今年も全国高校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園は大変な盛り上がりだ。懸命にボールを追う彼らの姿は、新鮮な感動を与えてくれる。高校球児達は、甲子園を夢見て日々の練習に励むわけだが、野球の勝敗とは関係のない理由で夢を絶たれることがある。野球部員や関係者の不祥事だ。最近では、野球部員の喫煙や暴行事件により昨夏の甲子園出場を辞退した明徳義塾高校や、やはり野球部員の喫煙や飲酒事件により今春の選抜大会を辞退した駒大苫小牧高校が記憶に新しい。いずれも高校側が自ら出場を辞退したものだが、辞退しなくても日本学生野球協会から出場停止処分を受けうるのだから、実際には出場を禁じられたのと同じだろう。
他のスポーツに目を向けてみると、土俵外で暴力をふるった露鵬は3日間の出場停止だったし、W杯ドイツ大会で頭突きをしたジダンも社会奉仕活動3日間と罰金という処分だった。いずれも問題を起こした選手個人への処分だ。同じ野球であるプロ野球でも、日米いずれもチーム全体の責任を追及する風潮はない。
では、高校野球だけなぜ?と考えてみると、高校野球は単なるスポーツの祭典ではなく、部活動という高校教育の一環であることが理由ではないだろうか。それに、地域を代表するという要素もある。
法律の世界で罪を犯していない者に連帯責任を問うのは、公職選挙法の連座制くらいであろうか。国政を担う政治家たる者、関係者の不正で政治家の地位を得ることは許されないことには合理性がある。しかし、いくら高校野球が教育の一環であり、地域の代表であるとはいえ、政治家と同じように考えていいわけではない。連帯責任を理由に部員全員の夢を奪うのはあまりにも酷だ。連帯責任を問うとしても、出場停止ではなく、ジダンのように一定期間の社会奉仕活動など、甲子園の夢を絶たずに部員達の反省を促す方法はいくらでもあるはずだ。部員達が懸命に社会奉仕活動に取り組む姿を、高校野球ファンは温かく見守ってくれると思うのは甘いだろうか。
いずれにしろ夏の甲子園もいよいよクライマックス。球児達の健闘が楽しみだ