中部経済新聞2013年5月掲載 
96条の改正問題


来る参議院選挙に向けて、憲法96条の改正問題が政争になっています。改正派は憲法改正に必要な国会の発議要件を過半数に緩和したいようですが、皆さんどう思われますか?

今回は、憲法96条の意義についてお話ししたいと思います。

▼憲法改正の要件

96条は、「憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければなら」ず、「この承認には、特別の国民投票」…において「その過半数の賛成を必要とする」として、憲法改正の要件を定めています。

安倍首相は国民の承認は過半数なのだから、国会の発議要件も過半数が当然かのように言っていますが、そうであれば、当初から過半数にしたはずです。

なぜ、わざわざ「三分の二」となっているのでしょうか?その理由は、立憲主義ということに深く関わります。

▼立憲主義ってなに?

ルイ王朝の横暴に耐えかねた庶民がフランス革命を起こしたように、国家権力は、何かと国民の自由や財産といった大切なものを侵害する危険があります。例えば、政府を批判する言論を禁止するという表現の自由に対する侵害が行われたら、言いたいことを言えなくなって困りますよね。それを「憲法」という法を国家権力に守らせることによって、その危険から国民を守ろうとすることを立憲主義と言います。

ここでポイントとなるのは、憲法は「国家権力」が守るべき法だということです。これに対して、民法や刑法などの法律は「国民」が守るべき法として機能します。

誰が守るべき法なのかという点で、憲法は他の法律とは全く異なるのです。それ故に憲法では、国家権力の担い手である「…国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負」う(99条)と規定し、国民ではなく国家権力に憲法を守る義務を課しているのです。

この点を誤解して、憲法と一般的な法律を同じものと認識している人は国会議員を含め多いのかもしれません。

▼憲法の守るもの

だからこそ、憲法は、国家権力から守らなければならない、国民の自由や基本的人権、平和主義といった普遍的な価値を規定しているのです。9条の問題にしても、軍隊が平和を実現するために必要かどうか、という点が議論されることはあるにしても、平和主義という理念自体には争いはないはずです。

普遍的な価値を守る法を簡単に変えられては困ります。憲法改正の要件が一般的な法律よりも厳格にされているのには理由があるのです。

▼「三分の二」の意味

では、なぜ国会の発議要件が「三分の二」なのでしょうか?その理由は、@発議の主体が国家権力であること、A国家権力の横暴から国民を守る手段としての司法には限界があること、B改正の議論を尽くさせること、の3つにあると思います。

▼@発議の主体が国家権力であること

国会議員の主勢力で構成される政府と国会は、国家権力の最たるものです。その国家権力が自らを制限する法(憲法)を簡単に変更できるようにしては意味がありません。

これに対し、国会議員は国民が選んでいるのだから、過半数でも良いとの反論があるかもしれません。

しかしここ最近の国政選挙を思い出して下さい。政権交代で民主党が圧勝したときも、先の衆議院選挙で自民党が大勝したときも、果たして民意が忠実に反映されたといえたでしょうか?このことは選挙制度にも関わります。本紙本年1月号の「言わせてチョ」の記事にもありますが、小選挙区制の弊害によって大量の死票が発生します。

実際、先の衆議院選挙でも、自民党は約6割の議席を獲得しましたが、有権者全体から見た得票率は3割にも満たないものでした。

選挙では、制度上、結果として特定の政党が思いのほか多数の議席を獲得することはよくあるのです。そうであれば、過半数という要件では軽すぎると思いませんか?

▼A国家権力の横暴から国民を守る手段としての司法には限界があること

今の憲法の解釈では、司法は、仮に違憲と思われる法律ができたとしても、それだけで無効とは判断できないと解釈されています。例えば話題になった衆議院選挙もそうです。投票の平等に反する選挙区割りが法律でなされていたとしても、裁判所はそれだけでは違憲無効と判断できません。実際にその法律に基づいて選挙がなされて初めて違憲かどうかを判断できるのです。

だから国家権力の横暴に対する司法の抑止力は、いざというときに機動性がなく、時として、後からお金で解決を図るほかないという限界があるのです。

▼B改正の議論を尽くさせること

議論における多数決といえば、多数派を獲得できれば良いと考える方も多いかもしれません。しかし、そうではありません。多数決は議論を尽くした上での最後の意思決定の手段に過ぎず、目的は議論を尽くすことにあります。特に多数決の要件を厳しくすれば、その分、反対側の意見の人を説得すべく、様々な検討がなされ、議論が充実することになります。この際、反対側の意見も反映してより良い意見ができる可能性もあります。これが一番大事なのです。

憲法改正の場合、最終的に承認するのは国民ですが、国民には詳しい情報はありません。例えば一番議論されている9条で考えてみても、単に自衛隊を軍隊とすべきか否かという議論だけで改正すべきか否か判断を求められても、困ってしまいますよね。現状のままでは本当に国民が守れないのか(自衛隊は非常に高い防衛能力は有しています)、他国から侵略される具体的な危険があるのか、防衛するだけではだめなのか、他の手段ではそれを回避することはできないのか、様々な検討が必要です。国会議員は、国民の代表者として、国民が有していない高度の専門的情報に接し、建設的な議論をすることが期待されているのです。そしてその議論した結果は、情報として国民に提供され、承認の是非の判断材料になるのです。発議要件を三分の二にすることで、国民に提供される情報は、より充実した内容になるはずです。

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96条の改正は、9条改正を念頭においたものなのかもしれません。しかし、9条を改正したいのであれば、「三分の二」の議員が賛成できるだけの議論を尽くすべきです。憲法9条改正論者の中でも96条の改正には反対の学者が多いのはそうした理由だと思われます。先の安倍首相の発言は憲法の意義を軽視しているように思えてなりません。

手続きの改正だからといって、9条よりも安易に改正に賛成する風潮もあるようですが、手続きの改正だからこそ、慎重に考えて頂きたいと思います。

MT