刑事弁護人日記〜身代金目的誘拐殺人の共犯にされかけた男の話〜


西三河支部  会員 天 野 太 郎

 この事件は、昨年初夏頃、東三河の地方都市で起きたJC関連の誘拐殺人事件(但、本犯の起訴は強盗殺人と恐喝未遂、犯人隠避教唆等)に関わる犯人隠避等の話です。本犯は現在も裁判中なので彼の件にできる限り絞って書きますが多少のことはご容赦ください。
 私は、偶々西三河支部の当番弁護士の担当日で、委員会派遣のような形で引続き扶助での受任となりました。
 本犯と彼との関係は、彼の元勤務先の専務と一従業員でした。事件前、彼が、元専務からカネ儲けの話などと持ち掛けられて身代金投下指示場所の東名高速ポスト付近の下見に付き合わされる等したが怖くなって関与を絶ち、本犯たる元専務が単独で強盗殺人・恐喝未遂等を実行しました。しかし、その後の逃走のため、彼に対し、元専務の家に元専務自身が誘拐されたかのような脅迫電話をかけさせて浜松駅まで車で送らせ、元専務はフィリピンへ渡航した等から彼自身も事件本体への関与(共犯)が疑われた案件です。
 彼は、殺人や身代金要求への関与を一切否認していました。自分は、関与を絶った後一切会ったことも電話で話したこともない、遺体発見・報道協定解除後に元専務から電話で泣き付かれ断り切れずに言われるまま渡されたメモのとおり母親に電話したというのです。
 しかし、捜査機関は、脅迫電話の内容の共通性や被害者の体が大きく単独犯では不可能では?との想定からかなり強引な取調べにより彼を自供に追込みそれを本犯(殺人を当初否認)にアテて両方共落とすとの意向を持っているように思えました。
 彼への取調は、土日も含め連日深夜10、11時過ぎに及び、机を何度も蹴る、机の上に飛び乗る、彼の両手をきつく掴んでお前がこの手で○○さんを殺したんだと大声で凄む、やっていなくても私が遺体を捨てましたと紙に書けと命じるなどであり、私は、警察と検察庁に取調内容に関する抗議の内容証明を出しました。万一の公判提出のためにも、取調状況は過不足なく指摘すべき点は全て指摘できるように努めました(その結果9頁でした)。
 検察庁にも内容証明を出した理由は、犯人捜しの新聞報道や彼の説明から明らかに典型的な別件逮捕勾留でしたが、検察庁は違法捜査に歯止めをかけるのも本務だし、その後も続けば検察庁に直接抗議ができ、公判維持をも視野に入れると無理ができなくなると考えたからでした。内容証明にした理由は、民事の場合とほぼ同じです(差出日・内容の証明、ある種の威嚇)。抗議後、徐々に取調の態度が弱くなってきたと思います。
 当然、土日も含めほぼ毎日接見し(否認事件での鉄則)、次は○日の○時に来ると彼に約束して帰りました。彼に目標を与えるためと彼の信頼を行動で勝ち取るためです(なお別事件で岡崎署に毎日接見したら遠方の西尾署に移監されたケースがありました−当然以後も毎日面会し、逆に結束が固くなりました)。
 接見内容を保存するため応援を頼んだ永谷和之先生にその都度FAXしました。以前接見メモや被疑者作成・宅下のメモに法務局や公証役場の確定日付を取ったことがありますが、FAXでも日付が入り十分です。
 また、主要4誌を毎日買って新聞の切抜きを続けました。捜査機関は、マスコミに捜査情報をリークすると聞いていたので、毎日、記事と彼から確認する取調状況・内容とを比較し、・捜査機関がどんな事柄をどう位置付けて捜査し、そのため彼にどんな供述を求めようとしているのか探るため・特に本件は派手に報道合戦を繰返していたからマスコミは特ダネを抜くため全力で取材し、すぐに記事にするのできちんと新聞を読めばかなり捜査機関のホンネに迫れると考えたためです。
 事実、こうした切抜きや前日の取調内容を踏まえた検討は本件では大変有益でした。
 公判段階で比較したら、供述調書作成日付の1〜3日後に記事になっている事柄が数点ありました。ただ、捜査機関は、得た供述をその日に調書にするとは限らないし、独自取材の記事もあり、注意が必要だとも判りました(余談ですが、関係者同士の調書を比べると複数人の供述内容を一致させるため各記載内容が1、2日ずつずれて作成されていることが時々あります)。また、さすがに秘密の暴露的事柄(本件では本犯の殺害時の一部の凶器等)は一切リークされていませんでした。
 反面、マスコミからの取材は、自身が弁護人であるか否かも含めて一切拒否しました。
 取材に応じると、出元が混乱し、上記の作戦が取れなくなることや本来の彼の弁護には有益でないし、都合のよい部分だけを摘み食いされかねないためです。マスコミ各社は、当番弁護士で岡崎の弁護士が接見し、そのまま受任したとの情報をどこかから得ていたので、西三河支部の弁護士全部に電話をかけ、酷いのになると、弁護人は天野と判っているが名乗らないのでご迷惑だが先生にも一応聞かないといけないなどと悪態をつくのもいました(当支部の先生方ごめんなさい)。
 家族の様子を聞き彼が涙を流したり、取調時刑事から、あれだけ言えばホトケが夢枕に立ってうなされるけど変だな等言われた(つまり刑事の取調方法は確信犯です)と話すのをみて、この男は、事件に関与していないと徐々に確信してきました。
 接見に慣れてくると、趣味の雑誌を買って差入れて欲しいというなど彼にも余裕が出てきました(RQ雑誌といえば判る人は判りますね)。平常心も必要です。彼は、後で親からこの馬鹿息子がと言われたそうですが、私は、快く承諾し、2冊買って1冊差入れました。
 結局、事件本体への関与の物証も供述もなく、彼は脅迫電話等の件だけ起訴されました(脅迫と犯人隠避の包括一罪!?)。最終的には刑事も彼のシロを得心したと思います。
 公判直前には、冒頭陳述を一応用意し、異例ですが、公判検事にも事前に送り、マスコミは検察の冒頭陳述を広く報道するので立場の違いはあるが、彼の社会的生命のため、曖昧な想定での指摘は止めてほしいと頼みました。しかし、頼みは空しく終わりましたので、万一のために20頁位用意した冒頭陳述の一部をかなり詳しく述べました。この頃には彼に好意的なマスコミもおり、こちらの主張も比較的詳細に書いてもらえました。
 執行猶予付の判決で(1週間前に保釈が許可)、判決理由中、争点(情状面で、本犯が殺人を行ったか否かの認識、彼が応じた動機(自身の保身か断り切れずか)など)の判断はこちらの主張が通りましたが、検察官の求刑どおり懲役2年の判決とだけ報道したマスコミもいました。なお、判決後、顔見知りの記者はともかく一見の記者は特に注意が必要と思いました。書くなと言ってもつい気が緩んで話したことが必ず書かれてしまうためです(当たり前ですかね?反省します)。
 私なりに知力体力共全力を尽くし、その成果か否かは判りませんが(←結局証拠がなく何もしないでも捜査機関が断念したかも知れない)、被疑者段階で嫌疑が晴れてよかったと思います。しかし、カネあっての人権ではいけませんが、扶助→国選という流れの中で、個々の弁護士の熱意と半ばボランティアで刑事弁護を支えるのみでよいのかなとも思いました。なお、本件後、当番弁護士に、ロシアンルーレットと同じ恐怖を覚えるようになりました。