBの供述調書に出ており、さらにSにガソリンによる放火前科があることが記録に出ているという。正直、かなり驚いた。
 Bから弁護人の名前を聞き、連絡を取ると、「判決など一部の記録は手元にある」とおっしゃる。見せて頂くと、その事件は当該会社社長が、もとヤクザで会社の相談役になっていたSから金を要求されていたところ、本件放火を「Sが嫌がらせで放火した」と思った社長がBにS殺害を依頼し、BはSを山中でユンボでなぶり殺しにしたという凶悪な事件だった。あの温和そうなBがこんなことをするとは……鳥肌が立ったが、判決には「社員寮が放火され……放火や殺人の前科も有するSの仕業と考えた社長は」と書かれていた。すごい!本当だったんだ。
 真犯人が存在する可能性を裁判所に早い段階で示すべく、第三回公判で早々に弁護側冒頭陳述をした。この判断は悪くなかったと思っている。実際、地裁はかなりつきあってくれた。取調官や科捜研の専門家などの不同意書証のための証人尋問はもとより、弁護側立証のためにB、服役中の上記社長、元副社長、会計係、元社員など、こちらが申請した証人をほとんど採用してくれた。
 その他、別件記録中の調書を証拠請求し、弁護側請求書証は100号証にのぼったが、検察官に全部不同意にされたときは呆れ、弁護側から321条書面として請求した。
 平成13年末に名古屋に登録換えしてからも、この事件だけは頑張りたいと、せっせと新幹線を使って名古屋から大阪に出廷し、平成15年3月の地裁判決日を迎えた。

 一審、懲役10年
 しかし原審判決は、
*ガソリン1.5リットルを撒いてライターで直火着火したという自白内容にもかかわらず、被告人が手に火傷を負っていないことについて「すぐに身を後ろにかわしたので不自然ではない」、
*犯行に使用したとされるガソリン缶の存否につき、存在したと述べる者がいないことも「無かったと断言する者はいない」、
*「被告人は罪状認否で覚えていないと述べるにとどまり明確に否認していない」
*「公判供述にも変遷が見られ信用できない」等々こちらの言い分を排斥し、
 被告人が否認し反省していないとして、懲役10年を言い渡した。かなり悔しかった。

 控訴審での弁護活動
 すっかり自信を無くした私は、「控訴審は大阪の高名な弁護士についてもらいたい」と大阪弁護士会の刑事弁護委員会に泣きついたが、逆に「頑張りや」と励まされ、結局、控訴審は無償私選でやることとなった。
 難民事件を御一緒していた「新進気鋭の」金岡繁裕弁護士が興味を持って下さり、弁護人に加わって頂いたが、「火傷について第一審で反証をしていないのは甘い」と怒られた。
 ガソリン燃焼の専門家を探したら、弘前大学の燃焼学の教授が弘前の武富士放火殺人事件で「ガソリン散布により可燃混合気が形成され、着火により一挙に火の海になった」とコメントされていた記事を見つけ、大学のHPからアドレスを見つけメールを出してみた。するといろいろ相談に乗って下さり、「被告人が手に火傷を負っていないのは不自然」との鑑定書を作成して下さった。これが検察官に不同意にされると、わざわざ大阪まで証人出廷して下さった。本当に感謝。
 しかし肝心のAといえば、控訴審の被告人質問でまた変遷気味のことを言ったりするので、思わず質問中「どうして変わるの?」などと怒ったりもした。
 そして、最終弁論。こちらは鑑定書の信用性を軸に自白は客観状況に反すると主張し、検察官は鑑定書は実際の条件を反映していないので信用性がないと主張し、判決を迎えた。

 控訴審無罪判決
 控訴審は、鑑定書の信用性を否定しながら、被告人の自白の内容を検討すると信用性がないとして、被告人を無罪とした。これには拍子抜けした。被告人の自白が漠然としていることも、事件当時借金の返済に切羽詰まっておらず、殺人を企図するような状況ではなかったことも、すべて原審弁論で主張していた。控訴審判決はこれらを被告人に有利に解釈し、被告人の供述の変遷など原審が切り捨てたところを、被告人には思慮浅薄なところがあるから了解可能と善解し、被告人を救済した。
 「確かに」と「しかし」を入れ替えれば原審判決になるとは金岡弁護士の言であるが、自白の評価は裁判官の胸先三寸と痛感した。
 しかし実際に裁判官の心証を動かしたのは、上記鑑定書の存在と、可能性の高いアナザーストーリーの存在だったと確信している。

 最後に
 振り返れば、アナザーストーリーが他の刑事記録に現れている恵まれた事件であったといえる。罪状認否の不手際について「未だ弁護士2年目だった若い(?)女性の弁護人を被告人が信用できなくても無理はない」などと情けない弁論を書いたり、Bにひどい目に遭わされたりと、書ききれなかったエピソードは多々あるが、この事件で無罪を争ったのをきっかけに、一挙に刑事弁護が好きになったことだけは述べておきたい。