言わせてちょ

年間三〇〇〇人は適正か?




一 一一月末から愛知県弁護士会に新たな司法修習生がやってきた。裁判官、検察官、弁護士の下に順繰りに配属され、生の事件を通して、一年間法曹実務家としての素養を培うこととなる。

二 この修習生になるには、四年間大学に通い、その後二年または三年間法科大学院に通った上で司法試験に合格する必要がある。この六年または七年分の授業料だけでも相当な出費である。

さらに、これまでは修習生に対し、国家公務員に準ずる存在として、国から給料が支給されてきた。しかし、平成二二年以降の修習生には給料も支給されない。生活費等が必要な修習生には相当額が国から貸与され、実務家になった後に返さねばならないのである。

これは、司法制度改革により合格者が三〇〇〇人と大量になったために、予算の都合上、修習生の給料が支払えなくなったことが原因のようである。

三 私たちの世代は一発試験である司法試験に合格さえすれば、修習生として二年間、国から給料をもらいながら実務家になる勉強をさせてもらえた。裁判官、検察官なら格別、民間の自営業者となる弁護士まで国費を使って養成するのは、弁護士が単なるビジネスでなく公共的使命があるからだと言われてきた。

だからこそ、国選弁護や当番弁護士などペイしないことの多い仕事も対応してきたのである。完全に手弁当でえん罪事件に取りくみ続けている弁護士もいれば、路上生活者の人権を守るため奔走している弁護士もいる。

四 しかし、これからは前記のとおり、国家の支援を受けることなく、自分や親の資金だけで弁護士になる世代が中心となる。しかも、司法試験の合格者が大量に生み出され、競争原理が導入されるのである。そうなれば、ペイしない仕事を誰が受任するのであろうか。

司法制度改革の基本姿勢は、司法の世界にも経済原理・競争原理を導入するという前提に立っている。経済原理を前提に考えれば、弁護士も一つのビジネスである以上、受けられる報酬以上の仕事はしない(できない)のが当然である。それを、一方で経済原理・競争原理を導入しながら、他方で「弁護士の公共的使命だからペイしなくても国選事件を受任しろ」と言われても、素直に受け入れることができるはずもない。

五 相当の投資をして法科大学院が設立されたことは認識している。弁護士がギルド的特権階級意識を持っているとの批判があることも知っている。

しかし、弁護士が大量に粗製濫造され続けることの不利益は市民に跳ね返るのである。このまま三〇〇〇人もの大量合格者を生み出し続けてよいのであろうか。(MG)