大阪府や宮崎県を始めとする地方自治体の首長さんたちが元気である。その首長さんたちがよく口にされる言葉に「地方自治」という言葉がある。地方自治とは、ご存知の通り、地方における行政を、国家ではなく地方公共団体の権限と責任において行なわせ、地方住民の意思に基づいて運営させる、という意味合いの概念である。権力の過度の集中には抑圧の危険が伴うという理解もあろう。日本国憲法においては、地方自治が制度として保障されている。
では、「弁護士自治」という言葉をご存知であろうか。恐らく、この言葉を知っている読者の方はさほど多くないであろう。
戦後まもなく現在の弁護士法が制定されるまで、われわれ弁護士ないし弁護士会は、司法大臣(当時)らの監督下に置かれていた。弁護士(会)が国家の監督下にあるということが何を意味するかというと、弁護士の活動に対して安易に懲戒が請求され、弁護活動が封じ込められる、ということである。戦前、裁判所の不適切な訴訟進行に意見を述べたなど今では考えられないような理由で懲戒請求を受けた弁護士は多数存在する。
弁護士(会)は、時に、基本的人権を擁護するために国家と闘わなければならない。その弁護士(会)が国家の監督下にあって「基本的人権の擁護と社会正義の実現」という弁護士の使命を真に果たすことができるかというと、「否」である。
様々な歴史を経て、弁護士(会)は、現在の弁護士法において、ようやく、国家の監督から解き放たれることとなった。我が国における「弁護士自治」の確立である。
もっとも、弁護士自治の下で、弁護士が完全に野放しというわけではない。弁護士は、国家の監督を受けない代わりに、必ず弁護士会という団体に加入しなければならない。そして、弁護士会は、弁護士の守るべき種々の規律を設け、弁護士がこの規律を遵守しているかを監督することになっている。無論、個々の弁護士も規律を遵守しなければならないことを自覚している。
身に覚えのない嫌疑で警察に取調べられた場合を想定して頂きたい。この場合、果たして、国家の監督下にある弁護士に安心して弁護活動を任すことができるであろうか。弁護士自治が市民の基本的人権の擁護や社会正義を実現するためにこそ存在するものであるということを、ご理解頂けるはずである。(H・K)