小泉首相のことを「ワンフレーズ政治家」と呼ぶ、という話を聞いたことがある。つまり、少し前の構造改革問題のときは、「改革なくして成長なし」、今のイラク問題であれば、「テロに屈してはならない」、「国際社会への貢献」、「復興支援」など、首相の放つ言葉が極めて限定されていることを意味するようである。ワンフレーズというのは大げさとしても、新聞やテレビで聞かされる首相の言葉で我々の頭に残っているのは、いつもこれらの同じフレーズである。
確かに、単純明快さ、分かりやすさというのは魅力的であるし、場合によっては必要でもある。国民が自ら政治的意思決定に参加する民主主義国家においては、政治・経済・外交問題に関して、一般国民が容易に理解できるような分かりやすい言葉で説明をうけることは大事である。その点で、歴代の首相に比べると、小泉首相の言葉は、単純明快で分かりやすい上に歯切れがよく、そのことが就任以来の高い支持率を維持している理由のように思われる。この傾向は、メディア、特に、テレビの普及により加速されている。テレビ画面の中では、人が何を話すかではなく、どのように話すかが重視される。どのような容姿の人間が、どのような表情、手振り、身振りで話すかが重視され、話の内容も、より簡略化・単純化して分かりやすくした方が一般受けすることとなる。その辺のあたりは、最近の政治家はよく分かっていて、世論形成や人気取りのための手段としてテレビ映像を積極的に利用する傾向が見られる。
このような傾向は、日本に限ったことではないであろう。4年ごとに行われる米国の大統領選挙を見ていると、その印象を強くする。「ワンフレーズ政治」についても、しかりである。例えば、ブッシュ大統領によると、世界を単純な善悪2元論(「悪の枢軸」論には驚きました)で捉え、絶対的な善であるアメリカが、絶対的な悪であるイラクを軍事攻撃することの正当性に疑問の余地はなく、したがって、同盟国である日本がイラクに自衛隊を送ってアメリカを支援することも当然という、なんと単純な論理。
けれども、多くの人は、世の中がそんなに単純でないことを知っているはずである。「改革」と叫んでいれば改革が実現するものではない。日本道路公団の民営化問題に見るように、問題は「改革」の具体的な中身である。また、「国際社会」とは具体的にどことどこの国の意味するのか、英米等のイラク戦争参加・賛成国は世界中の国のほんの一部に過ぎない。
ここで言いたいのは、「改革」「国際社会への貢献」等の耳ざわりの良い、分かりやすい言葉での説明によって、本来、もっと検討・考察すべき他の重要な問題点を無意識にせよ忘れ去り、間違った結論に導かれる危険性がないかということである。言葉は人間のための道具であって、人間が言葉の奴隷になってはならない。目をつり上げて、口から泡を飛ばしながら「テロに屈してはならない」「国際貢献」と絶叫している首相を見ていると、腹の底から恐怖感を感じるのは私だけであろうか。