内部告発者を保護せよ


      〜告発者には厳しい要件〜


 ある日、弁護士Aの事務所に、大学時代の同級生で卒業後は大手の食品会社に勤務しているBが数年ぶりに訪れた。

弁護士

 おう、久しぶりだな、元気でやっているか。

B氏

 まあね。ところで、今日は会社の事でおまえに相談したいんだ。

弁護士

 え、リストラか(笑)。

B氏

 いやいや、まだそういう訳じゃないが、俺の行動次第では会社をクビになるかもしれないんだ。

弁護士

 一体、どういう事なんだ。詳しく話してみろ。

B氏

 俺の会社が去年売り出して大ヒットしているスナック菓子があるだろ。その原料に、食品衛生法上、使用が禁止されている食品添加物が混入されていることが最近になって分かったんだ。この食品添加物は、多量に使用すると人の健康に害を及ぼす危険性があるとされている。会社の上層部の一部もそのことに気づいていながら製造、販売を続けているんだ。

弁護士

 それは明らかに食品衛生法違反だし、処罰規定にも該当するぞ。もし、健康を害する消費者が出たら、場合によっては、業務上過失致傷罪なんてこともあり得る。すぐに、製造・販売を中止した上で社会に公表すべきじゃないか。

B氏

 確かに、こんなことは絶対に許されないし、会社があくまでも隠そうとするなら、俺自身が公表しなければという気持ちはある。しかし、社内では厳重な箝口令が敷かれていて、外に漏らしたらクビになるような雰囲気なんだ。俺にも女房と、まだ中学と小学校に通う子供がいて、もし会社をクビになって路頭に迷ったらと思うと、なかなか決断できないんだよ。

弁護士

 おまえ、公益通報者保護法という法律を知っているか。

B氏

 何だ、それは。今の俺と関係あるのか。

弁護士

 そうだ。数年前に起きた牛肉偽装事件を覚えているか。狂牛病問題によって売れなくなった国産牛の在庫を抱えた食肉業界を救済するために、農林水産省が緊急に創った「国産牛買い上げ制度」を、ある食肉会社が悪用して、オーストラリア産牛肉を国産牛と偽って国に買い取らせ、約2億円を詐取した事件があった。
 それから、ある自動車会社の長年にわたるリコール隠しが明るみになったこともあったろ。
 これらは、いずれも内部告発がきっかけだったと言われている。これが契機となって、国民の健康や財産を守るために、このような内部告発を行った労働者が、そのことで解雇、降格、減給等の処分を受けないように保護することを目的として作られた法律なんだ。

B氏

 そうか、そんなに良い法律ができたのか。じゃあ、俺もすぐに新聞社に通報してみようかな。

弁護士

 いやいや、あわてるな。この法律によって、内部告発者が保護されるには、いろいろ要件があるんだ。
 まず、告発、通報ができるのは、個人の生命または身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかる犯罪行為が生じているか、まさに生じようとしている場合に限られる。この犯罪行為は、この法律で定められている刑法、食品衛生法、証券取引法等の特定の法律に規定する犯罪行為でないとだめなんだ。おまえの会社のケースは、食品衛生法違反の犯罪行為だから、これに該当するな。しかし、例えば、脱税の場合は税法違反だから通報の対象には入らない。

B氏

 そうか、じゃあ、やっぱり俺は新聞社に通報できるじゃないか。

弁護士

 いや、待て、まだ要件があるんだ。
 通報先として(1)事業者内部、(2)監督権限を有する行政機関、(3)その他の外部を区別している。
 (1)事業者内部への通報には、通報者が犯罪事実が生じ、又はまさに生じようとしていると思料すればよい。『思料』というのは、『考える』とでも言う意味かな。
 (2)行政機関への通報には、『思料』では足らず、信じるに足りる相当の理由が要求されている。これは、通報者が犯罪事実があると考えただけではだめで、そう考えたことについて一般人が納得できる程度の根拠が必要とされるんだ。
 (3)その他の外部への通報が許されるのは、行政機関の場合と同じく、信じるに足りる相当の理由が必要な上に、内部通報または行政機関への通報をすれば解雇などの不利益な取り扱いを受けると信じるに足りる相当の理由がある場合、内部通報をすると証拠が隠滅されるおそれがある場合、書面で内部通報した日から20日を経過しても調査を行う旨の通知がない場合などのいずれかに該当し、かつ、被害の発生、拡大防止のために必要である通報先への通報でないとだめなんだ。

B氏

 なんだか分かりにくいが、俺の場合、いきなり新聞社に通報するのではなく、最初は、会社内部での告発を検討しなければいけないのか。
 しかし、俺の直属の上司や、もっと上の役員の連中の一部は、事実を知って隠そうとしているのだから、社内の誰に通報するんだ。

弁護士

 そういう意味では、会社内部で通報を受ける窓口を設置し、受けた通報を迅速適正に処理するシステム作りが是非とも必要だ。

B氏

 俺の会社には、そんな窓口はないなぁ。その法律は、内部告発者を保護して犯罪行為を通報しやすいように作られたものなんだろ。その割には、要件が厳しくて通報がしやすくなったとは言えないような気がするけど。

弁護士

 そうなんだ、確かに、内部告発者が解雇などの不利益を受けることを禁止した点や、どういう場合に内部告発者が保護されるかを明文化した点では、評価すべきだ。
 しかし、先程の説明で分かるとおり、マスコミ等の外部への通報のための要件が余りに厳しすぎて、結果的には事実上、外部への通報を禁止しているに等しいと批判されている。
 また、通報対象を刑法や食品衛生法などの列挙した法律についての犯罪行為だけに限定している点や、そもそも「犯罪行為」に限定している点についても、対象が狭すぎると批判されている。
 もともと、この法律はイギリスの「公益開示法」にならって公益的な通報を促進するために創設された法律だったんだが、内部告発を組織への裏切り行為と否定的に捉える我が国の風潮や、目先の企業防衛に走りがちな産業界の強い意向によって、保護の範囲がどんどん限定されて,こんな法律になってしまったようだ。

B氏

 そうか、そんなに簡単な問題じゃないんだな。しかし、俺としても、このまま放っておく訳にはいかないから、まず、会社の上層部への通報から始めて、だめなら新聞社への通報という手段を取ってみるよ。せっかくできた法律なんだから、有効に使わなきゃな。

弁護士

 ただ,残念なことにこの法律は2006年4月から施行される予定なんだ。しかし,現時点でも,通報したことでお前が会社から不当な処分を受けそうなことがあったら、俺も弁護士として全力で助けるよ。頑張れ。