隠匿は紛争の母

〜隠匿は紛争の母〜

 昨年の晩秋、長年肝臓癌で闘病していた義父を送った。
 義父の最後の入院の際、感染症が原因の腕の腫れは癌の転移が原因であるとの誤診が当初はなされ、その結果、義父の最後の日々のQOL(クオリティオブライフ)を低下させる不必要な治療が行われた。
 現時点で筆者が誤診であったと断定できるのは、病院側が義父の存命中に、こちらからの追及を待たずして自ら診断の誤りを認めて、謝罪と治療方針の転換についての説明を行ってくれたからである。
 当時、義父本人や家族は、病院からの説明があるまで医者のいう症状の説明と本人の愁訴との間に微妙にズレがあるように感じていた。 
 仮に、病院側が結果的に誤診であったことを隠して単に治療方針の転換だけを告げていたなら、家族は病院に対し強い不信感を抱いていただろう。場合によっては紛争に発展したかも知れない。
 幸い病院側からの説明があったことで、家族としても、病院がその時点時点でのベストは尽くしてくれたと信頼することができ、できるだけのことはしたという想いを持って義父を送ることができた。
 誤診があったとの説明があってもなくても、客観的になされた治療自体には何ら変わるところはない。異なる点は「何かを隠されている」と感じたか、感じなかったかにある。

 弁護士の仕事をしていると、当事者が「私は不当に何かを隠されている」と感じてしまった事から生じた紛争によく出会う。
 例えば相続の際、兄弟の一人が「亡くなった父は本当はもっと財産を持っていたのに、同居の長男が隠してしまったのではないか。」と感じてしまった場合である。

 預金通帳等の当然あってしかるべき財産を自発的に見せてもらえなかったりすると、自分の知らないところで長男が父の預金を使い込んでしまったのではないか…?といった猜疑心が生じる。
 そして、いったんそういった猜疑心が生じると、たとえ兄弟からの追及の後に遺産の全内容が明らかにされたとしても、それが遺産の全てであると信用することができず、不当に少ないように感じてしまいがちなのが人情であろう。
 もちろん、具体的な遺産の内容が明らかになった時期がいつであっても、各相続人の法定相続分については何ら変わるところはない。
 客観的な結果は同じでも、当事者の主観として公平な分割がされたと信用できなければ、いとも簡単に深刻な紛争に発展してしまうのである。
 隠匿は紛争の母なのだ。