5月21日に裁判員法案と刑事訴訟法改正案が国会で可決成立した。戦前の陪審法が昭和18年に停止されて以来、実に61年ぶりに、わが国で国民の司法参加を実現する制度ができることになった。施行は5年後といわれ、少し先ではあるが、裁判員制度という形の国民の司法参加が、いよいよ目の前に現実のものとなってきたのである。
ちょうどこのような時期に、2つの市民団体の共催で「裁判員制度を考える集い」が5月31日土曜日の午後、愛知県中小企業センターで開催された。1つは「市民の裁判員制度をめざす会」で、名古屋弁護士会モニターOBの会である「きさらぎ会」が名称を変更して、これまで裁判員ドラマの上映会を県内各地で行なってきた。もう1つは「市民のための司法改革を求める愛知の会」で、県下の労働団体や消費者団体、裁判支援団体などを中心に組織され、これまで市民のための司法改革を求めて何度も集会やシンポジウムを開催してきた。いずれも当委員会の弁護士が世話人や事務局を務め、弁護士会との関わりも深いところである。
今回の「集い」はこの2つの市民団体が企画から実行まですべてを自前で行なったが、弁護士会としてもこれを後援し、当委員会の弁護士を裁判官役として派遣するなどして後方から協力をした。準備期間があまりなかったということで、何名ほどの参加者があるのか主催者側としては心配だったようであるが、直前に新聞・テレビでも紹介されたこともあって、当日は250名ほどの市民が集まっていただき、裁判員制度に対する関心のほどを示していた。
この日の集会は、冒頭、宇佐見大司愛知学院大学教授(市民のための司法改革を求める愛知の会代表世話人)の開会挨拶と名古屋弁護士会水谷博之副会長の来賓挨拶の後、第1部が「法廷劇」が始まった。
これは、新潟大学の鯰越教授の原作にかかる例の有名な「失恋サンタの殺人事件」で、各地の裁判員劇でこの脚本がよく使われているので、ご存じの方も多いのではないか。クリスマスイブの夜、女性がアパートの自室で刺殺された。被害者の血痕のついたナイフが近くから発見され、部屋には被告人の指紋が付いたケーキの箱が……。当夜、近くにケーキ店でサンタの衣装を着てアルバイトしていた被告人が犯人として逮捕され、目撃証人やアリバイ証人などが法廷で証言をする。
当日の法廷劇では、被告人、弁護人、検察官、証人はいずれも司法修習生や法科大学院生、法律事務所職員が熱演した。シナリオをそのまま読むような論告や弁論は、素人劇故にかえって妙にリアルであった。裁判官3名は現職あるいは元職の裁判官が務め、裁判員6名は事前に公募した中から選ばれた。
第2部は「評議と評決」で、舞台で1時間にわたって3人の裁判官と6名の裁判員によるシナリオなしの評議が行なわれた。また、舞台と並行して裁判官1名と裁判員6〜8名の合議体5つが作られ、こちらは別室で評議を行なったが、裁判官役はいずれも当委員会の弁護士が務めた。
舞台での評議の様子がこの裁判員劇の中心で、とくに市民の裁判員がどのように意見を述べ、評議がどのように進められるかを、現実に見ることができるのが興味深い。もちろん、本当の裁判ではないので雰囲気はかなり実際とは違うだろうが、それでも市民の裁判員は、それぞれ熱心に評議に参加して自分の意見を述べていた。
しかも、裁判員の皆さんは、結構、論理的に自分の意見を述べている。もちろん、裁判員に応募する人は関心も意識も高い人が多いので一般化はできないだろうが、日本人は議論下手というのも誤った一般化ではないかという気がする。
とくに、この「失恋サンタの殺人事件」は、有罪の決め手となる証拠が一見して不十分で、幕間の休憩時間中にいろいろ話を聞いてみてもそういう意見が多かったが、舞台での評議の冒頭に各人の現時点での心証を順番に述べあった際にも、やはり裁判員は全員が無罪の心証であった。そのため、裁判官3名は意図的に有罪説を述べて、裁判人に評議を尽くさせるという進行になった。ところが、このような裁判官の強引ともいえる説得を受けて、途中で有罪に意見を変えた裁判員は1人だけであった。他の裁判員はむしろ、そのような裁判官の有罪の論拠の薄弱さをしっかりと指摘して反論しているのが印象的であった。
結局、1時間の評議の末、最終的な評決結果は、有罪4(裁判官3、裁判員1)、無罪5(裁判員5)で、無罪となった。
舞台以外の5つの合議体の評決結果も、その後の第3部「集い」の冒頭で、各裁判長から報告がされたが、それぞれ有罪:無罪の数は、2:6、4:5、0:7、0:7、3:5で、いずれも無罪という結果であった。
凶器のバタフライナイフには被害者の指紋しか付いていないが(そういう設定になっている)、そこに被告人の指紋と他の指紋も付いていたら、もっと有罪と無罪は微妙になって面白かったのではないか、実際の事件を題材にもっとリアルなものができないか、等々、幕間の休憩時間は、原作者には失礼ながら、シナリオの出来不出来を肴にあちこちで観客の側も結構盛り上がっていた。確かに、その場合には評議はまた違った様相を呈したかもしれない。しかし、有罪無罪の結論はともかく、今回の「シミュレーション」を見る限り、素人の裁判員も6人集まれば、かなりしっかりとした意見が出され、裁判官と対等に渡り合って充実した評議が行なわれるのではないかという感じをもったのは私だけではないように思う。
最後に、当会の山田幸彦弁護士(市民の裁判員制度めざす会代表世話人)による「まとめの報告と閉会挨拶」が行なわれたが、裁判員制度の意義と今後の課題をわかりやすく指摘していた。裁判員制度が始まると、日本国民の60数名に1人が生涯のうちに裁判員を経験することになり、さらに裁判員選定手続きに呼び出される人は10数名に1人の割合となる。この数字は裁判員制度が非常に身近なものになることを示している。そして、市民が裁判に参加することが
、裁判のあり方を変え、社会のあり方を変えていく可能性をもっている。取り調べの可視化はその一例で、司法制度改革審議会答申では手を付けられなかったものの、この制度が機能するために避けて通れない課題であることがしだいに明らかとなり、三者協議での協議が既に始まっている。しかし、自動的にうまく行くわけではない。しかも、成立した法案には不十分な点や問題もあり、法廷の構造を始め、市民が参加しやすい環境を作ることもこれからの課題である。そのためには、市民が積極的に発言・提言していくことが重要である。また、裁判員制度のもとにおける弁護活動のあり方についても、今後切実な問題として検討をしていく必要があるだろう。
集会の後の打ち上げ懇親会には市民団体のメンバーや出演者、裁判官、弁護士、裏方をやっていただいた方など、30名ほどが参加して、集会の成功に気分良く、わいわいがやがや大いに盛り上がった。このような司法改革の取り組みは、やはり市民が主体となって取り組まないと盛り上がらない。そういうことも感じさせられた一日であった。