「お父さん,お母さんと昔のようにキャンプに行きたい。」
先日,当番弁護士制度から受任したある少年事件での話である。
事件は複数の少年らによる窃盗。私が被疑者弁護人・付添人になった十八歳の少年は,主犯格の一人であり,警察署に勾留中の身であった。先の言葉は,釈放されたら両親と何しようか,という雑談の中で出てきたものである。
翌日。少年と同じ答えをされたらすごいな,と思いながら,同じ質問を少年の母親にもした。
「息子と主人とでキャンプに行きたいです。」
母親は,即座に強くそう答えた。
それまで少年と母親との間でキャンプの話はなかった。
思いがけない(という言葉は不適切なのかもしれないが)答えに,私は純粋に感動した。
私が「彼も同じことを言っていましたよ。」と母親に伝えると,母親は少しびっくりしていたが,暫く少年の思いをかみしめるように無言になった。
少年は,釈放後,両親とキャンプに行った。
「親と普段話さないことをキャンプで色々話せた。すごく良かった。」
少年が,急に大人びたように見えた。
両親は,少年が小さい頃,おそらく特別な意識もなくごく普通に少年をキャンプに連れて行っていたものと思われる。少年が反抗期になり,自然と少年を連れてキャンプに行かなくなったようであるが,キャンプの思い出は,親子の絆として少年に深く刻み込まれていた。無意識に注いでいた愛情が少年には十分伝わっていたのだ。そういう無意識の愛情が少年の成長にはとても大切なのだろう。
最初に話をした時の少年は,母親がうるさかったからストレスでやったとか,父親が話を聞いてくれないとか,他人のせいにする言い訳を述べていた。
しかし,それが本当に盗みをする理由になるのか,今度は自責の念に変わり,少年の考えは会う度に深まっていったように思える。
私は残念ながら少年に説示できるだけの人格を持ち合わせていないため,少年自身が考え,私に話してくれたことに相槌を打っていたに過ぎない。
少年が両親の愛情を自覚し,自らの力で立ち直りを考え抜いた結果が,今回のキャンプであり,それによって少年は両親との関係を再構築し始めたのだと思う。
私の勝手な評価なのかもしれないが,少年は或る一瞬にして大人になることもあるのだな,と感じ入った。