言わせてちょ

野球憲章と特待生制度




夏の甲子園も佳境に入った。球児達の笑顔や涙に一服の清涼感を感じているのは私だけではあるまい。

さて、この春、西武の裏金問題が世間を賑わした。高校野球連盟は学生野球の憲法といえる日本学生野球憲章第一三条(第一九条で高校野球に準用)により、裏金のみならず特待生制度も認められないとする。この野球憲章第一条に「この憲章は、学生野球の健全な発達を図ることを目的とする」とあるから、金品の授受は「健全」ではなく、これに類する授業料免除を伴う特待生制度も健全ではないと考えられたのであろう。

確かに、裏金を渡してまで優秀と思われる選手を自球団に囲い込むことは首肯できない。そこには己の利益しか存在しないからである。また、一部私学が自校の知名度を上げる目的で特待生制度を利用していることも承知している。

しかし、学校が子どもの才能を伸ばすべく教育的視点から授業料を免除する特待生として認めるのであれば、認めて良いのではないか。

個人の持つ才能は多種多様であり、学業に秀でた子、野球に秀でた子、ピアノに秀でた子など、いろいろいる。その才能を開花させる機会さえ与えられずに終わるのは本人にとって不幸なことであるし、せっかくの才能を社会に活かせないのは社会的損失でもある。現に、野球以外のスポーツや学業面で秀でた子に対する特待生制度が認められている。

法的に考えると、野球憲章が学生野球界の憲法である以上、守られるべきである。それを無視して良いと主張する気はない。しかし、憲法だからとにかく守らねばならないという硬直的な態度でよいのであろうか。時代の変遷等により変更せざるを得ない状況になった時のために、日本国憲法にも野球憲章にも厳格ではあるが変更手続が規定されているのではないか。

特待生制度は常態化しており、親の経済的事情によっては、親孝行と評価されるケースさえある。才能を開花させる機会が与えられた上で本人が結果を出せなかったのであれば、それは自己責任であり、本人も納得できるであろう。司法の世界でも、司法試験の受験資格として法科大学院卒業を要件としたために、有為の人材が経済的理由により司法試験を諦める結果になると危惧されている。奨学金だけで事が解決する話ではあるまい。授業料を支払う金銭的余裕のある家庭の子女だけが法科大学院に進学でき弁護士になれる社会は、健全とは思えない、才能を伸ばす機会は均等に与えられるべきである。

その意味から、野球だけが特待生制度を認めない合理性に疑問を感じざるを得ない。少なくとも、日本国憲法の改正より遥かに合理的な理由が存在すると思うのだが・・・。