子どもの事件の現場から    

   「頼りない附添人なんです」

会 員  桐 井 弘 司

 平成16年10月、家庭裁判所から電話がかかってきました。用件は「K君がまた審判を受けることになった。扶助協会へ附添人選任を依頼する予定だが、また附添人になってもらえないか」というものでした。

 K君というのは、私が以前二回附添人をした少年です。
 K君の成育歴を少し説明しますと、彼は小学校時代に父母の離婚を経験し、親権者となった母親から身体的虐待を受け、さらには養育を放棄されて、小学校5年生から中学を卒業するまで児童養護施設で生活をしていました。その後平成15年3月に中学を卒業するのと同時に就職をしたのですがすぐに辞めてしまい、住む場所も失って、その日の生活費のためにひったくりをする生活が続きました。しかし、同年6月ころからは、友人の親が経営する建築会社に就職し、社長夫妻の家に住み込み、家族と同じような生活をしていたのです。

 K君は、このひったくりの件で平成15年10月に審判を受け、さらに平成16年4月にも万引きをして二回目の審判をうけています。私は二回ともK君の附添人となり、いずれも保護観察となりました。
 その後、当分は大丈夫かと思っていたところ、本年10月に、最初に書いたように家庭裁判所からの連絡が来たのです。

 今回K君は、7月に社長夫妻の家を飛び出し、その後住居不定のまま、住居侵入窃盗や自動車窃盗、公務執行妨害を重ねたということでした。
 K君が社長夫妻に不満を持っていることは聞いていたので、家出をしたこと自体は驚きませんでした。ただ、その時期が予想よりもずっと早かったことと、あまりにたくさんの事件を重ねてしまっていたことには驚きました。そして、家出をした後にK君から連絡をもらえなかったことや、逮捕後にすぐにK君自身に呼んでもらえなかったことについて、この日を予想しながらもK君との関係をきちんと継続して作っていなかった事を後悔しました。

 ともあれ、家裁からの連絡を受けて、私はすぐにK君と面会をしたのですが、K君は私が面会に来たことに驚き、気恥ずかしいのか照れ笑いを浮かべていました。それを見て私は力が抜けて「なにぃ〜、またやっちゃったかね」としか言えませんでした。そして「まぁええわ。ダメな附添人だけど、今度はもっとK君につきあってみよう」と思いました(ええ話や……)。正直なところ、附添人としての活動がいつまでも続くのはしんどいです。でも、K君の顔を見たら、「まぁ、ええわ」としか思えませんでした。いいんです、こんな自分が好きなんです。

 その後社長宅へ電話しましたが、予想どおり「もう面倒は見きれない」との答えでした。審判の結果もやはり少年院送致でした。

 審判の一週間後、私は少年院へ行きK君と面会をしました。K君はいつものように「ちゎぁ」と言って面会室に入ってきました。私はK君のこういうところが結構好きです。

 K君は今後長期間少年院で生活しますが、出たあとの仕事は既に確保できました。それまでは面会を続け、社会復帰への橋渡しをしていくことになります。今までの反省をこめて、今度こそは上手く繋ぎ止めることができるといいなぁと思っています。