刑事弁護人日記(5) 無念の控訴棄却判決


Part1   会 員  城 野 雄 博

1 過去10年で最多の死刑判決
 平成15年も押し迫った12月30日、「今年、全国の地裁と高裁で死刑を言渡された被告人は、過去10年で最も多い計30人に上った。強盗殺人などの凶悪犯罪の増加や被害者感情重視の厳罰傾向を反映した格好だが、一方で超党派の国会議員は6月、終身刑導入と死刑執行停止などを盛り込んだ法案を作成。来年中の国会提出を目指す。」という新聞記事が目にとまりました。
 7月8日、名古屋高裁(刑事1部)で、一審(名古屋地裁一宮支部)の死刑判決に対する控訴棄却判決を言渡された3人の被告人(以下、A・S・Kとします。)のうちSの弁護人(国選)であった私は、この記事を複雑な気持ちで何度も読み返しました。

2 初めての死刑事件
 北條副会長(当時)から、「弁護人たる者、一度は死刑事件を経験した方がよい」等と熱心に勧められ、一審判決の表示順から、私はSの控訴審の弁護人になりました。
 一審のSは、A・Kと異なり、事実関係(殺人2件、強盗殺人1件等)をほとんど争っておらず(むしろ、Sの供述からA・Kの供述の信用性が否定され、事実認定がなされている点も少なくない)、主としてSの若年、従属性、反省悔悟、矯正可能性等の情状立証を中心とした弁護活動がなされていました。
 それでも、一審判決では「金目当てに自らの手で3名の貴重な生命を次々と奪ったSについては、もはや人格矯正の余地はない。」と厳しく断罪されており、控訴審では、より一層の情状立証が必要な状況でした。

3 弁護方針
 初回接見時、Sは一審判決への不平・不満が多く(当然と言えば当然ですが)、私は「これからは毎日、仏になったつもりで過ごしてもらいたい。」とかなりキツイことを言って拘置所を後にしましたが、公判準備のため、月2回のペースで拘置所通いをしているうちに、牧師による教誨や死刑廃止運動支援団体との交流等を通じて、会う度にSが落ち着きを増し、言葉や態度に深い反省や悔悟が広がっていく様子が分かりました。Sには、ある種の悟りや覚悟ができていったように思います。
 私は、Sのこのような状態を、裁判所に十分理解してもらえるよう努めるのが、最良の弁護になるものと考えました。

4 無念の控訴審判決
 しかし、判決の言葉は、主文が後回しとなり、「Sについては、本件各犯行につき詳細に事実を述べ、反省を深めていることが認められ、その加担が従属的であることや、Sに矯正可能性のあることも認められるとはいえ、これらの点を有利に考慮するにも自ずから限度があるといわなければならない。保険金に関わる殺人2件を実行しているだけならばともかく、それにとどまらず、強盗殺人を中心とする最後の一連の犯行を犯すに至っている以上は、Sの罪責はもはや余りにも重く、かつ、大きいといわざるをえない。したがって、罪刑の均衡の点や、上記のような酌むべき事情を十分に考慮にいれ、慎重に検討を重ねても、Sを極刑に処するのは真にやむを得ないものと判断される。」として、Sの控訴は棄却され、一審の死刑判決が是認されるという無念の結果に終わりました。
 A・K・Sとも上告を申立て、現在は最高裁判所に係属しています。


Part2   会 員  櫻 林 正 己

 平成14年春、事務所にH條副会長から国選特別案件依頼の電話がありました。経験がなかったので、その場で承諾したら何度も礼を言われ、不思議に思いました。
 後日、裁判所に記録を見に行ったら55冊の固まり(記録の)が押台で運ばれてきて、謎が解けました。

 罪名は、2件の保険金殺人及び1件の 強盗殺人等で、1審判決は3名の被告人全員死刑です。約230ページありました。時間を見つけて、気合いも入れて読み込んだ結果、判明した争点はいくつかの犯罪構成事実、量刑事実でした。

 被告人に直接面会する者としてその心情推察するに忍びなく、午前8時30分からの2時間以上に及ぶ打合せを何度も重ねました。
 頼まれた私用も、断ろうかとも思ったのですが、外部との交通が現在の被告人の心のよりどころだと思うと断り切れず、相当の時間・労力を消費する結果になりました。
 4つの争点ごとに3人の被告人質問を繰り返し行った後(午後一杯の尋問を何度もしました。)、原審鑑定の法医学者、取調警察官の証人尋問等の証拠申請が一律却下されました。
 固唾を呑んで見守っている被告人らの目の前で、すぐ異議申立てのため立ち上がりましたが、結果は全部棄却。平成15年夏に言い渡された判決も控訴棄却でした。

 後日、被告人から丁重な御礼の手紙を受け取りました。受け取った国選報酬は、あるとき知り合いに聞いたところ、そんな高額国選報酬は経験したことがないというものでした。

 同じような事件はいくらでもあるといえばあるでしょうし、本件でもいろんなことがありました。
 弁護士として1つの経験であることは間違いありません。経験したことがない先生方は、是非、積極的に受任されることをお勧めします。



Part3   会 員  金 田 高 志

 私が弁護をした被告人Kは、フィリピンで起きた邦人間の2件の殺人事件について、実行犯ではなく、殺害計画の中心的人物という認定で、第1審で死刑判決を受けた者であった。
 Kは、主として、@2つの殺人事件が保険金目的か否かという点、また、A被害者らの死亡と殺人行為との因果関係の有無について、控訴審で争って欲しいとの希望を持っていた。
 即ち、Kは、第1の犯行については、共犯者であるS・Aと保険金目的の共謀をしていないこと、また、第2の犯行については、純粋に復讐目的であると主張していた。特に、第2の犯行について、Kは、被害者を信用しきって多額のお金を貸したが、被害者は、返済を要求してもその場しのぎの言い訳をし、あげくに、Aから行方をくませてしまい、憤激しながらも途方に暮れたKが、日本に一時帰ってあるサウナに入ると、全く偶然にそこで被害者と出くわしたところから第2の事件に発展したというものであった。
 Aについては、被害者の解剖結果が、両殺人共にフィリピンの医師の解剖結果では病死とされていたことから争った。Kと実行犯であったAは、両被害者の死因について鑑定の申立をしたが、それは却下された。勿論、納得がゆかず異議を申し立てたが、それは受け入れられなかったのが残念であった。
 Kは、第1審で死刑判決を受けた者であり、かつ、法廷では許可もなく大声で発言をするなど、弁護がやりにくかったと他者からは思われたかも知れない。しかし、Kは、話してみると人なつっこい人物との印象を受けた。また、Kからは手紙が良く来た。私は、その都度接見に赴き、2時間以上話をしたことも良くあった。事件だけではなく、年齢が近いこともありいろいろな話をした。出来る限りのことをしたつもりだが、控訴棄却は無念であった。判決後、Kからお礼の手紙をもらい、自分の仕事について、納得することにした。