法律事務所の窓辺から 揺らぐ「親子のきずな」

 
 「御久し振りッス!」威勢の良い口調とはつり合わぬてれた表情で、何となく背を丸めた感じで彼はやって来た。続いて事務所に入って来る女性を見て、彼との再会を楽しみにしていた私の心にふと違和感がよぎる。

 8年ほど前に刑事事件で知り合った彼は、釈放後、見違えるほど努力をし、小さな会社を興すまでになった。しかし、さあこれからという矢先の5年前、些細なことで再び刑事事件を起こし、今度は服役が避けられなくなった。

 小さな子を抱えた妻は、何もかも捨てて実家に帰ろうとした。彼からは後悔で喉を掻きむしるかのような悲痛な手紙が何通も私に届き、妻の慰留を懇願された。家庭を失えば更生を支える大きな生き甲斐を失うこと、父親の存在はとても大切であること、幼いため事件のことは分からないこと、妻は最後にはそれを理解してくれた。

 あれから5年。彼はてっきり、その妻子とともに挨拶に来ると思っていた。5年前の残影を引きずって、私は人生の指南者気取りになっていた。

 しかし、席に着くと彼は「僕に何かあったときに、前妻との子に何も財産が行かないようにしたい。俺、一から出直しますんで」という。横から女性が「前妻やその実家の親はあれこれ言って来るタイプだ。きちんとしないと入籍してあげないよ」と言う。「でも、財産を俺の名義にしなければ取られませんよね」と彼も簡単に口にする。

 予期せぬ展開に、しばし言葉が出なくなってしまった。前妻とその子らを対立当事者と見る相談に乗ること自体、これまでの私の受任経過に照らして避けなくてはならない。それにしても、財産も実績も無いうちから、子どもに財産を渡さない手当てとは・・。

 かといって私が正面から指弾しては来訪の趣旨に反するし、相談に連れて来た女性の面前で彼の顔をつぶすのはまずいだろう。渦巻く複雑な思いを抑え、最低限の一般論だけ話すにとどめた。

 親どうしは別れれば他人であるが、父と子、母と子はどこまで行っても父子、母子である。この事実すら知らない、あるいはその重みを理解しない相談者が決して少なくないのが現実である。
私のところへも、別れた妻に報復する意図で、養育費を滞納したあげく破産の相談に来た人がいた(実はこれは免責されないのである)。離婚調停の相手方で「養育費をゼロにしてくれれば別れても良い」という高額所得者もいた。目先の感情や利害のために、子どもの福祉がいわば取引材料になってしまうのである。
 
 反面、世間では、死を覚悟で悪事をし、或いは自分の失敗から逃避するという最悪の選択をしておきながら、子どもを残しては不憫だといって道連れにする、親子愛を履き違えた事件も起きた。

 えてして極端なケースに目が行きがちだが、親子の絆、人間どうしの絆が病んでいることは、ごく普通の民事、家事事件の相談にも影を落としている。何がそうさせるのであろう。今日も相談者に言葉を返す口の動きが重い。