名古屋市児童相談所
児童福祉司(非行専任)
渡 辺 忍
今、児童相談所は「児童虐待」の対応で、最も多忙な行政機関となっている。児童の非行相談も児童相談所(以下児相)の重要な仕事である。名古屋市児童相談所では、全国でも数少ない非行専任児童福祉司が5名いる。最近の非行児童の中には関わりが難しい子どもが増えてきている感じを受ける。その一人であるA君との関わりについて紹介する。
A君は中2の夏過ぎに、バイク盗を連続5件起こし5署からの触法通告があり、児相との関わりが始まった。とりあえず児童福祉司指導(2号措置)とし、通所指導を続けた。A君は「話すことはない」「早く終われ」と
私との関わりに拒否的であった。中2の秋に教室で先生に手をあげたことから4,5人の先生に押さえ込まれ学校にも行けなくなってしまった。また、先輩との付き合いから家にも寄りつかず、児相の通所も難しくなり、中2の冬には犯罪事件(当時14歳)を犯してしまった。
保護者からは「施設に入れて欲しい」との訴えもあり、ぐ犯による「児童自立支援施設送致が適当」との意見を付し在宅での家庭裁判所送致(4号措置)とした。3週間後、初回呼び出しで観護措置となった。審判はA君のほかは、母と私だけであった。結果は「児童自立支援施設送致」となり、児相の車に乗せ学園へと向かった。その途端から、「俺は入らない」「勝手に決めやがった」と不満をぶつけ、学園に到着してからも「死んでやる」「こんな所に入れやがって」と怒りは収まらない。寮舎へ移ってからもその態度は変わらず、着替えも拒否していた。私は「この決定に不満なら抗告ができる」と説明し帰った。翌日、学園を訪問すると、少し落ち着いていた。A君の審判での不満を具体的に聞き抗告書を作成し、高裁へ出した。その後も、私は月2回学園訪問し、A君との面接、関係職員との面接を続けた。A君から依頼もあり、月1回児相に通ってもらい児童精神科医の面接も受けることになった。しかし、学校の先生の面会は頑として拒否していたため、担任には根気よく通ってもらい関係修復するよう助言した。ところが5ヶ月たった頃、学園長から「A君の処遇は限界に来ている」との意見書が出された。一般寮の時は良いが、客寮(週休対応寮)の時は不安定になり、いじめがひどい、衝動コントロールが効かないとのことだった。学園でのケース協議ではA君の成長ぶり(小数の人と関係が取れるようになった)を評価しながら、「もう少し頑張って欲しい」と意見した
客寮担当職員は「今からでも連れて帰ってくれ」と発言したため、私から審判決定の意味を説明した。その2週間後、今度は学校の先生、保護者を交えて懇談会を開き、12月下旬退園を確認した。
退園時、いくつかの約束をし再び児童福祉司指導とした。家に帰った後、A君は児相には月2回通所、新聞配達を始め、学校とも少しずつ折り合いを付け、2月からは時々相談室登校が出来るようなった。卒業式直前、服装、髪の色等をめぐって、学校ともめることもあったが、私の仲介もあり何とか仲間とともに卒業式にも参加し中学校との別れを告げた。今では随分関係が取れるA君である。まだまだ、自立支援についての課題は多いが、A君との関わりをとおして私自身いろいろなことを学ばせてもらった1年半であった。
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