子どもの事件の現場から(29)
    付添人って?

 

名古屋少年友の会 会員  影 久 眞 智

 名古屋少年友の会の会員として、時折少年事件の付添人の依頼が来ます。最初に依頼された時にどうしていいか解らずに、「自分の子供だったらどうするか」と、極めて単純な所から考えて「時間のあく限り面会に行こう」と思い、今もその単純な意識のままです。

 何人かの少年の付添人をしましたが、一番最初に付添人をした少年は異例中の異例でしょうが、未だにいろんな消息が聞けて細々ながら関わっています。けれど、友の会の付添人は審判限りという規則があって、なかなか他の少年とは審判以降はつきあえません。

 その中でも非常に劣悪な環境で育った少年がいて、私は彼のことを思うと付添人とは何かととてもやり切れない哀しい気持ちになってしまいます。

 鑑別所の彼に今までに楽しかったことは何?と聞きましたら、ある宗教団体の人と一緒に行った河原のバーベキューと答えました。その答にも哀しくなりましたが、彼の体にはたばこの火を押し付けられた跡が一面にあり、傷だらけです。私はもうびっくりしてしまって何も言えず、火傷でケロイドになった少年の手の甲の傷跡をなでながら泣いてしまいました。彼は驚いたようでした。「何か困ったことがない?」と聞くと「パンツもシャツもないし、お金がないからお菓子が買えないので腹が減る」と2回目ぐらいでやっと甘えを見せました。やがて彼は少年院に行き、その後、調査官から、彼が私に「手紙を出したい」と言っていると聞きましたがそのままになっていました。ところが、後日、彼はまた家裁に舞い戻り、今度は別の付添人に当たりました。その人に「影久という人を知っているか。逢いたい」と伝言をしてくれました。「あの人、俺のために泣いたンや」と言ったそうです。

 私は調停が入っていたので逢うことが出来ず、新しい付添人の方に調査官の許可を得て手紙を託しました。後で連絡を取ってもいいかと調査官に訊ねましたが、もうすぐ20才になるから1人で大丈夫とのことでした。けれど、鑑別所で最初の審判の前日に「明日審判だけど、きっとゆっくりと二人で話せないから握手」と言って手を出したら、両手で私の手を握って放せなかったことや、そのあと、2度も接触を求めてきたことに、うぬぼれかもしれませんが、何か私の温もりを欲しがっているように思えてなりません。審判に要るからという理由で、形だけの付添人になることは私の心にいつもざらつきを残します。弁護士資格がない付添人の限界で、仕方がないと理解していますが、1人で生きて行かねばならない少年に「私でもできる」手を貸す必要性を強く感じています。個人差もあるし、しっかり大人に教育してもらってもいない、愛された経験もないのに、してはいけないことだけ説いても彼の心に何が入るのか、疑問です。人に愛されてこそ社会で頑張って生きていけるような気がします。自分のことを心配してくれる人がいたら、どこかで歯止めになるかもしれません。

 人を愛することも思いやりもみんな周りの大人が教えてやらねばならないことなのではないでしょうか。周りの大人に喰いものにされただけの少年。傷つけられただけの少年。その少年に長くつき合って心の教育をしていく「親代わり」が要るのではないのでしょうか。本当の意味で今しばらく付き添う人がいるのでは……? 単なる審判の形だけの付添人では収まらない少年と、私がいます。