会員 多田 元
昨年、某家庭裁判所での少年審判廷に初めて附添人として出席した。審判廷内に入ると、正面に裁判官席があり、その前の長椅子にすでに少年が座り、少年鑑別所職員が付き添う見慣れた光景だが、部屋の狭さにとまどった。附添人の席は?と見ると、書記官が指示するのは、少年の長椅子の真横に直角に接する小さな机とパイプ椅子だ。その椅子の背は壁際の暖房機にくっついている。その小さな机と椅子の間に潜り込まないと座れない。裁判官がしずしず入廷し、書記官の号令で起立しようとしたが、附添人だけは、机とパイプ椅子に下半身を挟まれて、膝を伸ばして起立できない。膝を曲げた中腰で、「ヘッ」とお辞儀をするほかはない。裁判官と調査官と書記官はゆったりと席に着いている。この審判廷は附添人を拒否しているのかと一瞬ひがみたくなる。刑事法廷のような高い法壇こそないが、裁判官と検察官が並んで高い法壇に座っている明治村の刑事法廷が頭に浮かぶ。
そんな私の想いをよそに、型の如く始められた審判は、その審判廷の構造にふさわしく冷たいものだった。
少年は19歳。もうすぐ成人である。事件は覚せい剤取締法違反。彼は、公務員の父、大学職員の母の教育家族で育った。姉は大卒である。幼い頃は無邪気によく遊ぶよい子だったが、小学校高学年の頃から学校の学習についていけなくなり、中学校では陰湿ないじめの被害を受けた。
しかし、教師にも親にもわかってもらえず、かえって、学校生活に適応できないことで叱られたり、注意されることが多くなり、「ありのままの自分を受け入れられている」という実感をもてなくなり、自己評価を低下させて自信を失い、いつも不安な気持ちを抱いているという状態になったようだ。
そんなことから、気持ちが荒れ、中学生の後半は反抗的で、粗暴な行動も現れ、中卒後の暴力事件で短期少年院に収容され、仮退院後数ヶ月で、不良仲間から覚せい剤を注射してもらう事件があり、中等少年院(長期)に再び収容された。
しかし、中等少年院では、丁寧に少年の気持ちを聞いてくれる教官と出会い、その教官が両親と少年のコミュニケーションをとりもち、少年は親と互いに認めあうことができたと実感できるようになって仮退院した。
仮退院後は、親身に相談に乗ってくれる担当保護司にも恵まれ、家族関係も円満になり、順調に働くようになったが、以前の友人に遊びに誘われ、仕事に遅刻したことをきっかけに職場に行きづらくなり、また、そんな弱い自分に苛立ち、誘われるままに再び覚せい剤を友人から注射してもらったというのが今回の事件である。
雇い主は残念がり、もう一度受け入れてやり直させたいと考えてくれ、保護観察官も担当保護司も保護観察の継続が相当であるという意見を提出してくれた。
私が「親の期待に応えようと焦るのでなく、ありのままの自分を認めることから始めよう。これまで否定されてつらいことがずいぶんあっただろう」と問いかけると、少年は歯を食いしばって泣き、確かな更生の意欲も感じさせた。
しかし、裁判官は、審判に出席した保護観察官や担当保護司に対し挨拶の言葉もなく、その意見も無視し、冷たく逆送決定を言い渡した。さらに3ヶ月の勾留と2回の刑事公判の結果、保護観察付執行猶予の判決となった。
保護観察官は「いったいどうなっているんですか」と私に問うたが、答える言葉は見つからなかった。
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