司法制度調査委員会 刑事部会
部会員 福 本 博 之
小泉純一郎首相は、平成15年9月22日の内閣改造後に発表された談話の中で、次のように述べている。
「社会経済が急速な変貌を遂げていく時代にあって、国民生活の『安全』と『安心』を確保することは、政府に求められる基本的な責務であります。『世界一安全な国、日本』を復活させ(中略)、国民が安心して暮らせる社会を実現してまいります。(中略)日本の安全と発展は、世界の平和と安定と共にあります。(中略)テロの防止・根絶に向けた闘いなどに全力で取り組んでまいります。」
この談話に先立ち、同月2日、「『世界一安全な国、日本』の復活を目指し、関係推進本部及び関係行政機関の緊密な連携を確保するとともに、有効適切な対策を総合的かつ積極的に推進するため」、〈犯罪対策閣僚会議〉を発足・随時開催することが閣議において口頭了解された。この会議は内閣総理大臣が主宰し、全閣僚を構成員とし、会議には、必要に応じ、その他関係者の出席を求めることができる、とされている。
ちなみに、インターネットでこの〈犯罪対策閣僚会議〉のキーワードで検索すると、平成15年12月に同会議が策定した〈犯罪に強い社会の実現のための行動計画−「世界一安全な国、日本」の復活を目指して−〉というPDF文書を見ることができる(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hanzai/)。
昨年9月に同会議が発足して、すでにその年末にはこのような大容量の行動計画ができあがってしまうというのもすごいが、その内容はもっとすごい。
その序文は、いきなり「今、治安は危険水域にある」という文章で始まり、「国民の体感治安が悪化している」と続く。
さて、この「体感治安」とは何であるか?官僚が造った〈新・四字熟語〉にしては、なかなかいい出来である。しかし、この「行動計画」の中にはこの言葉の肝心な定義付けはどこにも見当たらない。
ただ「行動計画」中に、「国民の治安に対する不安感」という文章が見られること、広辞苑でちなみに「体感温度」を引いてみると「温度・湿度・風速・日射などによって、人が体に感ずる暑さ・寒さの度合を数量的に表したもの」と説明されていることなどから推論して、私なりに定義付けを試みるとすれば、「社会環境の変化、社会における規範意識の低下、国際化の影響、経済情勢等の様々な事情によって、人が体に感ずる治安の良し・悪しの度合い」とでもいうことになろうか。
先の序文をこのように読むと、我々は今、本当に〈物騒な世の中〉に生活しているような気がしてくる。
この行動計画は、「今後五年間を目途に、国民の治安に対する不安感を解消させ、犯罪の増勢に歯止めをかけ、治安の危機的状況を脱することを目標」とし、多くの「施策の着実な実現を図る」としている。
以下には、どのような施策・立法が考えられているのかを概観してみようと思う。
1 平穏な暮らしを脅かす身近な犯罪の抑止
■地域住民、ボランティア団体の自主的パトロール、啓発活動等の実施による、地域安全活動の定着。
■犯罪対策に関する条例制定の支援、条例の厳正な運用
■警察による街頭活動の強化、公判における厳正な科刑の実現
■犯罪被害者のための更なる施策の在り方についての調査研究
2 社会全体で取り組む少年犯罪の抑止
■捜査書類作成の簡素合理化等による捜査の迅速化、軽微な少年事件の処理の在り方の検討
■保護観察官の関与の重点化、保護観察中の少年に対する指導を一層効果的にするための制度的措置の検討
■触法少年の審判の前提として必要な警察による事実調査権限及び手続の明確化
■非行少年の反省・更生のための少年法制とその運用上の問題点の検討
3 国境を超える脅威への対応
■偽りその他不正の行為により在留を画策するなど継続して滞在させることが好ましくないと認められる外国人の在留資格取消制度創設のための法改正
■国際犯罪防止条約関係議定書の締結に向け、同条約で定める人身取引(トラフィッキング)及び密入国させること(スマグリング)の処罰化のための法制度検討
■来日外国人犯罪の背景にある犯罪組織の全容解明、犯罪収益の徹底した剥奪
■日米捜査共助条約の実施に当たって、要件の緩和等により共助の強化を図るための国際捜査共助法の改正(→今通常国会に法案提出)
■我が国の過剰収容の一因となっている中国人受刑者の母国への移送のための受刑者移送
に関する国際約束についての協議開始
4 組織犯罪等からの経済、社会の防護
■コントロールド・デリバリー、通信傍受、おとり捜査、潜入捜査等の捜査手法の研究・制度や捜査運営の在り方の検討
■国際組織犯罪防止条約の早期締結、及びこれに伴う共謀罪、証人等買収罪の新設、犯罪収益規制関係の規定の整備(→法案再提出)
■執行妨害犯罪の処罰範囲拡大・刑の加重、倒産犯罪の構成要件・法定刑の経済社会の実勢等に照らした再構成
■暴力団員の違法行為についての代表者の責任追及・被害者救済のための法制整備の検討
■脱法ドラッグについてのインターネット上の広告監視、製品の買上分析調査の実施、麻薬等への指定
■国際組織犯罪防止条約補足銃器議定書の早期締結に向けての、銃器への刻印、記録保管、輸出入管理等に関する制度の確立、国内関係法令等の整備
■サイバー犯罪の捜査員の水準向上・警察組織の見直し、捜査の高度化の推進
■サイバー犯罪条約の早期締結、コンピュータ・ウィルスの作成・共用等の罪の新設、わいせつ物頒布罪の構成要件の拡充、電磁的記録に係る記録媒体に関する証拠の収集、電磁的記録の没収等に関する国内法整備(→刑法、刑事訴訟法の改正を伴う)
5 治安回復のための基盤整備
■地方警察官・警察庁職員・検察官・検察事務官等関係の増員
■関係機関・事業者に対する捜査関係事項照会への迅速・的確な対応を促し、犯罪捜査への国民及や事業者等の協力を確保するための方策の検討
■過去の犯罪者に関する情報分析、DNA型鑑定結果の捜査への活用に向けた検討・制度整備
■刑務所、拘置所、少年院等の著しい高率収容ないし過剰収容、それによる処遇環境の悪化等の緩和・解消、所用要因の確保のほか民間委託等による業務負担軽減等の推進
■集中的審理を積極的に推進するなど充実・迅速な公判審理の実現
■凶悪犯罪の法定刑の引上げ等を含めた罰則整備の検討(→法制審議会にて審議のうえ、秋の臨時国会に法案提出予定)
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体感治安はよくなるかも知れないが、一人一人のプライバシーが密かに監視し続けられる中で、日常生活の真の自由・安心感は果たして何処に行ってしまうのであろうか…
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