民事介入暴力対策特別委員会の活動と言っても、消費者、人権、刑事等の各委員会の活動と比べれば、その活動については一般会員にはなじみが薄いかもしれない。会報で、民事介入暴力対策特別委員会の特集が組まれたのは昭和61年以来のことである。まさに20年ぶりの出来事である。ここで当民事介入暴力対策特別委員会、略して「民暴委員会」の歴史について、簡単に御紹介したい。
名古屋弁護士会は、昭和53年に人権擁護委員会にサラ金部会を設立し、その取り組みを開始し、昭和56年3月同部会を発展的に解消し、民事介入暴力並びに暴利金融被害者救済センターを発足させ、そのうちサラ金部門を分離し、当委員会が昭和61年2月発足した。
この委員会の成り立ちの歴史が、当委員会の現在の活動の根元となっている。昭和61年当時の委員会の活動内容は、組事務所の明け渡し、警察と連携、特に当時は警察の「民事不介入の原則」により倒産事件において、債権者の自力救済は当然のごとく行われ、裁判所の封印はビラ程度の効果しかなく、暴力団風のいわゆる「整理屋」が破産会社に乗り込み、警察官の目の前で、商品を運び出すのは日常の出来事であった。そのため、いかに警察の協力を得るかということが議論の対象となっていた。その後、当委員会の中心メンバ
ーを核として、浜松一力一家事件への支援活動、弁護士業務妨害事件に対する支援活動を積極的に行い、妨害禁止の仮処分、組事務所明け渡し事件への積極的な取り組みが全国的に評価され、平成2年9月14日全国民事介入暴力対策愛知大会が開催された。その後、平成4年暴力団対策法が施行された。この法律の効果は絶大であり、指定暴力団の暴力団員が同法に規定された不当要求行為を行えば、中止命令が公安委員会からなされるというものであり、暴力団員が暴力団の名刺をひけらかし町を闊歩し、または示談交渉、倒産整理を行うことは公然としてはなくなった。暴力団対策法の効果は絶大であったが、折しもバブル経済全盛期のことである。暴力団の活動組織は、著しく変容するにいたった。それは、暴力団が経済に触手を伸ばし、経済マフィア化する現象である。むしろ、この頃より、当委員会の活動は多種多様となり、「暴力団対策」というより、「不当要求行為対策」という点に活動の視点が変化し、同時に法制度、行政との連携という活動領域の変化が生じた。
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