相手方特定の必要性 〜裁判手続の原則と例外〜


 裁判所に訴えを提起するには、訴状という書面を提出する。そこには、誰が誰に対し、どのような裁判を求めるかを記載しなければならない。裁判が当事者間の紛争を解決するものであることから考えれば、その対象を明らかにするのは当然のことと思われる。

 そのため、訴状の記載が不十分である場合には、訴状却下という判断が下され、訴状に記載されている内容の審理もなされなければ、相手方に訴状が送達されることもない。

 紛争を解決しようする以上、相手方が分かっており、住所氏名で相手方を特定することができるのが一般である。ところが、いわゆる、架空請求、おれおれ詐欺等の被害にあったものとしては,相手方に関して分かる情報が,銀行の口座番号と名義人(カタカナ表示のもの)だけというケースもある。この場合、銀行口座とカタカナの当事者名の記載で、当事者の特定として十分といえるのかが問題となり、先般,富山地方裁判所では、訴状却下の判断が下された。

 この点、弁護士会を通じて、諸団体に照会して,必要な事項の報告を求める制度もあり、勿論、銀行に対して照会することもできる。ただ、銀行は、開設者側のプライバシーの問題を理由に、回答しないのが通例である。

 これに対し、裁判所に事件が係属している場合には、裁判所が諸団体に調査を嘱託することができ、銀行に対して調査嘱託がなされれば、銀行として回答を拒むことはない。

 そのため、架空請求、おれおれ詐欺等の被害者としては、裁判所を通じて、調査嘱託という形をとる以外、銀行から開設者の住所氏名を調べる手段はないともいえる。

 ところが、裁判所において、銀行の預金口座とカタカナ名の名義人の記載だけでは,相手方の特定として不十分であるとの判断がなされれば、裁判所に事件が係属していないことになってしまい、調査嘱託という形もとれなくなってしまう。

 架空請求等で利用された預金口座については、預金を凍結する制度も認められているが、もし、相手方の特定不十分であるとして訴状却下となってしまっては、判決を得ることはできず、結局、預金口座を差し押さえることもできなくなってしまう。その結果、預金凍結によって、加害者側で預金が下ろせないとしても、逆に、被害者側でも、預金を差押えて被害弁償に充てることができないということにもなりかねない。

 裁判所によっては、預金口座とカタカナ名の名義人名だけで、不十分ながら、相手方の特定はあるとして、その後の手続のなかで、調査嘱託等によって住所,氏名等の特定を図っていくケースもある。

 被害者救済という社会の趨勢からみれば、裁判所は広く門戸を開くべきであり、訴状却下した裁判所はあまりに形式的にすぎるとの批判がなされるのかもしれない。しかし、本来、訴状は形式的に判断されるべきものであり、その判断のなかで、相手方を特定できない事情をどこまで斟酌し、どこまで特定を緩やかにしてよいかの基準は明確にしておく必要がある。あくまで、代替手段がない場合の例外として位置づけておかないと、一般市民の個人情報が必要以上に開示されてしまう危険がないとはいえない。

※注 上記富山地方裁判所の訴状却下命令に対しては抗告がなされていましたが、抗告審である名古屋高等裁判所金沢支部は、平成16年12月28日、「被告の特定について困難な事情があり,原告である抗告人において,被告の特定につき可及的努力を行っていると認められる例外的な場合には,訴状の被告の住所及び氏名の表示が上記のとおりであるからといって,上記の調査嘱託等をすることなく,直ちに訴状を却下することは許されないというべきである」と判示して、訴状却下命令を取り消しました。