中部経済新聞2011年5月掲載
【聞之助ダイアリー】
思いやりのある智恵を

東日本大震災の発生から2か月余が経つが、復興への道のりは険しい。震災直後、あの凄まじい被害の状況を目の当たりにして、我々弁護士は遠くこの地に居て、実に無力であると感じたものである。

被災から数日すると、東海地方にある企業からも、東北にある営業所が壊れたが、賃貸借契約はどうなるのか、家主さんと連絡が取れなくて困っている、といった相談や、東北にある支店の従業員を自宅待機させている間の給料をどうすればよいのか、事業再開の見通しが立たないので解雇してもよいか、といった相談が寄せられるようになった。

こうした震災時の相談に対して、本来であればこうすべきであるという法律に則った処理があることは勿論である。

しかし、本来の法的処理を貫いて、果たしてそれでよいのか、悩むことがある。例えば、お亡くなりになった家族の財産をすぐにでも生活費にあてたいと願う被災者の方に対して、全ての戸籍を役所から取寄せて身分関係を明らかにしなければならないと説明することは、酷なことを求めるようで辛い。建てたばかりの自宅や買ったばかりの車が津波で流されてしまった被災者の方に、住宅ローンや車のローンをこれまで通り払い続ける義務があると伝えることも、心が痛む。

今回のような未曾有の震災は、被災者の方をはじめとする我々の生活を根底から覆すものであるから、これまでの法律やルールをそのまま通用させることが、かえって被災者の方の復興を妨げたり、社会の混乱を招いたりすることがある。それゆえに、震災直後、金融機関では通帳が無くても一定の条件で預金の払い下げに応じるという特別な対応をしたと聞くし、裁判所においても、本来、遵守すべき法定期間や裁判の期日を延期するなどの適切な対応をとるように配慮がなされている。また、弁護士会でも復旧に向けた特別立法の制定を働きかけているし、実際に制定を検討する動きも見受けられる。法律は市民の権利や生活を守るためのルールであるから、時に、市民の権利や生活を守るためにはルール変更が必要であり、またそれが許されるということである。

被災者の方々の生活の復興は、これからである。とかく法律は冷たいと言われがちであるが、こんな時こそ、我々も、皆で思いやりのある智恵を出し合いたいものである。(H・K)