【アスリートたちの夏】    


大人たちの真剣な運動会〜マスターズ陸上の挑戦〜

会員 舟橋 直昭

メダリストは語る〜マスターズ水泳の世界〜

会員 垣内  幹

夏に走る!
    北海道マラソン、駆ける!
    標高差1157メートルを駆け上がる 「かっとび伊吹」


会員 宮島 元子
会員 渥美 裕資

 


大人の真剣な運動会
  〜マスターズ陸上の挑戦〜

会 員 舟 橋 直 昭

 40歳を超えてから、未経験者の私が陸上競技を始めました。通っているジムに、69歳で競技会に出場し100mを13秒6か7で走るというスーパーおじいさんがいて、その人から誘われたのがきっかけです。
 7月の新聞で「102歳のランナーが100m44秒台で走った」という記事が掲載されましたが、覚えておられるでしょうか。
 40歳以上のアスリートが集まって、5歳刻みのクラスの中で競う「マスターズ陸上」なる競技会での記録です。短・中距離、跳躍、投てき等、オリンピックでおなじみの競技は大体あります。出場に際しては特に資格・記録等は必要なく、誰でも登録すれば出場でき、この間まで現役の実業団OBの方から私のような素人の横好きまで、幅広い参加層があります。
 「マスターズ陸上」は、全世界に組織があります。日本マスターズは20年強の歴史しかありませんが、全国の各県に1つずつ単位会があり、毎年4月から11月にかけて殆ど毎週どこかの地で大会・記録会が開催されています。年に1回、全国大会があり、更に世界大会もあります。お年寄りの大会となめていると驚きで、一般の体力の持主からは考えられない記録が出ています。例えば、70−75歳クラスで100m13秒37、90−95歳のクラスでも18秒08、私の属する40−45歳のクラスでは10秒91が、それぞれ日本記録です。因みに先述の102歳のおじいさんは、100歳以上の60m・100m・200m・400m・800mの日本記録保持者です(当会で800mを全力で走り切れる人が一体何人いるでしょうか)。
 私は長年、当会の野球部に所属して過去には盗塁王などというタイトルを独占していた時期もありますが、最近では皆から「昔のスローモーションを見るような足運びだ」と酷評されます。ただ、毎週体を動かしているお陰で「落ち方」は少ない方だと、自分では思っています。
 今はとりあえず、短距離(60m、100m、200m)から走り始め、記録は少しずつ伸びてきた(というより回復してきた)ところですが、100mをまだ13秒1台で足踏みしています。今シーズン中に12秒台で走りたいと思っていますが、ゴルフで言うと100の壁が越えられないでいるといったところでしょうか。
 日々のトレーニングとしては、平日の朝に家の前の道路で、30mと60mのダッシュを繰り返している他、ジムでスクワット等の筋トレを行い、休日には公園のトラック等で100m〜150mの距離を走っています。うちの子供が、小学校で「朝、腿上げをしながら歩いているおじさんを見た」と言われたそうですが、気にせず続けています。
 初めて出場した競技会では、35−40歳のセミマスターズ(SM)というオープンクラスがあって、私の前のレーンで、100m前日本記録保持者の青戸慎司氏が10秒台後半で走っておられたので、正直ビビリました。
 ただ、青戸氏のような方は別格で、市民ランナーが自己記録更新を目指して一生懸命競技する姿には感動します。皆、怪我なく競技を続けて、1つ上(5歳上)のクラスへ行けば、自分の今のポジションが少しでも上がるのではないかと期待しています。競技者は「早く年を取りたい」と願っているのです。私も、今後は、投てき種目(やり、円盤等)にも挑戦してみたいと思っています。アテネ五輪アーチェリーの山本氏ではないですが、私も「年をとって良かった」と言えるようなアスリート人生を送りたいと思います。


メダリストは語る
  〜マスターズ水泳の世界〜

会 員  垣 内   幹

 何を隠そう、私、日本マスターズ水泳協会公認の水泳競技大会で過去2回、銅メダルを獲得している、メダリストなのである。
 折しもアテネオリンピックの夏、舟橋直昭先生がマスターズ陸上について原稿を書かれるとのことで、水陸両方を取りそろえようという会報委員会(というか委員長)からのお申し出を受け、マスターズ水泳の世界を紹介させて頂くことになった。
 マスターズ水泳は、水泳の練習を日常的に続けている大人たちによる水泳競技である。
 日本マスターズ水泳協会という競技団体があって、全国各地で、同協会の主催または公認による大会が開かれており、下は20歳代から上は80〜90歳代まで、文字どおり老若男女のスイマーたちでにぎわっている。
 一番規模の大きな試合としては、東京の辰巳国際水泳場(日本選手権なんかをやるところ)で例年7月に行われている「ジャパンマスターズ」があるが、これには、私、まだ出たことがない。身近なところでは、例年9月に笠寺のレインボープールで行われる「レインボーカップ」がある。これら両大会はどちらも長水路(50メートルプール)の試合だが、短水路(25メートルプール)の競技会も多い。私が2個の銅メダルを獲得した種目は、どちらも100メートル個人メドレー(バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の4泳法を1人で25メートルずつ連続して泳ぐ種目、略して1個メ)であり、短水路大会に固有の競技種目である(50メートルプールの途中で泳法を変えることはできないからである)。
 競技は、5歳刻みの年齢区分で行われ、それぞれの区分ごとに順位表彰がある。種目によっては出場選手がかなり少数ということもある(メドレーやバタフライに出る人は概して少ない)。たとえば、あなたがエントリーした1個メに、あなたの年齢区分では3人しか出場選手がいなかったする。この場合、失格しない限り、あなたの手元には自動的にメダルが転がり込んで……、いやいやそれでもメダルはメダル、なのである。
 リレー競技もあって、これはメンバー4人の合計年齢が区分の基準となる。たとえば、40歳×4人のチームと25歳×3人+85歳のチ
ームは、どちらも合計160歳で同一区分になるので、ここにチーム編成のいわば妙味といったものが生まれることになる。
 マスターズ水泳には、「無理せずゆっくり泳ごうぜ」みたいな趣旨の標語があったりして、これを体現する選手も高年齢区分には少なくないが(観衆から暖かい拍手が贈られたりする)、どの年齢区分でも本気の人はかなり本気で泳いでいる。何千人もがいちどきに走る市民マラソンと違って、水泳は1レースせいぜい10人なので、あまりに遅いとちょっと目立ってしまうのが辛いところではある。でも、参加標準記録なんていうものはないから、どれだけ遅く泳いでもそれは自由である。
 一瞬の栄光のために全てを犠牲にする競技スポーツの世界と違い、マスターズ水泳は、長い年月にわたって「泳ぐ」という習慣を続けているという自分の在りようそれ自体を肯定し、そこに価値を見い出すべきもの、と思っている。記録や競技会での順位もちょっとは気にしつつ、これからも泳ぎ続けたい。



夏に走る!
  

北海道マラソン、駆ける!

会 員  宮 島 元 子

 去年に引続き、2回目の北海道マラソン。今年は、惜しくもアテネ五輪出場を逃した千葉真子選手も出場(千葉ちゃんは、私が勤務する・豊田自動織機の所属。社内駅伝大会と社長表彰の場でしか見たことないけれど)。
 北海道といえども夏の大会。去年のような酷暑を覚悟していたのに、意外と涼しい。
 真駒内陸上競技場を8月29日12時10分にスタート。今年は、法科大学院の教員生活が始まったこともあって、なかなか練習ができず(いつも通りという人もいるが……)、大会前の1か月半でまとめてトレーニング。しかし、気温が比較的低いこともあって、快調にピッチを刻む。第1折返点を過ぎてからは強い向い風に苦しむ。でも、30キロを過ぎてもそれほどのペースダウンなし。さすがに40キロ付近から脚が上がらなくなってしまったが、沿道からの大声援(本当にありがたい)に背中を押されて中島公園のゴールにフィニッシュ。3時間34分11秒!去年のタイムを13分更新。嬉しい!
 国際大会出場の夢もかすかに光が見えてくる。まずは、今年から出場資格が緩和されて3時間30分以内となった東京国際女子マラソンを狙ってみようか。そして、いずれは、3時間15分を切って、名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子や野口みずきと一緒に(もちろん、ずっと後ろを)、久屋大通や丸の内を駆け抜けるなんてことも……と夢だけは大きく膨らむ。
 「いやいや、すぐにまた怠けるよ」「好きな宴会を我慢できないから無理、無理」「年齢がねえ……」などとのささやきも聞かれるが……

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標高差1157メートルを駆け上がる 「かっとび伊吹」

会 員  渥 美 裕 資
 

 新大阪へ向かう新幹線が関ヶ原のトンネルを出ると右側に大きく伊吹山が見える。注意して見ると、その麓に白い煙の上がるセメント工場の煙突がある。「かっとび伊吹」はそのセメント工場の横にある「薬草の里」をスタートし伊吹山山頂をゴールとする標高差1157mの山岳マラソン大会である。制限時間2時間30分。正統派ランナーにはあきれられ(馬鹿にされ?)名古屋からは私だけ、同じくマッターホルンとキリマンジャロを目指してトレーニングを重ねる荒川葉子さんが地元滋賀弁護士会から参加した。
 8月29日、大型台風16号が日本列島をうかがい、伊吹山頂は南海上からの湿風に湧く雲に覆われ見えない。蒸し暑い。9時40分スタート。1合目までの標高差300m弱の林道は走り続けなければならない。この標高差は箱根駅伝で言うと、小田原中継点から大平台あたりまでに相当する。1合目を過ぎるとスキー場リフト沿いの坂道となり、我々レベルはこの辺りから歩き出し、勾配がちょっと緩くなるとしばし走る。3合目のホテル前で給水した後は本格的な山道。ひたすら早足に登り続ける。林道では汗だくだったのが、いつしか吹く風も冷たくなって雨も舞い始め、脚が痙攣する。道もぬかるんでいてランニングシューズではすぐに滑る。
 1時間40分10秒で辿り着いた山頂(1377m)は、ガスにつつまれ強風に横なぐりの雨がたたきつけられていた。荒川さんは途中の関門をパスし根性のラストランナーで山頂に達する。
 山岳マラソンの頂点は富士登山競走(富士吉田から山頂の標高差3000mのレース)。ふと挑戦の心が動くこともあるが、伊吹の2.6倍の標高差は厳しい。