虐待死、虐待死、あぁ虐待死


会 員  高 橋 直 紹 


 私は、平成15年10月22日に昭和区内で起きた4歳の男児に対する虐待死事件を受けることになりました。この事件は、母親と交際していた18歳の少年が、子どもに対し暴力を振るい死なせたとして、少年を傷害致死、母親を傷害致死幇助で起訴された事件です。

 私たちは、名古屋弁護士会所属弁護士が中心となり、子どもの虐待防止活動を行う弁護士のネットワーク「キャプナ弁護団」に参加しています。子どもの虐待防止活動を精力的に行っているNPO法人CAPNA(子どもの虐待防止ネットワーク・あいち。代表は岩城正光弁護士)と密接に連携を取りながら、弁護士の立場から活動しています。現在、90名近い弁護士が参加し、名古屋弁護士会のみならず、静岡、三重、岐阜、福井、金沢、富山の各弁護士も参加して、ネットワークを広げようとしています。この弁護団に参加している弁護士の半数以上が若い弁護士で、そのパワーに圧倒されています。

  キャプナ弁護団という名称はついていますが、常に全ての弁護士が弁護団として活動するというわけではなく、発生する各ケース毎に個々の弁護士が弁護団を組み対応しています。従って、キャプナ弁護団は弁護団活動というよりも、虐待防止活動に関わる弁護士のネットワークという方が正確です。今回の昭和区の虐待死事件に関しても、キャプナ弁護団が事件を受けたわけではなく、キャプナ弁護団に参加している弁護士の有志が弁護団を組んだのです。今までにも、守山区で生まれて2日目の赤ちゃんを胸に押しつけて窒息死させてしまった母親、千種区内で小学校5年生の女児を衰弱死させた両親、南区で8歳の女児を傷害して死なしてしまった親、武豊町で3歳の女児を餓死させてしまった両親、小学校5年生の男児をガムテープでグルグル巻きにしてベランダに放置し死亡させた母親、西区で1歳の男児を餓死させてしまった母親、刈谷市内で心中しようとして1歳の男児に泡盛をミルクに混ぜて飲ませて窒息死させてしまった母親などの刑事弁護を、キャプナ弁護団参加の弁護士たちが担当してきました。

  ところで、一般の人のみならず、弁護士の皆さんからも、「子どもの虐待防止活動を行っている弁護士が、子どもを虐待死させてしまった親の刑事弁護をするというのはおかしいのではないか、矛盾ではないのか」などと言われることが結構あります。 確かに、表面的に虐待事件を親と子の対立構造のみで見るならば、子どもの立場で動く弁護士が加害親の刑事弁護を行うことは矛盾に見えるかも知れません。  しかし、子どもを虐待死させてしまった親たちの刑事弁護をすることは、私たちの活動と矛盾するとは思っていません。むしろ、このような子どもの虐待死事件には、子どもの虐待について多少なりとも理解のある弁護士が関わる必要があると思っています。今、子どもの虐待事件は、世間で認知され、その関心は高まっているといえます。そして、このような悲しい事件が起こるたびに、マスコミは、このような悲しい事件の本質を見ることなく、「鬼母」「鬼畜」「犬猫にも劣る」などと語ることにより、世間を煽っています。しかし、この特殊な世界の特殊の人による特殊な事件と思われがちな子どもの虐待事件も、実はどこでも起こりうる事件なのです。そして、このような虐待事件が起こるには、親たちの成育歴、その置かれた状況・心理状態など虐待事件に共通する問題点が存在しています。また、虐待してしまう親たち自身、実は非常に苦しみ、身動きが取れなくなってしまっていることが往々にしてあります。こういう場合、親たちだけでは解決することはできず、関係諸機関の積極的な関与がなければこのような悲しい事件をなくすことができない場合が多いのです。そして、実際、関係諸機関が関わりながら、救えなかった事件が多く存在しているのです。このような点を棚上げしながら、単純に人非人の如く親を責めることにより、自己満足に浸っているだけでは虐待事件はなくすことができません。この悲しい事件がどうして起こってしまったのか、親の成育歴、そのときの置かれた状況・心理状態、関係諸機関の対応などを客観的に明らかにして初めて、子どもの虐待死事件の本質が見えてくるのであり、今後の虐待防止活動に資するし、真の意味での加害親たちの反省や更生を図ることができるものと思われます。更に、亡くなってしまった子どもの他に残された子どもたちがいる場合もあります。このような悲しい事件を二度と起こすことなく、残された子どもたちとの再統合を図ることは、残された子どもたちの福祉にとっても必要なことだと思います。

  もちろん、かけがいのない子どもの命が奪われてしまったのですから、加害親たちはそれ相応の罪を一生背負っていかなければなりません。しかし、それは見せしめ的に厳罰に処することでは解決しないのです。

  そんな観点から、子どもを虐待死させてしまった親たちの刑事弁護にも関わっています。

  もちろん、このような関わりにも限界はあります。親自身が虐待であることを認めていない場合などはいきおい刑事弁護的な活動にならざるを得ません(これまでの弁護事例では、親自身が虐待の事実を認め、弁護人と共にどうしてそのような状態になったのかを考えたり、心理鑑定の助けを受けて、親自身が自分の問題とと向き合うようになったりしています)。色々と悩みながら、それでも、少しでも子どもの虐待事件が少しでも減ることを祈り、このような事件に関わっています。

  司法の世界では、未だに「こんなひどい親は厳罰に処せばいい」「虐待事件に対し厳罰に処すれば虐待事件が減るだろう」などと思われているようです。しかし、虐待をしてしまう親たち自身、実は過去に自らが虐待を受けた経験を持つなど、苦しみの中で身動きが取れなくなってしまっているということは、虐待事件に関わる者の間では常識であるといえます。「子どもを救うためには、親を救わなければならない」といわれる所以です。親たちを厳罰に処したところで、一般予防には何ら資さないことは明らかです。むしろ、このような悲しい事件がどうして起こってしまったのかを、単に事件の表面的な部分だけを捉えることなく、その親の成育歴などに遡って考えていくことが、虐待防止に資することになり、また、大切な子どもを死なせてしまったことの真の反省を生むことになるんだと信じています。